形骸化
始めた時には、それなりに「意志」をもって始めたことだけれど、それが何年も続くと、どうしても「形骸化」してしまっていることに気が付かれることは無いだろうか。
毎朝、毎晩、食事前に仏壇と神棚にお参りする。
両親や二男の月命日にはお寺さんにお参りに来ていただき、正信偈などをお坊さんに付いて口の中で呟きながらお参りする。
仏壇には、毎朝お仏供さんを上げ、仏花の水を取り替える。
神棚の榊については、日曜日と水曜日に榊を水で清めて水を取り替える。
起きた時には感謝カレンダーの昨日に丸印を付ける、等々。
細かいことを数え上げればまだあるだろうが、そのほとんどが「何のため」ということをその都度思い直しているだろうか、というとに気が付いた。
改めて「感謝と畏怖」について考えながらの行動だと意識したい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :57
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