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2006年10月19日

いじめの構造社会

中学生がいじめを苦にして自殺した報道にふれた。

家庭、学校、地域全体がそのシグナルを見落とすことなく、対応できたらと悔やまれてならない。せっかく生を受け、わずが10年足らずで自ら逝かなければならなかった思い。つらいものがある。

今回も学校や教育委員会での不適切な発言や行動があったと言うことで、学校や市役所に抗議の電話が多く寄せられ、元担任は体調を崩して入院したとの情報もある。

こういった抗議行動は、気持ちは分からなくもないが、電話での抗議は相手からは見えない、いわゆる言いっぱなしで、これそのものも「いじめ」の構造に近いものがあるとも言えるのではないだろうか。

安倍首相の奥様がいわゆる「ファーストレディー」になったことにより、政界の先輩の奥様方から、いやがらせめいたこともあるやに報道されているが、これもまさに「いじめ」。

ある中学校の校長が教務主任の先生を大声で怒鳴るなどして、パワーハラスメントを持って責め立て、この教務主任の先生もダウン。これもまさに「いじめ」。

こうして考えると、いやなことではあるが、学校のみならず、この社会全体にいじめが蔓延していると言っても過言ではない。そうすると文部科学省がここ数年、各県の教育委員会から「いじめが原因の自殺はゼロです」、といった回答をそのまま信じて統計処理していること自体、不見識と言わざるを得ないのではないだろうか。そもそもいじめによる自殺の前に、いじめそのものの把握をしているのかどうかだ。

かく言う私も中学生の時、同級生からちょっとした「いじめ」を受けたことがある。短期間ではあったが、本当にいやな思いをしたし、いまもそういったことは記憶から離れていくものではない。

「美しい日本」を掲げる安倍首相は、こういった基本的なことにもっと目を向ける姿勢を是非とも見せるよう、リーダーシップを発揮してもらいたい。

投稿者:Hornat 12:59| 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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