2025 年1 月17 日
2025 年1 月16 日
放送大学受講の準備
暫くサボっていた放送大学も、今年からまた始めることにした。 現在は、今までの総集編的な物のオンパレードだが、その合間に「特別講義」が有るので、それを楽しみにして受講している。 正直何度聴いても「そうだったか」「そうだったよなぁ」と自分に言い聞かせたりしながら、それだけでも楽しい。 そんな気持ちで、来年度はどの科目を受講しようか、楽しみである。 勿論新年度に新しく始まる講座もあるが、タイトルは同じでも内容が少し新しくなっている物も有るので、括弧書きで表示してある年度も気を付けてみたいものである。 資格を取ったりする気持ちも無いので、いつまで経っても無料であるのも楽しい。 何度聴いても飽きないし、難しい論理も要らない講座でお勧めは「錯覚の科学」だろうか。2025 年1 月15 日
急な着替え
時々、孫娘から「今から駅まで送って」とベッドにいる時にお願いされることがある。 さて、皆さんはどのように準備されるだろうか。 私は、これで数回同じ様なことがあるので、最近は「咄嗟の着替え」を準備している。 まず、部屋着としてのズボンを穿く。 もう随分前から「脱パンツ健康法」と言うのを励行しているので、パンツなどは付けないし、元々「ステテコ」というものは使わないので其の儘である。 今の時期は、さすがに外は寒いし、安全運転上も不可欠なので、ぶかぶかだけれど室内長靴とでもいうような確りとした防寒具を身に付ける。 上は、厚手の防寒具で、パジャマの上から着て、確りと襟元迄ファスナーを止めて出掛ける。 この準備作業はどんなに掛かっても1分くらいで出来るので、重宝である。 もちろん、万が一車から降りなければならないとしても、30分くらいなら耐寒できる。2025 年1 月14 日
懐メロが好きだが
今では、ネット上を初めとして「懐メロ」が彼方此方で聴くことが出来る。 以前このブログでも紹介したが、好きな懐メロがリアルタイムで流行った頃の私はまだ小学生になる前だった。 何故こんなに好きなのかと言うと、貸本屋をやっていて、平凡、明星と言う雑誌が毎月入ってきて、付録の歌詞本が自由に手に取れた。 3歳ごろに「小児疫痢」という病気に罹って、4歳上の姉が良く負ぶってくれていたのだが、歌が好きで負ぶいながら歌ってくれていたから、そして多分一番の原因は今はもう無いが入院していた病院の横に映画館が有った事だろう。 話を元に戻して、懐メロ番組を聴くことが多いが、彼ら彼女らのお師匠さんの影響かも知れないが、「現代ではこんな編曲が良いだろう」と言う事で、それが私の感覚に合っていればいいのだが、残念ながら「昔の音楽」が残っている物だから、あまり好きになれない。2025 年1 月10 日
財布へのインカムは歓迎だけれど
ニューヨークタイムス紙が「2025年行くべき場所52カ所に富山市!」と発表したことで、県都として「褒められた」と言う事は同慶に堪えない。 しかしながら、外国観光客の「インバウンド」はそうなのだが、先進都市として上がっている各所でどの様な「被害」が出ているかお忘れに成ってはいないだろうか。 「食べ歩き」で済むのであれば、ある意味で「微笑ましい」かもしれないが、昨今報道されている渋谷の街頭での行動や事件に対する備えは十分なのだろうか。 「物売り」でのインカムは良しとしてもその後の始末をも考えておくべきではないか。2025 年1 月9 日
一つずつ、一つずつ
今年もそろそろ正月気分も抜けて、普段の調子に戻ります。 今年も相変わらず「慌てず」を柱にして、年とともに近づくことに「畏怖」の気持ち持って、「感謝の気持ち」で過ごしていきたいと思っています。 その為にも「一つ一つ」確認しながら進めていくつもりです。 ですが、正月から、中々そうは行かないのも、例年通りなので、言い訳にしかなりませんが「此の程度でも良かろう」という気持ちも併せ持って一日一荷を過ごしていきたいと思っています。 此処まで読んでいただいた方は、既にお気づきの事と思いますが、文章は極力短くしています。 長くなると、もともとの拙文がより目立つて終いますから。2025 年1 月8 日
ナント体重が79.0でがっかりと、やるぞっ
昨日の事である。 私自身は「サンデー毎日」の生活なのだが、矢張り「お正月」と言う目出度さに昨年と違って「安心感」が加わった所為もあったのだろうが、気分的には「連休」生活だったし、食事も「お節を始めお正月の残り物」の整理もあったので、ツイツイ飲み・食べ過ぎになって終った。 挙句に「身体を動かす」というような運動は全くやっていなかった。 そして、この日の朝、体重計を見て「ドン引き」になって終った。 78になった時点で「少し食べる量を少なくしなければ」という意識はあったのだが、美味しい好物が有って、誰も「おあづけ」と号令を掛けないので「まぁ、良いか」で過ごしたせいだとすぐに気が付いた。 主に「米」を中心に減らして、その分野菜を多くして満腹感を満たした。 その晩、寝る前に計ると78.8。2025 年1 月7 日
漫画Black Jackを読み終えた
年末から読み始めて「今年中には読み終えよう」と目標を立てたが、結局4日になって読み終えた。 話の筋書きはとてもじゃないけれど、医学知識が全く無い私にはできるわけがないが、結果だけはお伝えしても良いのではないだろうか。 Happy Endで、B.J先生は亡くなって居なくて、健在のままである。 漫画雑誌とは言え、17巻全てを読み飛ばすことはせずに、熟読した事の達成感は、久し振りに味わう快感だった。 息子の購読本だったが、まだいくつか全巻揃えた物が有るとの事だから、暇を見つけて読んでみよう。2025 年1 月6 日
改めましておめでとうございます
皆様にはよい年明けになられたのだろうと拝察いたします。 どうしても昨年の地震の事が頭を離れず、元日の午後4時10分(能登地震の発生時刻)を過ぎるまでは、風の所為だったり、何かの拍子に思い掛けない音がしたりしても、「又かっ!」という感覚が蘇りました。 でも、人間の感覚というものは、そういう意味ではすごく便利に出来ていて、それを過ぎると、少し時間が早かったのですが、家内と二人だけのお正月祝いで今年は「富山ブランド」と言う新しいお酒で祝いました。 日本酒のブレンドという感じなのですが、思った以上に美味しく頂きました。 年賀メールも楽しく読みながら「良き正月」でした。2024 年12 月20 日
いよいよ明日で今年の書き納めとさせていただきます
昨日書いたように「特別なことも無いのに、やる事がいっぱいできる」と言う「やるせない楽しさ」を始めたばかりの時に、よりによって「毎日の必需品」であるメインPCの調子が良くなくなった。 部屋にも古いタイプのWindows10のデスクトップが有り、こちらは貰い物なのに大画面で頑張ってくれているので、用途は専ら「趣味の世界」なので、多少の不具合は「出来ない子ほど可愛い」と言うつもりで、やるべきことはあるけれども「後でいいや」の世界である。 でも、決して疎かに使っているつもりはなく、10の寿命までは当然ながら使い切り、それ以上も使い続けたいと思っている。 片やのメインマシンは日記帳を初めとして小遣い帳やメール、ネットニュースなどで「日課の殆どが入って居る」物である。 そちらが「ネットに繋がらない、という状況になっただけ」でなく、例えば日記帳などはオフラインでも使える筈の物も同様にダメージを受けた。 結果として多分現在の私にとっては不要不急のUpdateが為されていたのが原因だったようで、それをアンインストールすること手で解決した。追記をみる
2024 年12 月19 日
年末にかけても、作業が一杯
今年もそろそろ大詰めですが、あと10日でも、正月飾りの前の大掃除を始め、日毎の作業が目白押しで、それなりに「大忙し」ですが、こんな忙しさも「生きて居ればこそ得られる一時」と考えれば、一つ一つを楽しみながらできるだけ手を抜かずに熟してゆきたいものです。 結局、年初考えた「断捨離」は中々できずに、下手と言われようと「宝」を懐古趣味として過ごしてゆきましょう。 片づけなければならない事は「分っちゃいるけど、止められない」で、気がつけは年が明けていた、という事でも「それも是」と考えればくよくよする事も有りますまい。 無理しないで身の回りの細かいことを「これも断捨離」だと思えば実感もわくでしょう。2024 年12 月18 日
ピーナツの薄皮、銀杏の薄皮
共に「若さを保つ」栄養分が有ることを知った。 秋ごろから収穫が始まって販売される、大粒の銀杏を朝食後に5粒ずつ食べることはここ10年以上続けてきていて、「顕著な効果」と言うのは特別揚げる事は出来ないが、基本的に「滋養強壮」と言うのが謳い文句らしいので、満足している。 プライヤーで殻を割ってから、それでも弾き飛ばないように、再利用紙の袋で包んでから、レンジに1分間かけると、奇麗な緑色や黄色になって美味しく食べられるようになる。 改めて殻を割って薄皮も丁寧に取ってから食べるのだが、ラジオ番組だったか、テレビだったか忘れたが、薄皮にも「加齢防止」という効果がある栄養素が含まれているの知った。 また、ピーナツの薄皮にも同様の効果があるのだとも知った。 千葉県在住の時には茹でピーナツは良く食べたが、この時は薄皮など剥がさなかったことを思い出したので、今後続けてみよう。2024 年12 月17 日
風呂上がりの足裏クリーム
この季節良くあることだが、足の裏、特に踵の部分の皮がカサカサを通り越して、ガサガサになるのである。 正に「鑢の如く」である。 それで、思い出したように、風呂上がりのすぐ後に、保湿クリームをたっぷり擦り込んで、雨天時に新聞を雨に当たらない様に包んでくる薄いビニールテープで足を確りと包んで、それだけだと滑って危ないので、室内靴下から暖房用の長靴下で包んでおいた。 そして一晩おいて、朝全てを脱ぎ取ると、思った通りに「スルスル、スベスベ」になっていた。 毎回やるのは経験上あまり効果が無い様なので、中3日措いて続けよう。 同じクリームを洗顔後にも使っているが、こちらも上々である。2024 年12 月16 日
感謝の一年
今年は何と言っても「能登半島大地震」での年明けだった。 被災地の方にはお見舞い申し上げるが、我が家は幸いにして、家が少しひしゃげたようで、数か所の戸の開け閉めがきつい所があるものの、僅少と言えるのではないだろうか。 今年も残りあとわずかだが、日記をつけているので繰ってみたが、大小の悲喜交々だったけれど、総じて言えるのは「感謝の一年」だったと思う。 例年は大晦日に唱える言葉だが「今、ここに、生きて居る、ことに感謝」である。 そう思いながら、1年間の日記を繰ってみて「これも感謝だなぁ」と思う事ばかりをも場合によっては「無理やり」に揚げ連ねて一層の感謝にしたい。 それでも「やっちまったなぁ」と思うことに対しては、「翌年にはしない様に」と前向きに考えたい。2024 年12 月13 日
今年最後の定期健診
偶々2日連続で定期検診を受けた。 内科は血圧、血糖がメインで、それ以外に血液検査で分かる数値についても「変化なし、現状維持で継続」と言う事であった。 こちらとしても、心配事は無いので、今年一年の感謝を申し上げて、「良い御年をお迎えください」と挨拶して辞去。 3カ月ごとの経過観察での咽喉癌であるが、これについても「痕跡もほぼ見えないほど奇麗になっており、転移の傾向もみられず」という事で、同様に今年の感謝と来年のむけての挨拶をしてきた。 歯医者は、少し早いが先月に挨拶してきた。 幸か不幸かは別にして、忘新年会は今のところ1件も入って居ないので、暴飲暴食の機会もないから、のんびりと過ごすことが出来そうである。 このブログも20日を今年最後にしようと思っている。2024 年12 月12 日
1年の振り返りの第二段
先日も紹介した1年の振り返りを日記をベースに思い出してみた。 以前にも何度か紹介しているが、私の日記ソフトは1画面に3年分が書かれるように設定してあり、去年、一昨年の同日付が嫌でも目に入って来る。 大掃除の時の畳の下の古新聞と似た感覚で目が行くので、それなりに楽しいのだが、それをやっていると本来の目的が終わらないので、今日は無視してどうにか11月迄の出来事を抜き出してみた。 ここでもトップは能登大地震だけれど、よく見ると、確かに被害の大きさの違いはあるけれど、あたらこちらで地震が発生していることに気が付いた。 また、在職時の先輩や知人の訃報も結構多く届いている事にも気が付いた。 好きだった芸人さんなども含めて、同年配の人も少なくない。 それはともかく、1時間ほどかけてまとめることが出来た。 先日のブログと今回の日記をトータルしてもう少ししたら纏めて自分なりの出来事としてまとめたい。2024 年12 月11 日
国際動向には疎いが
シリアのアサド政権が崩壊したという報道が有った。 私の知識が足りないからかもしれないが、独裁政権だったと思っている。 その人が同朋のロシアに亡命したとの報道である。 中国、北朝鮮、は元々その考え方であるが、民主主義の旗手だと思っている米国も何だかその種を孕んだ政権に成ろうとしているように思える。 その内に「両雄並び立たず」という事に成って、行く末が怖い。 残念ながら、頼りにしたい国連と言う所は「このままでは哀しい」と言うだけで、「言うだけ組織」にしかなっていない。2024 年12 月10 日
健康麻雀だから
話は昨日の続編である。 似たような状況が今度は私に出現したのである。 待ち牌は当然違うのだが、共通していることは「ドラ待ち」では無かったことくらいか。 所謂「四暗刻、リャンシャン聴」なのである。 ところがそれになった時には二種類が1枚も場に出ていなかった。 そんな時、その1枚が出た。 長い間の経験からすれば「これで上がれば満貫だから」という事で「ポン」と声かけていたのだろうが、だんまりを決め込んで「目指すは四暗刻」と構えていた。 もう一つの牌の1枚目が出ても、だだんまり。 これが2回あったのである。何方も上がれなかったから、正解だったとは言えないけれど。楽しかったなぁ。 現役の時は「兎も角和了優先」だったけれど、楽しく過ごす、という点では、矢張り健康麻雀の方が一枚上手のような気がした。2024 年12 月9 日
純正国士無双
今日は、3カ月に一度の健康麻雀大会。 私の結果は惨憺たるものだったが、前回は2位になっていたのだから、そんなにしょげるものではなかった。 其れよりも珍しい経験を随分久し振りにした。 勿論私が上がったり振り込むんだりした訳ではなく、同じ卓の人だった。 10順目ぐらいにリーチを掛けた人が居て、私の手はドラ牌が有る訳でもなく、とても向かっていける状態ではないのが最初からそんな雲行きだったし、幸いに立直の人には「安全牌」が次々に出てきていたので「そんな事も有るさ」と気軽なものだった。 ところが、親が危険牌と思われる6筒を通した直後、その親が「ロン」との声。 リーチを掛けた人の捨て牌が、東だったである。 上がりの手を見て驚いた。 「純正国士無双」である。 この役自体はこの会でも何度も見たし、私自身も「東街」で上がった事も有るのだが、「純正」はこの場でも初めてであった。 長い間にもこの純正は数度しか見たことが無かった。 久し振りに見事な手が見られたのが、今日の「儲けもの」だつたか。
投稿者:つねちゃん
at 20 :22
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墓仕舞いもそんなに簡単ではない
何でもそうだけれど、「始めることは簡単だが、仕舞うのは難しい」と言う事は、36年間のサラリーマン生活でも数度経験した。 一番印象に残っているのは、当時は大型のマシンを「償却する」ということだった。 残存価格が3桁の億である。 ところが、事務的なことは、金額ほど大変ではなく、右から左へとレーンに乗せた処理だけなのである。 ところが、実際にマシンの償却は、技術的な機密が漏洩してはならないということから、一つ一つの作業について細かく、隈なく写真を撮って証明する事だった。 それ以外に「最後の係長」という立場で数名の部下を異動させること、等々である。 今回の墓仕舞いも最初簡単に考えていたのだが、いろいろと難題が降りかかってきた。 それもどうにか目鼻がついて、来年のお盆供養は、新しく収めた所でお参りが出来そうである。
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