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2024年05月30日

上越市への旅

 上越市というと、雁木の町、上杉謙信の旧跡、高田城などを訪問してきたが、これまでに訪問できなかったところがいくつかある。そこで、今回は、五智国分寺→旧師団長官舎→岩の原ワイナリー→前島記念館→小林古径美術館→道の駅うみてらす名立を訪問してきた。 ? 五智国分寺  上越というと、上杉謙信の旧跡である。北陸自動車道でも、上越に入るトンネルには、謙信の絵が描かれている。しかし、旧国分寺もあったらしいと知って、行ってみたくなった。  さて、ナビに「五智国分寺」を設定して家を出発、順調に上越インターから、北へ向かう。すると、4車線の街道に、五智国分寺の案内表示があった。ところが、ナビは、まだ大分先を表示している。おかしいなと思ったが、案内表示に従って曲がってみる。ナビも、それに沿って、表示を変えた。道に沿ってしばらく行くと、五智公園の大きな駐車場がある。国分寺はこの公園内にあるらしいが、目に付くのは、親鸞聖人の旧跡の案内。ナビは、まだ大分先を表示している。迷ったが、ナビに沿って先へ進んでみる。坂を抜けると、直江津海水浴場だった。さらに先を案内している。細い山道を案内されて、行くと、ホテル専用道の表示がある。しかし、ナビはその上を案内しているので、おかしいなと思いつつ進んでみると、やはりそこは、ラブホテルだった。ナビは信頼できない。スマホのグーグルマップを起動して、さっきの駐車場に戻ってみる。かなり大回りした感じ。  駐車場で車を降りて、見回すと、駐車場脇の細い道に、五智歴史の里会館という名の休憩所、売店がある。そこに、左方向の矢印に五智国分寺と書いてあった。さっき気付けばよかった。細い参道を登ると、鳥居があって、住宅地に出た。その左手が国分寺だった。  結構広い境内に、五重の塔と鐘楼と本堂があった。朽ち果てていた国分寺を上杉謙信が再建して、今の姿にしたとのこと。五重塔の壁面の彫刻が素晴らしかった。各段ごとに4面に浮き彫りの彫刻が施されている。奥へ進むと、かわいらしい歌声が響いていた。ここにも親鸞聖人の旧跡があって、それに隣接する五智保育園の子供たちの声だった。  見学を終えて、駐車場に戻って、道路向かいの居多神社を見学する。片葉の葦が旧跡らしいが、よく分からない。かなり大きな神社で、くねっと曲がった構造に見えたが、本殿は、拝殿の後ろにあるようだった。 ? 旧師団長官舎  高田の町へ向かう。町の中に旧師団長官舎があることは知っていたが、今までは、休日にしか来られなかったので、駐車場が不安で、立ち寄れなかった。駅前のアーケード街を抜けたところに案内があって、住宅地の中に建物があった。玄関の門に、奥に駐車場があると表示があり、車で、門を入っていく。入ってよいのか不安だったが、本当に建物脇に駐車場があった。大きな車が1台だけ停まっていた。  長岡外史の邸宅として建てられた趣のある洋館である。無料で開放されているのは、素晴らしいことだ。レストランを併設していて、注文すれば、館内の部屋で、コーヒーなどをいただくことができるらしい。各部屋の趣、2階へ上がる階段のしつらえ、2階の部屋の和風の趣、どれも素晴らしかった。外の庭園も素晴らしかった。庭の向こうに遠足の小学生の声が響いていた。遠足と思ったが、大手町小学校が近いので、校区探検の子供たちだったのかもしれない。 ? 岩の原ワイナリー  ワイナリーというところを訪ねるのは、登美の丘に続いて2度目になる。高田の町をひたすら山の方に向かって進む。岩の原ワイナリーの案内看板があった。意外にこぢんまりとした施設だった。かなり広い駐車場に車を止める。車はたくさん停まっているが、施設内は閑散としていたので、あれは、従業員の駐車場だったのだろう。  昔、地下水を引いて、冷やしていたという石造りのワイン倉を見る。ゴロゴロとワイン樽が並んでいる。模型かなと思ったけれど、後で考えると、本物のワイン樽だったのだなと思う。坂を上がって、ブドウ畑を見る。たくさんの人が、脚立を上り下りして、作業をしておられた。辺り一面ブドウ畑である。昔、米作りに適さないこの辺りの土地を活用して、収穫を得るためにワイン造りを始めたのだそうだ。地域の生活をかけた切実な取り組みだったのだと分かる。坂の上まで行くと、展望台になっていた。少し標高の低いところは、田んぼになっているのが分かる。  坂を下りて、雪室を使った冷却倉を見学する。冬の豪雪を雪室に詰め込んで、そこから冷やされた空気を送ってワイン倉を冷やしているのだ。本当に、部屋いっぱいに雪が詰まっているところも公開されていた。  売店で、ハーフボトルサイズのワインを白赤ロゼ3本セットで買う。 ? 前島記念館  高田城公園の小林古径美術館に向かって、来た道を戻っていると、前島記念館の案内看板がある。前島って前島密しか思い浮かばないが、そうなのかな。興味を引かれてそちらに曲がってみる。それが、記念館は、そこからかなり遠かった。  小ぶりな記念館があって、その横に、事務所兼展示場の建物があって、その前と奥に駐車場がある。記念館へ行きたい人は、事務所で声をかけてほしいと掲示があったので、中に入ろうとすると、ちょうどおじさんが歩いてきて、「何か用ですか」と聞くので、記念館を見たいというと、「開いてるから自由にどうぞ」と言われた。正面に、前島密の大きな銅像があって、昔ながらの赤いポストが立っていて、案内放送のスイッチがあった。ちょっと聞いてみようとスイッチを押したら、大音響で、しかも、20分近い放送が流れた。外でずっと聞いているのは、恥ずかしかったけれど、仕方がないので、最後まで聞いた。  銅像の横には、大きな石碑があって、長文が刻んであった。著者は、なんと渋沢栄一だった。  館内は、前島密の一代記の展示だった。幕末に、大変な転変の後に、明治新政府で働くようになったことが分かる。彼が、日本語簡略化運動を推進していたことは知らなかった。そのままでは、日本人は、アルファベットで表記していたかもしれないと知って、びっくり。漢字かな交じり文というのは、そういう経緯を経て使われるようになったのだ。  記念館を見て、郷土の英雄を称えるために、郵便局長たちが作った記念館だということも分かった。 ? 小林古径美術館  以前、高田城の櫓を見に来たときは、道路向かいの大きな駐車場に車を置いてきたが、美術館や、歴史博物館の脇にも駐車場はあることが分かった。今日は、平日だから、駐車できるだろうと、お堀端の道を入ってきたら、空き空きで、工事業者の車しかなかった。  館内は、小林古径の常設展示と、現代の作家の上越の12か月を描いた作品の展示とがあった。どこの美術館でもそうなのだが、年輩の女性客がいて、友人同士で話をする声が大きくて、うんざりする。迷惑だなとしか考えていなかったが、自分の母の耳の悪いのを見るにつけ、そうか、彼女らには、自分たちの声の大きさが分からないんだなと思うようになった。それにしても、うるさくて迷惑である。  美術館の庭には、小林古径の邸宅とアトリエが移築されていた。これが素晴らしかった。邸宅は、建築家の古い日本家屋の形式と、洋風建築のデザインの融合による工夫が凝らされた建物らしかった。一見、伝統的な日本家屋に見えて、斬新な造りが所々に見える。アトリエは、すごかった。広い広い部屋に、大きなガラス窓を配した小棚が取りまいていた。どんな大作でもここなら作れそうな規模だった。  庭には、高田城の櫓に向けた記念碑もあった。 ? 道の駅うみてらす名立  昼時は、過ぎていたが、きちんとした食事を取っていなかった。なんだか美味しそうな雰囲気を感じて、道の駅に下りてみた。名立谷浜サービルエリアから、ETC専用ゲートを抜けて一般道に出る。そこから、海岸線まで下りたところに道の駅があった。が、ちょっと、集客には失敗している感じ。まあ、平日だから客はいないのが普通だが。  海鮮丼とレモネードをいただく。売店で、何か買いたかったが、ちょっと、欲しいものが見つからず、何より、かんずりがないのが残念だった。上越の日本酒と新潟の名前がついたサッポロビールを買って帰る。

投稿者:at Sushiat 21:51| 日記