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2009 年12 月13 日

開浄水場休止差止請求事件京都地裁判決批判(その2)

 前回、地裁判決は水道道の解釈を誤っていることを指摘した。
 今回は、水道法の解釈に関連して、裁判所は全く水道法を理解していない(誤っているのではなく、理解していない)ことを指摘してみよう。

 判決文には、「53年覚書に基づいて被告(宇治市)が開浄水場の用水の供給義務を負ったとの主張について」との見出しの下に、「53年覚書に基づいて、被告(宇治市)が個人原告らに対して開浄水場の用水の供給義務を負ったということはできない。」(20頁)という下りがある。他にも「開浄水場の用水を供給する義務」という言い回しが出てくる。
 しかし、私たちは「開浄水場の用水を供給する義務が被告にある」などという主張はしたことはない。私たちは「開浄水場の水」を供給し続けて欲しいと主張しているのであって、「開浄水場の用水」を供給して欲しいなどと主張したことはない。
 「水」と言おうが、「用水」と言おうが、違いはないと思われるかもしれないが、決定的に違うのである。なぜなら、そもそも、「用水」という用語は、水道法では「水道用水供給事業」にしか出てこない。水道用水供給事業とは「水道により、水道事業者に対してその用水を供給する事業」をいう。すなわち、京都府営水道がそれである。要するに、市町村が需用者に供給する水の用に供する水を「用水」というのである。したがって、開地区住民が宇治市から供給を受けている開浄水場で浄水した水は、水道法では「水」であって、「用水」ではない。開地区住民は、府営水=用水ではなく、自己水である開浄水場の水の供給を求めているのだから、その意味でも、開地区住民が「用水の供給を求めている」と言うのは、大間違いである。

 いかにも水道法を知っているかのような顔をして、いかにも「用水」という用語を私たちが使ったかのようにして、しかもいかにも水道法上私たちの主張が認められないかのように言いつくろって、原告の請求を棄却する。しかし、裁判所は水道法を全く理解もしていないのに、知ったかぶりをしているのがいかにも原告代理人であるかのように見せかけている。これは判決という形を悪用した、官僚裁判官による国家的詐欺である。

 原告は用水路の水を飲みたいなどと言ったことは一度もない。

 判決全文は12月12日判決批判(その1)の末尾添付ファイルを見てください。

投稿者:ゆかわat 00 :02| ビジネス | コメント(0 )

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