2025 年5 月22 日
2025 年5 月21 日
車の無い一日
今日は予定されているイベントが無いので、車の法定点検は、出掛ける用事もないから、朝取りに来てもらって夕方まで掛るというので代車も必要ないという事にした。 畑などは、熱中症の心配が有るので、朝夕の水遣り以外はせず、基本的には「室内作業」で過ごすことにしている。 着る物の夏物と秋・冬物の整理もまだ過渡期なので、中途半端だけれど、この地域特有の「梅雨寒」という事も有るので、最小限にしようとしておきたい。 記録だけは残しておいたけれど、少しサボっていた写真などの整理も出来るだけやりたいし、断捨離では無いけれど、読んでしまった本で、必要ない物は無償で引き取ってくれるところへ発送したい。 そんな風に思い出しながらやっていると、結構楽しく過ごせるものである、と期待しよう。2025 年5 月20 日
横着だけれど、それなりの効果がある 散歩とベッド内運動
先日同級生などとの無駄話の中で、「日頃やっている運動」とい話題になったが、矢張り多かったのは「散歩」だった。 このブログでも何度か紹介したが、リタイアして、父を見送ってから、当時流行っていた「一日一万歩」と言う事で、日記を繰って見ると17年続けていた。 リタイアするまでは、転勤族、出張族の一員で、金沢勤務になってからでも、2度の米国出張を初め、東京をはじめとして本社機関、何故かそこからの紹介で幾つもの地域支社を回っていた。 だから、散歩を初めて、えっ、此処にはあれが有ったはずだがを初め、野に咲く花の名前などをスマホで調べてみたりと、四季折々に楽しみがあり、帰って気が付くと2万歩に近い時もあった。 契機は別とて、それをやらなくなってからは、専ら「ベッド内運動」である。 それでも、それなりに鍛える部分は色々な本で読みながらやっていることを紹介すると、飽きられ8割、真似てみようが2割くらいだった。 それでタイトルに戻る。 「何もしないよりはいいだろう」。2025 年5 月19 日
結局AIは「商売道具」
正直なところ、AI技術に関する情報にはまだ未練たらしく縋りついているけれど、だんだん興味が薄れつつある自分に気が付く。 ニューロンコンピューター技術や量子コンピューターと相まって各社が協力して、医療分野を初め、「平和目的」へ進むと思っていたけれど、トランプ氏だけじゃなく、各社が「覇を競う」という状態になっている。 コンピューターが戦争のための「弾道計算機器」として開発されたことより、遥か数百倍で効かないほどハードソフトともに高性能になっているのに、「これを売って金儲けをしよう」だったり「我が国が世界を凌駕しよう」と言う姿勢ばかりがミエミエである。 これじゃ人間が押さなくても、核攻撃のボタンがAIに拠って押されて、結局地球の破滅時計が終わりを告げるのではないだろうか。 ミステリー小説では無いが、「そして誰も居なくなった」と言う事には絶対になって欲しくない物である。2025 年5 月16 日
お休みの間にやった事 ゆっくりやった
サンデー毎日の生活も長くなったが、それでも殆どのイベントは無く、時間的な束縛感は解き解かれたので、気持ち的には「ゆっくり、確りとやろう」と言う事に決めて、取り組んだ。 とはいうものの、性根としての時間貧乏性だけは治ることが無いので、どうしても「アタフタ」という事に成ってしまった。 それでも、気が付くと「是じゃ駄目だ」と思い直すことも度々だった。 でも、それが結構楽しく感じたりしていたからそれでも良いのだったろう。 そんな訳で、結果として「断捨離」と言う事は出来なかったしやらなかったけれど、ゆっくりと過ごすことが出来た。 でも、結果として「言い訳」になるけれど、確実に出来たことは「時間を持て余す」と言う事は無かった。 そんな中で、私にとっては、非常に共感を覚えたことばがあった。 「浪費するのを 楽しんだ時間は 浪費された時間ではない」バートランド・ラッセルの言葉、と紹介されていた。 如何でしょう。2025 年5 月15 日
お休みの間にやった事 園芸作業
果たして「園芸作業」と言えるのかどうかはさておき、関連作業にそれなりの作業が行えました。 冬の間雪の下になっていたプランターの土をブルーシートを広げて崩しながら天日に当てて、防虫や残って再利用が不可能と思われた球根などを篩器で選り分けて、鉢底石として使用していた石も分けて、しっかりと水と雨に曝して再利用可能な状態にしました。 篩い分けた土も同様に中粒の物と大粒な物に分けて、これは水に合わせる訳には行かないので、天日に曝して再利用可能な状況にしました。 使っていたプラスチック製のプランターも穴が空いたりして再利用不可能な物は、市の資源ごみ回収の日に出しましたが、まさか泥の付いたままでも出せないので、水をストレート放水で洗って出しました。 勿論休暇中が晴天ばかりでは無かったので、雨に当たらない様にと、用土の袋や肥料袋を割いて、覆いもしました。 文字で書くとこれだけなのですが、晴天時の篩い作業は細かい砂などに塗れたり、それなりに大変でしたが、これで用土を少しは買わなくて済んだと思うと、金額ではなく、満足感でいっぱいでした。2025 年5 月14 日
お休みの間にやった事 読書
いい意味でも悪い意味でも「父親譲り」の「本の虫」はこの休み中も如何なく発揮した。 いい意味では、ビデオと同様「無差別」に読み漁った事だろうか。 悪い意味では、全てでは無いが「途中まで」になって終ったことだろうか。 昔息子に買ってやって、その後は息子が自費で買った漫画本や、「プチ」と言っては失礼になるかもしれないが、小説「のような物」も「どんな物かな」という一つの「覗き趣味」的な感覚だった。 また、まだまだ残っている父の蔵書に加えて、自分の買った本でも、「生きる」という意味でのものだが、余り肩の凝らない物も楽しく読んだことだった。 一つだけ気を付けたことは「好い加減に読み飛ばさない」と言う事に置いた。 何でもゆっくり読んでみてごらんなさい。 結構「読み間違い」が有る物ですよ。 多分私だけではないと思っています。2025 年5 月13 日
お休みの間にやった事 ビデオ鑑賞
以前にも紹介したが、テレビ番組は余程の事が無い限り、録画番組で見ている。 少し前に流行った言葉に「タイパ」という言葉があって「なんだそりゃ」と訳を知って「そんなの随分前からやって居るよ」と思ったほど、リタイアする前からやっていたのである。 基本的にCM(CFと言うのが正しいのかな)部分は飛ばして、音楽番組は特に「解説部分や経験談」などはスキップして見ている。 それだから、大分消化できるだろうと思ったのだが、結果としては思ったほどの1/3くらいしか消化できなかった。 でも、NHKの番組や放送大学の番組、ニュース解説的な池上さんの番組や、クイズ番組なども、教養部門と言う意味では、殆ど倍速機能は使わなかった。 失敗談や、子供や動物の楽しい失敗ビデオなどは大笑いしながらも楽しく見た。 特に、ドリフターズの大仕掛けの舞台での物は、当時に返った感覚で見ていた。 東映やくざ路線の映画も数編見て、見終わった時には「高倉健や鶴田浩二になった様な事をしていた頃」も思い出した。 でも、やはり一番多かったのは「懐メロを」を中心にした音楽番組だったけれど、そんな中でも戦前戦後の歌が懐かしかったなあ。2025 年5 月12 日
米中の猿芝居
随分長く「春休み」を頂きましたが、調子は頗る快調です。 予定していたブログネタは少し日延べにして、今回は「米中の猿芝居」について書いてみたいと思います。 トランプ関税芝居は、いろんな所でいろんな影響を生んでいることは、幸か不幸か「直接」は関係ない所で、なるべく被害に遭わない様にと家族そろって平穏になるべく過ごしています。今回の米中の猿芝居の結末は、数値的にはどれだけになるか私にはわかりませんが、お互いに100%を超える主張をしていたのに、先に「やるんなら勝手にやんなさい」と匙を投げたのが中国。「この裏には、そんなに要らないなら勝手に関税をかけて高い物として買いなさいよ」という事だったのだろう。しばらくして「相手が恭順な態度を示せば40%まで下げる」と言ったのは米国、恭順でないなら下げないよ」という意味だったのだろうが、相手はそれにも反応しなくなったので、「相互理解の場を世界に見せつけて手打ちにしよう」と相なった。そんな事は、私はシナリオライターでもないし、脚本家の素質も持ち合わせていないが、少し考えれば容易に作れる芝居だったのではないか。(笑)2025 年4 月28 日
御免なさい、今年も人並みにGWを戴きます。
全国的に「好天」が望めますようで、皆様先ずは「安全第一」で楽しいGWをお楽しみください。 再開は5月12日とさせてください。2025 年4 月25 日
読書感想文
昨日に続けてであるが、これは長い間楽しませてもらった。 途中このブログでも一部紹介させてもらった事も有るが、「ことわざ(故事・金言) 」(福音館小辞典文庫 刊)である。 メインの部分の「書き写し」は休みも有ったけれど、「1日3言」を一つの糧として、2023/4/15〜2025/04/23で終えることが出来た。 これは確か就職する少し前に金沢市の確か香林坊近くの「福音館書店」(2012年5月閉店となっている)で値段も定かではないが、360円位だったのではないだろうか、自分で購入した物である。 何故この本を、と言われると全く覚えていないが、決して万引きなどでは無い事は、今まで持っていた事でも確信できる。 残念ながら、この書き写しを始めた時に、「終わったページは捨てていく」と決めたから、目次などは残っていない。 多分購入当時は平気で読めた文字だが、今では「読むだけ」なら出来るけれど、書き写しになると「拡大眼鏡」のお世話に成らないと、疲れるばかりである。 トランプ旋風が吹き荒れたり、独裁者が跋扈するこの時代に有っても、これらの言葉のうちどれかが当たっていて「その行動は正しくない」と言っているように思える。 手に取られる機会があれば覗いてみられては如何だろうか。 勿論決して、私がそれを守っているかと問われれば、間断なく「No!」と答えるだろうが、「一つでもやっていることがあるか?」と問われれば「数限りない」と答えるだろう。 これで書き写しは、まだ終わらず、メインの終わりに「引用書解題」という説が有るので、これを完全に「読む」ことはやっておこうと思っている。2025 年4 月24 日
読書感想文
昨年の10月4日から、「漢字王 四字熟語」という本を意味は解説のみとして、1日4-5問の四字熟語を書き写してきたが、昨日の朝完結した。 今年に入ってからパチンコは一切やっていないが、ほぼその時間を「漢字クイズ本」との楽しみで過ごしている。 漢字クイズ本は今までも時々懸賞応募していて、過去に1回だけ5千円の図書カードを貰った日ことがある。 多分過去からの雑誌購入分よりも多額だったから、嬉しかった。 パチンコの代わりに何にしようかと昨年半ばまで考えていたのだが、結局これにした。 そんな時に、父の蔵書の中から出てきたものだから、うまい具合に噛み合った訳である。 例によって目次を紹介しておく。 目次 まえがき 例題 [第一部] 漢検5級編(39問)〜[第五部]漢検1級編までで、全ての[部]で39問ずつの出題である。 クイズ本だけではなく、漢検は一度受けと見ようと思ったけれど、その当時色々な問題が有ったので、問題集を買っただけで此処迄来たので、それにれに知っていると思ったけれど、結果としては3級編までで使い果たしてしまった。 漢字クイズ本はまだしばらく続けると守だが、この本については、「読めたけれど意味を知らない」と云うのも有るので、後継本は用意してあるのだが、調べることは続けていこう。2025 年4 月23 日
園芸作業
先日から、合間を見つけては、特別何をどれだけ植えるかは別にして、畑の草刈りと粗お越しをしてきていた。 ほぼいつも通り茄子、胡瓜、と豌豆にすることにして、一日に1畝、という事にして、無理しないという事で畝づくりしてきていたので、昨日漸く苗を買って着て植え付け始めた。 これも1日1畝と言うことにして、昨日はまず茄子を4株定植した。 それはまぁ、良いのだが、畝づくりの時は、まだ蜂さんや虫さんも「まだ早いのじゃないの」という感じで登場していなかったのだが、昨日は流石に陽射しも強く気温も高かったので、勢ぞろいで出動されたようであった。 それで出直して、帽子は、オニヤンマが付いた帽子にして、蚊取り線香を付けた籠を首から下げて、やる事によって、殆ど気に成らなく済ませることが出来た。 これ以上暑くなると、空調服の登場である。 今日は雨なので外作業は無しで、その心配が少ない育苗作業の予定である。2025 年4 月22 日
昨日と同様な事だが「シーツ替え」
「シーツ替え」自体は然程難しい事では無いし、両方用意する事は無いのだが、「下に敷くシーツ」はベッドマットを包む形になっているのである。 今流行りの軽いマットでは無いし、木製ベッドに嵌め込んだ様にピッタリと入っているので、その「剥がし」で汗をかいてしまうのである。 だから少し億劫になるのである。 でも、先日はその作業をやる前に、少しくサボっていた畑作業をやって、汗をかいたので、「此処までやったついでだ!」(この辺がまだまだ「気だけ若い」心算のやり過ぎなのだろうが)とやり始めたのが良かったのかもしれないが、意外に思った通りに出来た。 喜寿も過ぎたのに、無理はしない様に、と自分に言い聞かせた。2025 年4 月21 日
麦茶シーズンの始まり
うまい具合にと言うか、先日から暑い日が時折有ったりした時に、冬シーズンで愛飲していた「ほうじ茶」が底をついた。 中々踏ん切りがつかなかったけれど、流石に私としては「ヘビー」な園芸作業を行い汗びっしょりになったので、決断した。 大体いつもこの時期に悩む問題である。 「両方用意しておけばいいじゃないか」と言われる方も多いと思うが、その辺で、私が良くやる失敗は「爺ちゃん、あれいつ作ったお茶」と孫などに言われることである。 一つの容器に入れたものは「飲み干しておこう」という気持ちになるのだが、だからこそ「一つが忘れ去られてしまう」のである。 今年は、すっきりと切り替えたから、それは無くなるだろう。 勿論これから迎える「梅雨寒」に対してはワンカップ用ティーバッグを用意している。2025 年4 月18 日
おかしな犯罪、なのかなぁ
先日、どこ迄真実で、具体的にどんな図画だったのか知らないから、軽率に言うべきでないことは理解しているつもりだが、「AI技術で描かれた図画が原因で逮捕された」という記事が目に留まった。 江戸時代の「あぶな絵」には男女の陰部が誇張された図画が描かれていたと聞くし、現在でもそのたぐいの図画はネット上だけではなく、本屋さんの特定の場所には置かれている。 年齢的には、もうそれを買う程の気分には成らないが、「我、木石に非ず」と言う助兵衛根性は皆無にはなって居ない、心算である。 それはさておき、AI技術で作られた、という事が逮捕要因になるのだろうか。 私自身はその手の才能がないから専ら「分からないことを教えてもらう」という程度でしかAI技術を使っていないが、例えば、その技術を使って銃刀法違反になるような物を作ったらやはり逮捕要因になるのだろうか。2025 年4 月17 日
漸く万博の開会式を見た
当日は何やかやと立て込んでいたので、昨日になって漸く開会式をビデオで1.3倍速で見た。 実は前回の大阪万博は研修期間も終えて、新しい配属先に着任した年で、とてもそんな所へ出かけている暇がなかったし、いい意味でも悪い意味でも「コンピューターの黎明期」の真っ只中だった事も有り、自分の事に我武者羅だった。 それに、今回は世界情勢も含めて、そんな事に興味が無かったので、自分の興味のあるAI分野、立体画像関係による「その場にいる感覚」など数ポイントだけにしか興味が無かったので、開会式についても、興味が湧かなかったのである。 興味津々だった方々には、申し訳ないけれど、終了までに一度は「気が向いたら」出掛けてみることにしようか、と言う感じである。 そう言う感覚で見たものだから、開会式自体もあまり興味が持てなかった。2025 年4 月16 日
マウスの動作が快適になった
相変わらずPCが家族に次いで大切な伴侶になって居たのだが、昨年後半から、どうも「思った通りに動いてくれない」という事に成り、その所為か「右腕が軽い腱鞘炎(大袈裟だなぁ)」になりかけていた。 ところが、「これではならず」と言う在職時に良く使った論法「都合が悪かったら、とことん調べて治せるものは治せ」根性を発揮して、色々と調べてみたが、結果としては単純な原因で、漸く「良き伴侶」ぶりを発揮してくれている。 原因は「マウス内の埃による位置情報の間違い伝達」だったのである。 分って終えば、「なんだ詰まらない」と言う事なのだが、「自分で、調べて、細工して」が実を結んだことに満足の楽しみを感じた。 マウス自体は買っても安いものだが、それ以上の喜びを味わえた。2025 年4 月15 日
箴言も少し変えれば
MAGAはどこかの大統領の「ナントかの一つ覚え」だが、GをGangに変えているのが現在の実情ではないか。 それとは別にして、最近になって「大男、総身に知恵が回り兼ね」という「解れ」が徐々に出始めていると思うのは政治経済素人の私が思うだけではないのではないか。 今の大統領閣下の元をただせばどこからの移民だったのだろうか。 日本にはたくさんの良い言い伝えがある。 「実るほど首の垂れる稲穂かな」がその最たるものではないだろうか。 私にはその才能などは欠片も無いが、好きな落語の一つに「百年目」と言うのがある。 そこで、旦那さんが番頭さんに言い聞かせる件が楽しくて涙が出るほど嬉しい諫言をする。 細かい事は別にして、「赤栴檀(しゃくせんだん)」とその周りに生えている「難筵草(なんえんそう)」という所である。 このブログで語ってみたところで、「ごまめの歯ぎしり」にしかならないが。2025 年4 月14 日
やっぱりドリフターズのギャグは面白い
少し前に録画した「ドリフの全員集合」を、少し時間が空いたので、見てみたが、1980年代だというから、当時私も子供と一緒になって、一部に「俗悪番組」と言われながらも大いに笑って楽しんだ番組である。 その多くの方が鬼籍に入られたが、矢張りいかりや長介さんと言うタレントには、人並外れたセンスがあったのだろうと思う。 その後、時々「ドリフの〜」と言う番組が有ったけれど、精々10分ほど見たけれど、直ぐに見なくなって20年近くになると思う。 それが今回見たのは「偶にはどんな物かなぁ」と言う郷愁に誘われたからだろう。 破天荒な演出があった事は、必ずしも誉められたことではないかもしれないが、暫くは保存版にしておこうと思っている。
| 1 /150 ページ
|
次の20 件
>>