2009 年04 月29 日
「学ぶ価値ある法科大学院」の実現を阻害しているのは誰
4月25日の日経朝刊に「学ぶ価値ある法科大学院を」との社説が掲載されていた。これは、教育内容の「質」が低いロースクールはもっとがんばれという批判だろうか、それとも合格者が少ないロースクールは存在価値がないという批判だろうか。
ロースクールでの教育に関わるようになって感じるのは、合格者を増やすために学生に対する個別教育を充実させようとすると「受験対策に専任教員がかかわるのはだめだ」と言って待ったがかかり、授業の質を上げようとして基本判例の理解の徹底から始めて最先端の議論に持っていこうとすると「これは先端科目ですることではなく基本科目ですることだから先端科目の単位認定は認めない」と言って横やりが入る。さりとて、行政法の基本も不十分な学生にいきなり最先端の行政法議論をしてもついてこれるはずがない。
あれやこれやで手足を縛って「質」を上げろだの、合格者を増やせだの言われても、できるはずがない。
そもそもロースクールは、司法試験大量合格者に司法研修所が対応できないためにできた制度ではないのか。法曹養成は、徒弟制で手取り足取り経験を教えていくのが本質だ。だとすれば、少数の院生に対して多数の教員でよってたかって手取り足取り司法研修所でできなかった個別教育をしていくのが本筋ではないか。ところが、それはだめだという。何故かというと、ロースクールは受験予備校ではない、大学院だからだということになるらしい。
大学院教育だからということで、文科省・中教審が過度の介入を強めて、あるべきロースクール教育を変質させている。
しかし、官僚である文科省の教育方針・官僚統制によってあるべき法曹養成ができるはずがない。
法曹養成を大学が行うこととした制度設計そのものを見直すべきではないか。もしその方向で行くとするならば、大学院教育にあわせて管理統制を強化するのではなく、法曹養成の本質にあわせてロースクールの自主性を最大限尊重すべきではないのか。
投稿者:ゆかわat 08 :05| ビジネス | コメント(0 )