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2012年04月14日

艱難辛苦を受けてしまう”無知なる人”

 いま、仏壇に参りながら反省をしていた。

昨夜の、鍵山秀三郎先生の話がまだ、余韻として残っているせいか?
自分の過去の生き方は、・・・チャンスも活かせず! みにくく、恥ずかしい生き方だったなぁ〜?と思い始めた。・・・・・・こんなに価値ある恵まれた人生だったのに、活かせず残念でならないと思った。

 最近、自分の過去からの直観力や指導霊さんのインスピレーション等を振り返ると、随分、恵まれた最高度の情報を頂いて来たものだと感じた。

 今になって自分の魂の古さを感じている。霊能者からは5千年前にうんぬんとも聞いた事はあったが、魂が古いのか、素晴らしい指導霊さまなのか?

 でも、今・・・”今からでも、何か、すごい人生になるように感じて来た”

 感じるぐらいは自由だし、まして、ほとんど、善なる生き方しかしない人間だと確信をし始めているので(これが驕りで、思い上がりの癖)、これからの人生は間違いが少ないと思っている。


 鍵山先生の教えと自分の体験と合わせ、更に、自分の考えに自信を持てるようになった。
 
では、どのように人生を歩むか?というと、

『自己を忘れ、他を愛し、喜んで頂こう!と言う善なる気持ちで日々、行動していく事に尽きる』と思っている。
 結果的に、人格や霊格を高める事が人生の目的に思っている。

 その為、不幸と思われる艱難辛苦が訪れても、それこそが宝物で、感謝で受け取らなければならないと思っている。

 でも、原因結果の法則など大自然の繁栄の法則を知っているのといないのでは、災難や病気をあえて、受けなくても良いのに、艱難辛苦を受けてしまう”無知なる人”にならないように気をつけたり、学びたいものです。

投稿者:も〜ちゃんat 12:50| 見えない内神様と共存し楽しい人生を! | コメント(0) | トラックバック(0)

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