2008年2月24日
必死の思いでたどり着いた 2
越後湯沢の駅に降り立って、乗り換え改札を抜けて初めて、事態の深刻さが分かった。本当なら、午後6時半に越後湯沢を出るはずのはくたか20号が、8時すぎの時点で越後湯沢を出るどころか、到着してもおらず、それどころか、はるか手前の直江津の駅に止まっているというのである。しかも、鉄道の情報網がパンクしていて、列車の運行情報が駅員さんもさっぱり分からないらしい。こんな時は、じっと待った方がいいのだろうなと思い、駅構内の暖かいところを探してたたずむ。
8時40分になって、はくたか20号が直江津を出たという案内があった。その後の22号はどうなっているんだ?まだ、直江津にさえ来ていないということだ。
9時8分発の直江津行き普通列車が出るという案内があった。直江津には10時半に着くという。でもそこまで行っても、北陸線が全く動いていないらしい。本当にひどいことになっている。
9時半まで待って、一本早いはくたか20号に乗っていくしかないと決断してホームに下りた。すでに自由席にはすごい行列ができていた。ひたすら待つうちに、10時15分着の予定とのアナウンスがあった。雪が降ってきて、凍えながらひたすら待った。
ようやく着いた列車は空っぽだった。指定席にならんでいたらよかったかもしれない。きっとそうだと思ったが、ここに至っては、もう自由席に立っていくしかないとあきらめた。さらに、乗ってから気付いたが、喫煙車だった。車輌の収容人数は意外に多くて、結局立ったのは10名ほどだった。やはり立っている、30代ぐらいの男性は、6時半から越後湯沢で待っていたと話していた。結局、東京を早めに出ていたとしても、この時間になったということなんだなと分かった。
10時半、越後湯沢出発。走っては止まり走っては止まりで進むうち、11時半頃、頸城というところで本来乗るはずだったはくたか22号とすれ違った。この人たちは、この後、越後湯沢で泊まるのだろうか。
12時を過ぎた頃に、ようやくの思いで直江津に着く。もう、疲労の限界で、下りた人の席にダッシュして座った。そのまま眠ってしまった。気がつくと、1時だった。電車は、その後順調に走ったらしく、それらしいところに到達していた。
目的地の駅に着いたのは、午前1時半だった。
貴重な経験をしたと思う。
8時40分になって、はくたか20号が直江津を出たという案内があった。その後の22号はどうなっているんだ?まだ、直江津にさえ来ていないということだ。
9時8分発の直江津行き普通列車が出るという案内があった。直江津には10時半に着くという。でもそこまで行っても、北陸線が全く動いていないらしい。本当にひどいことになっている。
9時半まで待って、一本早いはくたか20号に乗っていくしかないと決断してホームに下りた。すでに自由席にはすごい行列ができていた。ひたすら待つうちに、10時15分着の予定とのアナウンスがあった。雪が降ってきて、凍えながらひたすら待った。
ようやく着いた列車は空っぽだった。指定席にならんでいたらよかったかもしれない。きっとそうだと思ったが、ここに至っては、もう自由席に立っていくしかないとあきらめた。さらに、乗ってから気付いたが、喫煙車だった。車輌の収容人数は意外に多くて、結局立ったのは10名ほどだった。やはり立っている、30代ぐらいの男性は、6時半から越後湯沢で待っていたと話していた。結局、東京を早めに出ていたとしても、この時間になったということなんだなと分かった。
10時半、越後湯沢出発。走っては止まり走っては止まりで進むうち、11時半頃、頸城というところで本来乗るはずだったはくたか22号とすれ違った。この人たちは、この後、越後湯沢で泊まるのだろうか。
12時を過ぎた頃に、ようやくの思いで直江津に着く。もう、疲労の限界で、下りた人の席にダッシュして座った。そのまま眠ってしまった。気がつくと、1時だった。電車は、その後順調に走ったらしく、それらしいところに到達していた。
目的地の駅に着いたのは、午前1時半だった。
貴重な経験をしたと思う。
投稿者:at Sushiat 09:50 | 日記 | コメント(0)
必死の思いでたどり着いた 1
異変に気づいたのは、東京駅に向かう山手線の中であった。
本当は、美術館の帰り、地下鉄の駅で、千代田線に遅れが出ているというアナウンスを聞いた時に気づくべきだったのかもしれない。
山手線の画面表示に、「上越新幹線運転再開」と出た。そして、その他の運休列車がたくさん表示されたのだ。特に、東北新幹線は運転中止で再開の見通しはないとのこと。
そんな表示を見ても、なぜそんなに各地で鉄道の障害が起きているのか、全く考えようともしなかった。各地で吹き荒れた強風を全く体感していなかったし、ニュースにも接していなかったからである。「なんだか分からないけど、上越新幹線が運転しているなら大丈夫帰れるじゃないか」としか考えていなかった。
東京駅について、まずしたことは、職場への土産を買うことだった。東京ばな奈のクーヘンが買いたくて、一部の売店にしかないということで、その店を探して、ちょっと列に並んで買って、ああよかったと新幹線改札に来た時に、初めてことの重大さに気づいた。
何と、間もなく18時になろうというのに、掲示板には、17:32発の列車が表示されているのだ。それを見た時に、初めて、山手線で見た情報が、大変なことを意味していたことに少しずつ気づき始めた。それでも、まあ、30分遅れ程度かぐらいにしか思わずに自動改札をした。ホームに登ってみて初めて、構内放送で、実は列車は発車が送れているだけではなく、東京駅に到着していないのだ、まだ大宮駅にいるのだと言うことを知った。「そうすると、折り返し出発するとして、ざっと1時間程度の遅れか」そんな計算をしていると、一本前の列車がホームに入ってきた。
ホームは寒いので、待合室に下りる。東北方面に向かう人びとで、ごった返していた。窓の向こうに、いろいろな売店がある。しばらくそこで過ごしたい気分だが、一旦改札を通ってしまったので出られない。待合室の壁にもたれて、列車の到着を待った。
改めてホームに登ると、ようやく運転再開したという東北新幹線の各駅停車列車が出ようとしていた。この後の列車の手配がつかないので、とにかく乗れるだけの人は乗ってほしいようなアナウンスが流れ、次々に人が来るので、ドアを何度も開閉する様子を繰り返しながら、列車は出発していった。
そうこうするうちに、上越新幹線の目的の列車がホームに入ってきた。弁当屋さんで夕食を買って、車内清掃が終わるのを待つ。
座席に座ると、ホッとした。40分ほどの遅れで列車は出発した。ふと、越後湯沢ではくたか号は待っていてくれるのだろうかと思いながら、弁当を開いた。
しばらくして、車内放送で、接続予定だったはくたか22号には接続できないので、次のはくたか24号に接続するとアナウンスがあった。「仕方がないなあ」と思いながら、時刻表をチェックしてみると、次の列車というのは2時間間隔であり、越後湯沢で1時間以上の待ちになることが分かった。「早めに家に着く予定が、12時近くになるなあ」と思いつつ、あきらめるしかないと腹をくくって車内の雑誌を読んでいた。
ところが、高崎を越えた頃に、私が乗る予定の一本前のはくたか20号が、まだ、越後湯沢を出発していないというアナウンスがあった。「何だ、ほくほく線も遅れているのかあ、それなら、待てば、予定のはくたか22号に乗って行けるんだな」としか考えられなかった。
実は、一本前のはくたか20号は、越後湯沢を出ていないのではなく、まだ越後湯沢に到着さえしていなかったのである。
本当は、美術館の帰り、地下鉄の駅で、千代田線に遅れが出ているというアナウンスを聞いた時に気づくべきだったのかもしれない。
山手線の画面表示に、「上越新幹線運転再開」と出た。そして、その他の運休列車がたくさん表示されたのだ。特に、東北新幹線は運転中止で再開の見通しはないとのこと。
そんな表示を見ても、なぜそんなに各地で鉄道の障害が起きているのか、全く考えようともしなかった。各地で吹き荒れた強風を全く体感していなかったし、ニュースにも接していなかったからである。「なんだか分からないけど、上越新幹線が運転しているなら大丈夫帰れるじゃないか」としか考えていなかった。
東京駅について、まずしたことは、職場への土産を買うことだった。東京ばな奈のクーヘンが買いたくて、一部の売店にしかないということで、その店を探して、ちょっと列に並んで買って、ああよかったと新幹線改札に来た時に、初めてことの重大さに気づいた。
何と、間もなく18時になろうというのに、掲示板には、17:32発の列車が表示されているのだ。それを見た時に、初めて、山手線で見た情報が、大変なことを意味していたことに少しずつ気づき始めた。それでも、まあ、30分遅れ程度かぐらいにしか思わずに自動改札をした。ホームに登ってみて初めて、構内放送で、実は列車は発車が送れているだけではなく、東京駅に到着していないのだ、まだ大宮駅にいるのだと言うことを知った。「そうすると、折り返し出発するとして、ざっと1時間程度の遅れか」そんな計算をしていると、一本前の列車がホームに入ってきた。
ホームは寒いので、待合室に下りる。東北方面に向かう人びとで、ごった返していた。窓の向こうに、いろいろな売店がある。しばらくそこで過ごしたい気分だが、一旦改札を通ってしまったので出られない。待合室の壁にもたれて、列車の到着を待った。
改めてホームに登ると、ようやく運転再開したという東北新幹線の各駅停車列車が出ようとしていた。この後の列車の手配がつかないので、とにかく乗れるだけの人は乗ってほしいようなアナウンスが流れ、次々に人が来るので、ドアを何度も開閉する様子を繰り返しながら、列車は出発していった。
そうこうするうちに、上越新幹線の目的の列車がホームに入ってきた。弁当屋さんで夕食を買って、車内清掃が終わるのを待つ。
座席に座ると、ホッとした。40分ほどの遅れで列車は出発した。ふと、越後湯沢ではくたか号は待っていてくれるのだろうかと思いながら、弁当を開いた。
しばらくして、車内放送で、接続予定だったはくたか22号には接続できないので、次のはくたか24号に接続するとアナウンスがあった。「仕方がないなあ」と思いながら、時刻表をチェックしてみると、次の列車というのは2時間間隔であり、越後湯沢で1時間以上の待ちになることが分かった。「早めに家に着く予定が、12時近くになるなあ」と思いつつ、あきらめるしかないと腹をくくって車内の雑誌を読んでいた。
ところが、高崎を越えた頃に、私が乗る予定の一本前のはくたか20号が、まだ、越後湯沢を出発していないというアナウンスがあった。「何だ、ほくほく線も遅れているのかあ、それなら、待てば、予定のはくたか22号に乗って行けるんだな」としか考えられなかった。
実は、一本前のはくたか20号は、越後湯沢を出ていないのではなく、まだ越後湯沢に到着さえしていなかったのである。