2024 年11 月22 日
2024 年11 月21 日
偶には「ぽっかり」と
今日は、ルーチン的に行う私の担務は、生護美捨て、畑と庭の巡回、Excelの学習、ネットニュースとメールの処理だけである。 それだけなので、後は「ポッカリ」空いている。 朝起きて寝ぼけ頭で考えているが、それ以外に「せばならぬ」という事は思い当たらない。 以前は「時間貧乏性」で、「こんな事はあってはならないのだ」と自分に言い聞かせて、手当たり次第に、読みかけだった本を初め「途中になっていた物」を探し求めて手を付けてみたりして「ボケ防止」だと言い聞かせていたが、其れにもかなり飽きてきていた。 そんなことで手掛けた物は、その殆どが、結局「やり掛け」で残ってしまっているのであるし、一向に身が入らないのである。 今日は然程天気も良く無い様なので、散歩という気分にもならないから、「ポッカリ」をじっくりと楽しんでみようと思う。2024 年11 月20 日
もう真冬だ
天気予報で、予想気温が数値で表示されるのは有難いのだが、残念ながら「体感」するまで実感が伴わなくなってきている。 加齢の所為もあるのだろうが、ここ数日の気温変化は、私にとっては「もう真冬」という感じである。 着る物が中々追いついていかなくて、結局軽い風邪症状が出たので、一昨日は、寝る前のお酒は3杯の所2杯にして(この辺が自分でもいじましいなぁと、書いていて思ったけれと、是って方言?)。 常備されていて、自分に一番合っているという市販の風邪薬を飲んで、寝る時用の「ゆる靴下」の底に「お茶パック」に数個のホール唐辛子を入れて寝た。 お陰で、朝はすっきりと鼻詰まりも無く起きることが出来て、「第一段階、クリア」という感じになった。 そろそろ下着の半袖シャツも長袖に、股引も穿いて、靴下も厚手の物にして。。。 「一病息災」を心に留めて過ごしたい。2024 年11 月19 日
兵庫県知事選に思う
県知事の失職前から、四面楚歌という感じだったのに、想像を完全翻して「圧勝」という時代になったのは、門外漢だけれど、正直驚いた。 全県議が「お辞めなさい」といったのがひっくり返ったのだから、今後の県政がどのように動くのかは、まったくもって想像できないし、逆に「全員右向け右」の号令に従って、整然といろいろなことが実現されていくのだとも思える。 今回の選挙は冒頭にも述べたが、新聞やテレビなどのマスコミによる「四面楚歌」状態だったのにSNSでの情報操作によって街頭インタビューでは「全てでったあげだった」という意見を述べている若い人も写されていた。 マスコミが挙って「ウソをばら撒いた」というような報道である。 そこで、全国の若い人達よ、これで投票で「何かが変わる」ことが分かっただろう、と言いたい。 衆議院選挙の時も100点満点の試験では「落第点」だった投票率が、次回の選挙の時には、今回のように「興味を持って見て投票して欲しい」。 勿論私を含めた高齢者も「もう一度正しく見て投票したいものである。2024 年11 月18 日
質の悪い自分の癖
またやらかしてしまった。 自分作成のビデオや写真のミレニアム保存も、一段落していたので、M-DISCと書き込み装置を大切に仕舞っておいた。 つい先日、娘に「孫のDVDなどもM-DISCのあるうちにミレニアム保存しておいた方が良いのではないか」との話題になり、娘自体でも整理が必要になるから「そのうちに頼むわ」という事になっていたのだが、3日前に「それじゃ当面これを頼むわ」と言われていたので、昨日から着手したのである。 何度かDVDからHDDに写すときにリトライしているような音がしたけれど、HDDになったものを再生すると全て上手く行っていたので、今日になっていざM-DISCにコピーしようとして、はて、必要媒体は何処へ仕舞ったのだろうか、と探し回ること約3時間。 時々頭のクールダウンをしながら探し当てることが出来た。 今になって思ったのだが、この歳になって「クールダウン」が如何に難しいかを思い知らされた。 「これは大切なものだから(先日のニュースで品不足になる、というようなことが出ていたから)大切に仕舞っておかなければ」と思って、しっかりと仕舞ったのは良いのだが、自分が忘れて終うという質の悪い癖にてんてこ舞いだった。2024 年11 月15 日
定期健康診断
毎月の定期健康診断と薬の補充という事で、先日行ってきたのだが、何時もと一つだけ違う所が有った。 良い意味でである。 血液検査の結果で、いくつもの数字が出ていて、何時もは数個マークがついていて、医師から「フーム」という声が出るのだが、どれも以上や以下、という事だが、その度合いが僅かだから「まぁ、こんな所か」と20年以上もの罹りつけと同年齢という事も有り、お酒や嗜好に着いてもいろいろと笑い話の中で過ごしてきたのである。 それが、今回は「ノーマーク」だったのである。 触診と医師自らの血圧測定も120/70という数値で「いう事なし」だったのである。 かつて診察3分、という言葉が有ったけれど、笑顔3分のいい日だった。 ところが、好事魔多しという事はあるもので、調子に乗って「こんなものは」と刃物を触ったら、はずみで指を傷つけた。 自重、自嘲。2024 年11 月14 日
今年の葉唐辛子
今年のあれだけの「例年と違う」気候変化が有ったので、猫額の畑では、思ったよりもかなりの被害だった。 以前にも紹介したが、そんな中でも「思った以上の収穫」が有った物のうちの一つが「鷹の爪」だった。 最盛期は大分前に「そろそろ終盤」となっていたのだが、小さいながらも「真っ赤」な実がついていたので、育つがままにしておいたが、例年としての時期的にはもう1カ月ほど前に葉を主体に収穫する頃だったのである。 それが、結果としては、家内としては「失敗」だってのである。 家内は「辛すぎる実」よりも「適度に辛い葉唐辛子」が希望だったのである。 先日漸くすべて収穫したが、思った以上に葉が小さく、小さいけれど真っ赤で激辛の実が多数になった。 挙句、いつもと同じように家内が作ってくれたのだが、青い実はそんなでもないと思ったのか、それを大量に入れたものだから、「劇」がいくつも付くほどの物に仕上がった。 従って、今年の葉唐辛子はすべて私が消化役である。 楽しく長く美味しく頂こう。2024 年11 月13 日
軽い散歩
先日久し振りの「秋晴れ」に気分を良くして1時間弱の散歩をしてきた。 なるべく「陽の当たる所」を選んで、前後から車の音がすれば、立ち止まり「どうぞお先に」と合図して、急ぐ訳でもないので、基本的に「正しい姿勢で」を心掛けて背筋を伸ばし、足裏全体を使って耳には、愛用のウォークマンでラジオを聴き、ゆっくりと歩いてきた。 かつての「散歩励行」をやっていた時とはテンポは随分違うが、矢張り歳を考えればこれが適当だろう。 でも、自分で言うのもおかしいが、歩幅も無理しない程度に出来るだけ広くしているので、「モタモタシテいる」という事には成っていないと思う。 飽くまでも「自画自賛」ではあるが、これから冬になることを考えると、少しの陽射しを惜しんでこの程度の散歩を心掛けたい。2024 年11 月12 日
まだまだ教わることがある、事を知る
先日見た夢の事である。 夢だから「なんで」という疑問は挟まないで、当事者だったり、俯瞰者だったりして、結構楽しく見ていることが多い。 内容は、立場がどんな物かは全く知らないが、各神社の総元締めで、その指導に回っている一員になっていのである。 各神社では「指導外」の事も行われていることがあるので、その是正策について「命じる」というのではなく、相談に乗って善後策を論じている。 当然「指導」なので此方が有る意味で「教える」立場なのだが、神社に依ってはそれが出来ないことがあり、その事情を聴いて善後策を議論する中で、此方が知らないというか考えに落ちが有ったりすることがあり、教わることが沢山ある事に気づかされたところで、覚めたが、いい夢見だった。2024 年11 月11 日
来年の予定が入った
先日のOB会の次回予定が年1回だから来年の日付が有っても驚かなかったけれど、歯医者の次回予定が2月と言われたときには「エッ」と思ってしまった。 一連の治療が終わっての前回から「今後は3カ月おきで良いですね」と言われて、何の気なしに「はい」と答えていて今月の診察日になったのだが、当然来年になっていて当然だったのに気が付かなかったのである。 そう言えば「良いお年を」という挨拶を忘れて終っていたことを出てから思い出した。 来月に予約になっている癌の経過観察も、2回前くらいから3カ月になっているのだから、今度辞去する時には先生にも看護師さんにも今年の感謝と一緒に挨拶を忘れないようにしたいものである。 世の中には「カスハラ」という事で「金を払って見てもらってやっているのだから」とい態度を取る患者さんがいらっしゃるというのは現実で、つい少し前に目撃したが、「良き患者」で居続けたいものである。2024 年11 月8 日
歩くのが遅くなったのかな
一昨日のOB会の為に久しぶりに、金沢へ出かけた。 今まで駅までは13分くらい見ていれば十分だったのだが、小雨が降っていた所為もあり、未だ、途中正月地震の影響で浮き上がった様な所の補修の関係で、少し遠回りになった様で、駅に着いたらぎりぎりだった。 金沢駅に着いても、会場は直ぐに見つかったのだが、所定の時間までは未だ時間が有ったので、久し振りの金沢の賑わいを見て回ろうと、気ままに、「姿勢に気を付けて」(これは昔も変わらなく、人が猫背などで歩いているのを見ると「確りしなければ」という気持ちになるので自然にそうなる)時間にして30分くらいだろうか、歩き回って、目の保養などを楽しんできた。 会が始まってからは、昔の仲間とわいわいがやがやと楽しく過ごし、幾つかのテーブルも回っていた。 昨日の朝になって、矢鱈メッタラ足が痛くなったのに気が付いた。 原因が分かっているのだけれど、直ぐに症状が出るというのは、まだ若いという事か、と苦笑いする。2024 年11 月7 日
「発声と健康について」
昨日のデータ同友会での講演会は、今までの「技術動向」「経営動向」というようなものと全く違った内容の物で、表記の通りで楽しく自分にとっては「わが意を得たり」というものだった。 令和2年の春頃に罹った「咽喉癌」からもう足掛け5年になり、サイバーナイフの治療終了から足掛け3年になり、現在は3カ月ごとの「経過観察」期間が続いている。 現在のところ「再発・転移無し」で経過良好である。 今回の公演では、まず「正しい発声が出来ているか」という事で、発生を15秒継続できるか。 これは5年前に機械で計測されて「声が30%くらいしか出ていません」と診断されたときと同様である。 今では15秒は未だ到達していないが10秒は超えている。 次が「活舌を良くする」という事で、現在朝起きてベッド内でやっている「腹式呼吸と10カウント発声」で励行している事と同意だった。 同級生には別の癌だけれど、経過観察が10年経過して「もう来なくて良いよ」と言われた者も居るので、無理せず続けていこう。2024 年11 月6 日
掛け軸の理解
私が子供の頃には確か無かった掛け軸だったと思うが、今回整理した中から出てきたもので「そういえばこんな掛け軸が有ったなぁ」という事で、今月から床の間に掛けた。 掛け軸には「黒い竹」墨一色で描かれているだけで、箱には「墨竹」とあった。 字の示すとおりである。 「墨竹」という事で調べてみたが、似たような軸が無かったので「お宝」と言う程の値打ちが有るとは思えないが、それでも父の意思が有っての物だろう。 ネットで調べると意味は色々とあるようだが、いずれも中国の文献などから引いたもののようである。 決めつけることはできないので、幾つかある意味の中から、あくまでも父が思っていたのではないかという思いと「私の好み」という事から「清浄且つ孤高の境地」という事にして、箱の中に書き留めたものを残しておこう。2024 年11 月5 日
園芸作業
どうも天気が悪い(と自分の所為を天気に転嫁しているのだが)ので、中々上手く育たなかった秋野菜だったので、心機一転「やり直し」を決めて先日の天気の良い時にやり直した。 大根はキチンと株間スペースを取り、苗の小さい内に強い雨がっ降ったため(これも天気への責任転嫁である)の反省を込めて、苗フードを被せておく。 次が、玉葱苗である。 何度やっても「畝づくりが下手」(これは完全に自分の所為である)なので、今度はある程度余裕を持たせた広い畝にして、穴あきマルチを確りとして、浅植えにならないように、しっかりと深い穴に苗を差し込んで、培養土で押さえておく。 チューリップは昨年は花までゆっくりと愛でたので、掘り起こした球根は小さかったので、新しい球根を買ってきて、昨年の所は掘り起こして、新しく培養土に肥料を混ぜて埋めてから植え付ける。 最後が、苗を買ってきたのだが、雨で駄目になった(これも責任転嫁)豌豆は、改めて冬越しになるが種まきから始めた。 果たして結果は如何か。2024 年11 月1 日
努力はするが無理はしない
どうしても「これ位なら」と無理をしてしまう自分がいる。 これは、今年になってからも何度か自分に孜々聞かせている事なのだが、調子に乗り出すと、この歳に成っても「若気の至り」という事で突っ走ってしまい、ついつい限度を超してしまっていることを反省する。 具体的に挙げて紹介するのもみっともないので、止しておくが、今の所は、大きく失敗とまでは行っていないと思っているから、この様なことを呟けられるのであろう。 年齢は別として、それなりにそんな気持ちになれることに感謝しなければならないと思っている。 反省と同時に感心もしている。 さて、今日から「霜月」。 そろそろ行き過ぎないように、雪吊りを始めとした「冬支度」をしなければ。 その為に庭の鉢物の整理なども必要だから、身の回りを見渡すとやる事が多くある。2024 年10 月31 日
掛け軸の整理
お正月には決まって掛ける天神様の掛け軸とお盆に掛ける観音様の掛け軸は別として、父の頃からの掛け軸が有ったのを思い出して、一度整理することにした。 正直言って「良く分からない」というものが多い。 まずは、今掛かっているのは、「松の木に長い紐の先にぶら下がっている土瓶」を書いたものである。 これは、その年によっても違うが、9月から10月一杯くらいまで掛けている。 木箱に入った「五言二行の書」というものが有り、この箱には赤い印が押されている。 平野という名前が書いてあるので、平野さんのお祝いの時にでも戴いた物だろうか。 文字が5文字ずつ2行に亘って書いてある。 横幅が広い「墨竹」と書いてあるもの。 これは、見ていて何となく落ち着く。 墨絵の中国の絵に良くある「高い山から流れる渓流の淵に庵が有る物」が有る。 その他は、私が中国旅行で寒山寺に行った時に買った「知足常楽」と書いたものが有るが、これは然程高価では無かったし、私の名前の漢字が入って居たことと、園芸高校の時に教わった真ん中に四角い湧き水口が有り、五隹止矢文字が有る蹲が気に入っていたからである。 このほかに鮎が上を向いて泳いでいるものが有ったはずだがと探したが見つからなかった。 せめて各軸1年に一度は風に当てたいものである。2024 年10 月30 日
見た夢の想い出
「Hope」という意味ではないが、時折記憶に残る夢を見る。 ほとんどの場合「夢だから『何故か』を問い詰める」という事は無い。 でも「もしかしてこんなことが事が引き金の一つになっているのではないか」と思い出すことがある。 勝手な物で「余程怖かったりする夢は『確か見たけれど』ということで内容が思い出せない」ことで、忘却の彼方になってしまうのが幸いである。 先日の夢は「豪雪になって、除雪要員として駆り出されているのだが、何故か私が行くところでは、簡単に除雪が出来る様になっていた」というようなそれこそ、夢のような物だった。 私が思い出す「豪雪」は昭和36年と38年の物である。 それはどうでもよいとして、参加させていただいている「学習会」で先日最寄り駅での除雪模様の写真が出てきた。 今で言う「ママさんダンプ」の大型の物で、写真で見る限り「木製」の物で、引き手と押手がそれぞれ5人くらいで、駅の除雪をしている写真だったのだろう。 簡単に、というのは先日我が家の除雪機の事前点検が上手く行ったことだろう。2024 年10 月29 日
これからが本格的な論戦
まだまだ選挙戦の残り火が残っているようだけれど、兎にも角にも「数字の上」では従来の「与野党逆転」が実現した訳である。 今までは「数は力、力で勝つ」と言ってきた与党に対する「基盤」は出来た訳である。 一朝一夕ではできない事は、与野党に限らず誰も期待していないが、「一つ一つの事」に期限を定めて徹底的に議論していただきたい。 期限を定めないと「一歩も引けない」という事で「餓鬼の喧嘩」になってしまうから、今こそ「小異を捨てて大同に」という考え方で国民に分かるような議論の徹底をお願いしたい。 それができなければ、議員を辞める位であってほしい。 でも、八百屋で魚を買う程になるのかなぁ、2024 年10 月28 日
先日の夢の詳細
2時頃に目が覚めて、何故か(これも夢だから)まだ新聞が届いていない時間帯なのに、新聞を取りに行って、(これも夢だから)何故か同じ新聞が2部入って居る。 ここで寝ぼけ頭(未だ半睡状態だから)で、これは誤配だろうか、新たな勧誘手段だろうか・・・と考えたが、そう言えば以前再配してくれと頼まれたような気がして、近くの踏切の傍にある方へと言う事なのだろうと、仕方なく着替えて届けに行くと、もう白々と夜が明けていて、届けたのだが、本来の今日の分が既に届いているよ、と言われたので、まごまごしていると、配達員の人が近くに居られて、私の行動に感謝してくれている。 これで、夢が終わり、気が付いたらまだ時間が、夢の始まりから30分ほど経ったままでベッド内で目覚めて、又寝した。 悪い夢では無さそうだろう。2024 年10 月25 日
然程野球キチではないが
個人的に好きな選手は沢山いるが、野球のプレーにはそれ程興味が湧かないが、現役時代やリタイア後の言動に結構惹かれてのファンである。 それにしても、今回の大谷選手は、成績にも一喜一憂したのは事実であるが、それ以外の活動を始めとした言動に結構惹かされている。 グラブの寄贈や50-50のボールの価値の高さなどにも目を瞠った。 また、通訳の使い込み事件についても、その人間性としての「ポカ」にも、ある種の共感を覚えた。 そして、今回のWS進出にはかつての松井選手が所属したチームとの対決である。 松井選手も取ったようにMVPを、とも願うこと自体が、野球音痴のファン心理である。
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