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2010年08月01日

東北の旅 13 帰途につく

 米沢の町を北西に向けて抜けていくことになる。
 心配なので、携帯のナビを使って進んだが、またしても曲がり角を1本間違えて、上杉家御廟所へ行ってしまった。けがの功名で、かえってよいものを見ることができた。
 初代の謙信から始まって、歴代の城主の墓が、左右に順番に作られていた。鷹山の墓の奥に世子という小さな墓があった。若くしてなくなった鷹山の子供の墓だった。そのために、鷹山は、先代の子供に家督を譲って引退し、後にまた財政改革のために復活することになる。
 287号線という田舎道をひたすら北上する。南に帰るはずなのに、こんなに北上していることが不安になるくらい北上した後、川西町というところで、西に向かう。かと思えば、三菱鉛筆の工場というところからまた山道を北に向かい、飯出というところで、113号線に入る。後は、日本海東北道の荒川胎内ICに向かって、ひたすら西に向かって走る。
 地図を見ながらどこまで通過したかをチェックしながら、見知らぬ道を走るのは、つくづく不安なものである。前に白いプリウス、後ろにダンプカー。プリウスは、カーブやトンネルの手前で極端にスピードを落とすので、何度か後ろのダンプに追突されそうになって冷や冷やした。
 関川温泉郷を抜けると、だんだんと海に近づいている感じがしてきた。
 荒川胎内インターというのは、海のすぐそばだった。高速に乗ってほっと一安心したのもつかの間、ここも、無料化社会実験の影響で、すごい渋滞が始まった。
 渋滞の原因は、スピードが落ちてくると停まってしまい、前の車が動いてもすぐに反応しない車の存在である。見通しのよいカーブで前を見ているとよくわかる。ああ、あの車のところで渋滞が始まっているな、というのが見えるのである。
 さらに、インターチェンジ直後に2車線が対面通行に変わるところがあって、インターから流入する車と、追い越し車線から入ってくる車とにはじかれて、渋滞が激しかった。
 それでも何とか流れるようになって、完全2車線でスムーズに流れるようになると、ほっとした。
 黒崎PAで休憩を取って、後はひたすら車を走らせた。
 ところが、上越市に近づくにつれて、ガソリンの残量が不安になってきた。行けそうなんだが、ぎりぎりのような気もする。思い切って名立谷浜SAで給油した。
 富山に戻って高速を下りたら、7時過ぎだった。予定よりかなり早く戻れた。
 そういえば、今日は神通川の花火大会である。
 家に着くと、家族はちょうど夕食を食べ終わろうとしているところで、早かったねと驚かれた。
 とにかく、無事戻れてよかった。かなり疲れた。

 ちなみに、神通川の花火は、元々マンションの陰になって見にくかったのだが、去年新たにできたマンションのおかげで、全く見えなくなってしまった。さみしいかぎりである。

投稿者:at Sushiat 21:22| 日記 | コメント(0)

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