2019 年2 月18 日

形骸化

 始めた時には、それなりに「意志」をもって始めたことだけれど、それが何年も続くと、どうしても「形骸化」してしまっていることに気が付かれることは無いだろうか。  毎朝、毎晩、食事前に仏壇と神棚にお参りする。  両親や二男の月命日にはお寺さんにお参りに来ていただき、正信偈などをお坊さんに付いて口の中で呟きながらお参りする。  仏壇には、毎朝お仏供さんを上げ、仏花の水を取り替える。  神棚の榊については、日曜日と水曜日に榊を水で清めて水を取り替える。  起きた時には感謝カレンダーの昨日に丸印を付ける、等々。  細かいことを数え上げればまだあるだろうが、そのほとんどが「何のため」ということをその都度思い直しているだろうか、というとに気が付いた。  改めて「感謝と畏怖」について考えながらの行動だと意識したい。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月15 日

無駄にせず

 一部について、料理番を任されているところがあるのだが、食材については「勿体無い」という言葉の如く、出来るだけ端材も使うようにして、僅かだけれど「護美運動」に協力しているつもりで自己満足している。  食材だけでなく、わが家は殆どがIHだから、電気料の無駄にも気を使っている。  それはともかく、以前作った投稿集の作成のためにB5版の用紙を1束買ってあったが、結局はA4判にしたので、その殆どが余ってしまった。  残ったものを無駄にしないために、PCで両面に原稿用紙を印刷し、つい先日ようやく残らず「書き写し用」として使い切ってしまった。  一つの充実した達成感である。  少し細かく言うと、WordではB5版の用紙にウィザードで原稿用紙を印刷しようとしてもできない。  そこで、ルビ行等の幅もカットアンドトライでExcelで独自に作成したものである。 この後は裏白折り込みチラシをA4に切って普通に原稿用紙を印刷して使っている。
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投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月14 日

そこそこで良しとしよう

 在職中の仕事では、決して許されなかった「そこそこで良し」だけれど、リタイアしてもう20年近くになる今日この頃は、むしろ積極的に「そこそこで良し」と自分に言い聞かせている自分に気が付いた。  いわゆる「妥協」である。  在職中は「思っていても、決して口外するな」とそれが一つのストレスになり、単身赴任という環境もあってか、酒や麻雀、ギャンブルなどでお金を使いながらも「憂さ」を晴らしていた。  幸いにして「身を持ち崩す」というほどのめり込まなかったのは、離れていた家族からの時々の連絡や、上司、同僚、部下とお客様に恵まれていたからだろうと、今更ながら感謝している。  「そこそこで良し」の効用は、いろんな所にある。  昨日書いた「負けるものか」では決してなく、「及第点なら十分。二番だっていいじゃないか」である。  でも、決してこれは実戦で頑張っている人に伝えることではない、いやむしろそうであって貰っては困るのである。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月13 日

負けるものか

 かつて人がサボった時に、良く言い聞かせていたことに「水は低きに流れ、人は怠惰に落ちる」という言葉がある。  正確かどうかは別にして、必ずしも「性悪説」を取る訳では無く、むしろ「仕事の出来は性悪説で見ろ、人そのものは性善説で見ろ」と言い続けてきた。  先日も、同級生と話していた時に「どうしても、加齢とともにそうなるのだが、怠惰な自分に負けそう」という話題になった。  他人様に色々な面で負けることは、正直この頃はあまり気にならにいというか、その時には「口惜しい」と思うことは凡人の故当然あるが、「後を引かない」という事である。  今までは「あの時こうやっていれば」とかをウジウジと暫く考え続けて自分が嫌になったものだが、それが殆ど無くなっている。  でもしかし、「怠惰に落ちる」という自分に負けることにだけはなりたくないと思っている。  勿論それでも負けることはあるが、その時は「なぜ負けたのだろう」とウジウジではなく「どうしたら勝つことができるだろうか」と前向きに楽しく後を引かせている。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月12 日

同じ投稿が採用されていた

 勿論別の新聞にであるが、投稿者の名前は覚えていないが、内容は全く同じで「微笑ましい」情報である。  私もかつて地方紙2紙に投稿していたが、同趣旨の物は決して投稿しない様に十分な気を付けていた。  その為の一つの基準としては、「一つは微笑ましいものだけ」「もう一つは、生意気かもしれないが、政治的なものや生活の知恵」的なものにした。  私の知っている限りでは、同趣旨の物は無かったと思っている。  何故その様にしたかというと、当時はまだ母が少し認知症はあったけれど、昔から取っていた地方紙をどこまで分かっていたかは別にして、偶に採用される私の投稿で私の名前は分かるらしく、施設へ行っていても、私のことがそれで話題になるのが嬉しかったと言っていたからである。  母の逝去とともに、その地方紙の購読は辞めたので、今の1紙だけにしたのであるから、もし万が一内容がダブっても新聞社の方で採用しないから、その心配だけは無くなっている。  だから、怒りも微笑みも生意気な知恵も混在している。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月8 日

新聞の読み方が遅くなった

 今までは「少し興味のある記事が多かったなぁ」と思っても45分で読み終えていたのだが、最近は50分でも足りなくなっているような気がする。  特別難解な文字が出現しているとも思えないので、やはり高齢化していて、頭の廻り方が遅くなっているのだろうか。  いつも言うように、それ自体は「順調に歳を重ねられている幸せ」だと思えばいいのである。  でも、目が文字を追うのが遅くなっているのだとすれば、ずいぶん昔に「速読法」をそれなりに学習したことがあるので、その中の一つで「頭を動かさずに『俯瞰する』」という方法も訓練して見ようか。  それなら、無理なく出来るし少しは効果が出るかもしれない。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月7 日

孫の高校入試への送り

 今日は孫の私立高校の入学試験で、当中学校からはそんなに受験生が多くないので、バスなどの配備がなく「自己解決」ということになり、娘夫婦は平日でもあるので、勤務となり、爺である私に送って行くように頼まれた。  それはナントもないのだが、やはりきょう昨日の内から「験担ぎ」として帰宅して車庫に入れる時に「明日は前進で出られるように」と言う願いを込めてバックで入れておいた。  現代の女子高生には、言っても感謝も何もないと思うが、ささやかな爺の願いである。  また、お礼を言って欲しいとも思わずにやることに、私の思いやりがある。  いやいや、自己満足だけなのである。  結果としてその高校へ行くかどうかは、分からないが、「入学試験」ということであれば、やはり「合格」してほしい。

投稿者:つねちゃん
at 12 :44 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月6 日

暖冬に感謝すべきか

 私の日記帳は、以前にも何度か紹介したが、一画面で最大過去2年分の同日の記録が見えるようにできるものである。  昨年の今日のタイトルが「腰の高さまでの大雪」と言うものだった。  内容はさておき、今年はそれに比べて、現在までは、ナントも心地良い「冬」を迎えて、暦の上だけれども「春」を迎えている。  綺麗な雪景色から、まだまだ小さいが、所々に「蕗の薹」を見ることができる。  用心のために、昨年駄目になった「ママさんダンプ」という大型のスコップを買っておいたが、一度だけしか使っていないのも、楽しい思いである。  米国では、異常寒波に、大統領が「地球温暖化はやっぱり嘘だった」とのたまっているという馬鹿げた言葉が伝わってきている。  禅の言葉だというが、良寛禅師の言葉として聞いている「死ぬ時には死ぬがよかろう」というほど、「諦観」という境地には程遠いが、これも運命、と思えば全てのことが「良いこと」と思った方が前向きだろう。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月5 日

蛙の面に小便

 厚労省だけでは無くなった、各種統計での不正が続々出てきている。  担当大臣は「遺憾に思う」だけで、特別変わりはしないことは、本人も該当者も「分かり切っている」という様子である。  大臣は「関係者を『処分』する」と勢いが良いが、訓告や戒告、僅かばかりの減給などは、今までの例からしても「蛙の面に小便」ほど効果しか無いことは、いう方も言わる方も先刻ご承知で、「ハイハイ」というところだろう。  原因は分かっている。  「これ以上酷いことになったら、洗いざらいぶちまけますよ」という脅し文句が何時でも使えるからだろう。  それは処分該当者だけではなく、その当時の部下や同僚なども一緒に敵に回すことになるからだろう。  すまじきものは「腰かけ大臣」というところか。

投稿者:つねちゃん
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2019 年2 月4 日

落ち着いてイヤホンで聞く

 昔から、ウォークマンやそれに類るものは、「常に」という程耳にして愛用していた。  未だにそれほど得意な英会話ではないけれど、ずいぶん昔に買ったレコードの教材を、テープにして、次はCDにして、そして最後はメモリーカードにして聞いて学習したものである。  勿論「学習」は時間を決めてしか行わなかったから、とても自慢できるほどでは無い。  だけれど、やはり同様にレコード音源とエァーチェックで集めた、音源による音楽を聴くことが多かった。  さすがに仕事中はそうでもなかったけれど、出張族ということから、移動中はまさに「コンサートホール」にいる気分だった。  だけど、両耳で聞いていて外部音が聞こえなかったのが原因の事故を聞いた時から、かならず「片耳」でしか聴かなくなった。  もうずいぶん昔の話である。  先日、風呂場に最近のメモリーに入れた音源で、久し振りに両耳で聴いた。  やはり外部音を遮断しての音楽は良いものである。  でも、これからは「音楽を聴きながら眠って溺死しない」様に気を付けなければならない。

投稿者:つねちゃん
at 07 :57 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月1 日

雪景色も良いものだ

 天気予報では、今朝は「確実に雪になる」と言うものだったので、ホームページのトップに載せている写真撮影は、晴れの予報が出ている3日にしようと思っていた。  大体いつも通り5時頃に起きて、ベッドの中で新聞を読み、起きる前にベッドの中での屈伸などの運動をして、外はまだ暗い6時くらいには、起きてからの軽い運動もこなして、デスクに向かい、書き写しの朝ルーチンを行う。  そんな中で外の様子が見え始めると、雪は、気持ち良くチラチラと降ってはいるが、積雪というほどでは無く、雪明りで大分明るくなってきたので、足元がしっかりした食後に撮影に出かけた。  出来不出来は、お暇があったらホームページを見て頂ければご理解いただけるが、チラチラ雪の冬景色も良いものだと久しぶりにそう思った。  「降る時には降るが良かろう」  泰然自若で生きたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 09 :19 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月31 日

やはり注意したい

 フリーソフトは、いわゆる「痒い所に手が届く」ということが、無料という事よりも魅力的で、ずいぶん昔からかなり多く利用してきた。  ところが、先日、あるソフトを使ってみたところ、どう考えても必要ない「インターネット接続を許すかどうか」をセキュリティソフトから許可を求められた。  調べてみると、名前は私にも簡単に理解できる英単語の物だったが、中国製の物だったので、ファーウェイなど関係ないと思っていたが、やはり心配で使うのを止めて、アンインストールしてしまった。  これからも、「このソフトはネット接続を求めています」というソフトには、どんな被害にあうかもしれないから、中国製に限らず、十分に注意しながら使いたいものである。  これはフリーの物ばかりではなく、市販の物にもあるという評判も聞いたことがあるから、売れ筋ソフトも過信してはならないと自分に言い聞かせた。

投稿者:つねちゃん
at 08 :09 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月30 日

日課にすれば苦痛でなくなる

 「何かを始める」ということで、新年の一つの目標にされた方もいらっしゃるのではないだろうか。  私の周りにも何人かいて、1カ月も終わろうとしているこの頃「やり始めるのは簡単だったけれど、継続は難しいなぁ」と弱音を吐きがらもまだ続けている人や、既に何項目かは「断念」という事態になった人もいる。  私自身は「今年から始めた」追加項目は、「年賀状のイメージを年賀状ソフトとリンクして保存する」ことであり、随分前の物からあるので、楽しみながら「日課」として続けようと思っている。  そのためには「一日にこれだけ」と決めてやることである。  無理しない程度に「これだけ」を「日課」として続けると、気が付けば「続いていた」ということになり、全く苦痛にはならずに続けられる。  在職中によく部下に言ったことに「鯨を1頭食べる」というたとえ話である。  「遠くの鯨は小さく見える」ということで、『日課』として僅かずつ食べれば、体を壊すことなく、健康的に、美味しく食べ切れる、ということである。  小さな「日課」を一つだけで良いから始めてみませんか。

投稿者:つねちゃん
at 07 :48 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月29 日

トイレの改修

 生前の母のために、トイレに両手すりを付けてもらった。  最後には、部屋でポータブルトイレのお世話になったけれど、それまではずいぶんと世話になり、家内も介護の手助けになったと喜んでいた。  でも、あれからもう10年以上も経ち、水洗のためのリモコンも動作が不安定になり、メーカーに聞くと、生産も中止になっているとのことで、完全に適合するリモコンもないとのことから、取り替え改修を行うことにした。  そんなことから、家中を見回すと、ここかしこに「年季切れ」になりそうなものが見当たる。  贅沢はできないけれど、点滅が激しい蛍光灯器具なども、LEDの器具に取り換えたり、家計的に無理のない範囲で、徐々に交換してゆきたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :11 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月28 日

ラジオネーム

 たぶんまだ50代の頃から使い始めたと思いが、ラジオなどに色々な応募をするときに「中幸年」というラジオネームを使っていた。  意味するところは「そんなに大きな幸せなど求めず『中くらいの幸せで十分な年齢』という事」だと、聞かれると説明していた。  時々、アナウンサーと電話で喋る機会があり、幾つかの放送局や番組でそのようにしてきた。  でも、やはり6回目の歳男としては「中高年」は流石にその領域だというのも憚られるので、今後は何にしようかと楽しく考えていた。  そこでようやく思いついたのは「老年」の領域なのだから「中くらい」はそのままにして「朗年」と洒落てみようと決めた。  馬鹿みたいに大きく朗らかにするのではなく、含み笑いくらいに朗らかさを、感謝しながら生きてゆこうという意図である。

投稿者:つねちゃん
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2019 年1 月25 日

デジタル時計が楽しい

 随分前までは「時間までデジタルで縛られるのは堪らん」と思って、できるだけ避けていたのだが、現実的には、正確性を期すためか、いろんな所での表示が「デジタル」である。 そこで、今度は「何か楽しく感じられないものだろうか」と考え直して、好きになろうと思っている。  そう思うと、必ずしも「時間」という事ばかりで楽しまなくても「数字の並び」を楽しむことにしている。  一番楽しいと感じられるのは、12:34:56ではないだろうか。  これに限らず「たったの1秒間」の楽しみであるが、偶然に出会えると、なんだか「ラッキー」と思うのは私だけではないだろう。  ほぼ毎朝出会うのは「5:55:55」である。  先日、少し深酒をして、早く寝たせいで、トイレに起きた時に、何気なしに見たのが「1:11:11」であった。  今のところ「5桁の揃い」はこの二つである。  少し待てば、出会える、という事なら待つが、その為に待っている、ということはできるだけしない。  そう思ったこともあったけれど、何かの拍子に「見逃した」ということによる残念感が嫌だからである。  お金のかからない、ささやかな楽しみである。

投稿者:つねちゃん
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2019 年1 月24 日

マー活という記事にびっくり

 このブログをお読みいただいている方の中にもいらっしゃるのではないかと思うが、「麻婆豆腐大好き」という方。  今から10数年前に、中国へ行った時に、現地の方に案内してもらった「四川料理店」へ行き、「麻婆豆腐」を食べたが、とても日本で食べたことが無いほど辛くて、「痺れ感」が物凄かった。  団体旅行ではなく、ある方の紹介で、私が「辛いもの好き」だということが伝わっていたので、気を利かせて注文してくださったものだった。  正直、涙を流しながら、鼻水をティッシュで拭きながらも全て食べ切ったが、後から来る美味しさにも虜になり、特別にお願いして、陶器にそのソースを詰めてもらってきた。  我が家に置いておいても、私以外は手を付けることなく、半年くらい美味しく頂いた。  タイトルの「マー活」というのは、これに似た味のものを好むという事だとあった。  私の辛いもの好きは、これに始まったものではなく、元々好きだったが、唐辛子も京都産のものを買ったり、自家栽培でハバネロから、ジョロキア迄、現在でも作って使っている。 花椒は流石に栽培できていないが、国産山椒でも、痺れ感はそこそこあるので、昨年から混ぜ合わせて使っている。  もう10年近く前に先取りしていた。

投稿者:つねちゃん
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2019 年1 月23 日

有給休暇

 年末だったかの報道で、「有給休暇の消化が50%留まり」というのがあった。  在職36年だったけれど、その間ほとんど有給休暇は消化したと思う。  たしかに、現在の状況で言えば、「ブラック企業」的な仕事も経験したが、その時は「俺がやらねば誰も出来ない」と自負していたし、現実にそうだった。  特別な能力という事ではなく、その分野に従事していたのが私だけだったということで仕方がなかった。  逆にその分の見返りもしっかりと頂いていた。  単身赴任期間も足掛け7年に亘ったが、正月とお盆にたっぷりと休暇を戴き、帰省して半年分の家族との生活を楽しんだ。  勿論、部下が育ってくれていたことで、上司もそれを許してくれたものである。  だから、有給休暇が取れる自分になって、十分に消化してほしいと思う。  のんべんだらりと過ごすのも良いし、仕事中は没頭できなかった部門の勉強でもいい。  兎も角、明けた時には「新しい自分」になっているために。

投稿者:つねちゃん
at 08 :43 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月22 日

「喉まで出ている」が言わぬが花

 リタイアしてからもう18年目になる。  在職中は、かなりわがままをさせてもらったので、リタイア後は「互角」ということと今までの感謝から「お説御尤も」ということで、平身低頭の生活を続けてきていて、それも随分と慣れてきたつもりだった。  でも、そんな自分でも、時々「そんなことを言うならお前だって」という気持ちが頭をもたげてしまうことがある。  正直「喉まで出る」のだが、飲み込んでしまうのが「一つの癖」になっている自分に気が付いた。  王様の耳はロバの耳、や、落語の堪忍袋ではないが、何処かに吐き出すことも出来ず、飲み込んでしまうのだが、思ってみれば、これが「幸せの秘訣」なのかもしれない。  なぁーに、パチンコでの憂さ晴らしという手段があるから、暫くは爆発せずに持つだろう。

投稿者:つねちゃん
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2019 年1 月21 日

サラリーマン体質

 リタイアしてから、普段着は「格好より寒暖に合ったもの」にするようにしている。  だけれども、時折、仕方なく「スーツ」を着用する機会がある。  フォーマルでは必ずしもないのだが、セミフォーマルで良いくらいの所でも、そんな中途半端な服装は持っていないか知らないので、どうしても「スーツ」になってしまう。  36年間のうち30年以上は「スーツ」が「制服」だったり、場合によっては「戦闘服」だった。  サラリーマン体質の自分にとっては、そのような服装をすると「寒暖は別物」ということになってしまう。  明らかに自宅でのスタイルでは、ズボン下も穿き、場合によってはその上に「レッグウォーマー」も付けることがあっても、スーツで外出となると、そんな物は「不要なもの」になってしまうのである。  リタイアして20年近くになるが、まだ10年ほどはこんな服装生活になるのだろうか。 哀しくも楽しい、複雑な気持ちである。

投稿者:つねちゃん
at 09 :02 | 健康 | コメント(0 )

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