2025 年1 月17 日
2025 年1 月16 日
放送大学受講の準備
暫くサボっていた放送大学も、今年からまた始めることにした。 現在は、今までの総集編的な物のオンパレードだが、その合間に「特別講義」が有るので、それを楽しみにして受講している。 正直何度聴いても「そうだったか」「そうだったよなぁ」と自分に言い聞かせたりしながら、それだけでも楽しい。 そんな気持ちで、来年度はどの科目を受講しようか、楽しみである。 勿論新年度に新しく始まる講座もあるが、タイトルは同じでも内容が少し新しくなっている物も有るので、括弧書きで表示してある年度も気を付けてみたいものである。 資格を取ったりする気持ちも無いので、いつまで経っても無料であるのも楽しい。 何度聴いても飽きないし、難しい論理も要らない講座でお勧めは「錯覚の科学」だろうか。2025 年1 月15 日
急な着替え
時々、孫娘から「今から駅まで送って」とベッドにいる時にお願いされることがある。 さて、皆さんはどのように準備されるだろうか。 私は、これで数回同じ様なことがあるので、最近は「咄嗟の着替え」を準備している。 まず、部屋着としてのズボンを穿く。 もう随分前から「脱パンツ健康法」と言うのを励行しているので、パンツなどは付けないし、元々「ステテコ」というものは使わないので其の儘である。 今の時期は、さすがに外は寒いし、安全運転上も不可欠なので、ぶかぶかだけれど室内長靴とでもいうような確りとした防寒具を身に付ける。 上は、厚手の防寒具で、パジャマの上から着て、確りと襟元迄ファスナーを止めて出掛ける。 この準備作業はどんなに掛かっても1分くらいで出来るので、重宝である。 もちろん、万が一車から降りなければならないとしても、30分くらいなら耐寒できる。2025 年1 月14 日
懐メロが好きだが
今では、ネット上を初めとして「懐メロ」が彼方此方で聴くことが出来る。 以前このブログでも紹介したが、好きな懐メロがリアルタイムで流行った頃の私はまだ小学生になる前だった。 何故こんなに好きなのかと言うと、貸本屋をやっていて、平凡、明星と言う雑誌が毎月入ってきて、付録の歌詞本が自由に手に取れた。 3歳ごろに「小児疫痢」という病気に罹って、4歳上の姉が良く負ぶってくれていたのだが、歌が好きで負ぶいながら歌ってくれていたから、そして多分一番の原因は今はもう無いが入院していた病院の横に映画館が有った事だろう。 話を元に戻して、懐メロ番組を聴くことが多いが、彼ら彼女らのお師匠さんの影響かも知れないが、「現代ではこんな編曲が良いだろう」と言う事で、それが私の感覚に合っていればいいのだが、残念ながら「昔の音楽」が残っている物だから、あまり好きになれない。2025 年1 月10 日
財布へのインカムは歓迎だけれど
ニューヨークタイムス紙が「2025年行くべき場所52カ所に富山市!」と発表したことで、県都として「褒められた」と言う事は同慶に堪えない。 しかしながら、外国観光客の「インバウンド」はそうなのだが、先進都市として上がっている各所でどの様な「被害」が出ているかお忘れに成ってはいないだろうか。 「食べ歩き」で済むのであれば、ある意味で「微笑ましい」かもしれないが、昨今報道されている渋谷の街頭での行動や事件に対する備えは十分なのだろうか。 「物売り」でのインカムは良しとしてもその後の始末をも考えておくべきではないか。2025 年1 月9 日
一つずつ、一つずつ
今年もそろそろ正月気分も抜けて、普段の調子に戻ります。 今年も相変わらず「慌てず」を柱にして、年とともに近づくことに「畏怖」の気持ち持って、「感謝の気持ち」で過ごしていきたいと思っています。 その為にも「一つ一つ」確認しながら進めていくつもりです。 ですが、正月から、中々そうは行かないのも、例年通りなので、言い訳にしかなりませんが「此の程度でも良かろう」という気持ちも併せ持って一日一荷を過ごしていきたいと思っています。 此処まで読んでいただいた方は、既にお気づきの事と思いますが、文章は極力短くしています。 長くなると、もともとの拙文がより目立つて終いますから。2025 年1 月8 日
ナント体重が79.0でがっかりと、やるぞっ
昨日の事である。 私自身は「サンデー毎日」の生活なのだが、矢張り「お正月」と言う目出度さに昨年と違って「安心感」が加わった所為もあったのだろうが、気分的には「連休」生活だったし、食事も「お節を始めお正月の残り物」の整理もあったので、ツイツイ飲み・食べ過ぎになって終った。 挙句に「身体を動かす」というような運動は全くやっていなかった。 そして、この日の朝、体重計を見て「ドン引き」になって終った。 78になった時点で「少し食べる量を少なくしなければ」という意識はあったのだが、美味しい好物が有って、誰も「おあづけ」と号令を掛けないので「まぁ、良いか」で過ごしたせいだとすぐに気が付いた。 主に「米」を中心に減らして、その分野菜を多くして満腹感を満たした。 その晩、寝る前に計ると78.8。2025 年1 月7 日
漫画Black Jackを読み終えた
年末から読み始めて「今年中には読み終えよう」と目標を立てたが、結局4日になって読み終えた。 話の筋書きはとてもじゃないけれど、医学知識が全く無い私にはできるわけがないが、結果だけはお伝えしても良いのではないだろうか。 Happy Endで、B.J先生は亡くなって居なくて、健在のままである。 漫画雑誌とは言え、17巻全てを読み飛ばすことはせずに、熟読した事の達成感は、久し振りに味わう快感だった。 息子の購読本だったが、まだいくつか全巻揃えた物が有るとの事だから、暇を見つけて読んでみよう。2025 年1 月6 日
改めましておめでとうございます
皆様にはよい年明けになられたのだろうと拝察いたします。 どうしても昨年の地震の事が頭を離れず、元日の午後4時10分(能登地震の発生時刻)を過ぎるまでは、風の所為だったり、何かの拍子に思い掛けない音がしたりしても、「又かっ!」という感覚が蘇りました。 でも、人間の感覚というものは、そういう意味ではすごく便利に出来ていて、それを過ぎると、少し時間が早かったのですが、家内と二人だけのお正月祝いで今年は「富山ブランド」と言う新しいお酒で祝いました。 日本酒のブレンドという感じなのですが、思った以上に美味しく頂きました。 年賀メールも楽しく読みながら「良き正月」でした。2024 年12 月20 日
いよいよ明日で今年の書き納めとさせていただきます
昨日書いたように「特別なことも無いのに、やる事がいっぱいできる」と言う「やるせない楽しさ」を始めたばかりの時に、よりによって「毎日の必需品」であるメインPCの調子が良くなくなった。 部屋にも古いタイプのWindows10のデスクトップが有り、こちらは貰い物なのに大画面で頑張ってくれているので、用途は専ら「趣味の世界」なので、多少の不具合は「出来ない子ほど可愛い」と言うつもりで、やるべきことはあるけれども「後でいいや」の世界である。 でも、決して疎かに使っているつもりはなく、10の寿命までは当然ながら使い切り、それ以上も使い続けたいと思っている。 片やのメインマシンは日記帳を初めとして小遣い帳やメール、ネットニュースなどで「日課の殆どが入って居る」物である。 そちらが「ネットに繋がらない、という状況になっただけ」でなく、例えば日記帳などはオフラインでも使える筈の物も同様にダメージを受けた。 結果として多分現在の私にとっては不要不急のUpdateが為されていたのが原因だったようで、それをアンインストールすること手で解決した。追記をみる
2024 年12 月19 日
年末にかけても、作業が一杯
今年もそろそろ大詰めですが、あと10日でも、正月飾りの前の大掃除を始め、日毎の作業が目白押しで、それなりに「大忙し」ですが、こんな忙しさも「生きて居ればこそ得られる一時」と考えれば、一つ一つを楽しみながらできるだけ手を抜かずに熟してゆきたいものです。 結局、年初考えた「断捨離」は中々できずに、下手と言われようと「宝」を懐古趣味として過ごしてゆきましょう。 片づけなければならない事は「分っちゃいるけど、止められない」で、気がつけは年が明けていた、という事でも「それも是」と考えればくよくよする事も有りますまい。 無理しないで身の回りの細かいことを「これも断捨離」だと思えば実感もわくでしょう。2024 年12 月18 日
ピーナツの薄皮、銀杏の薄皮
共に「若さを保つ」栄養分が有ることを知った。 秋ごろから収穫が始まって販売される、大粒の銀杏を朝食後に5粒ずつ食べることはここ10年以上続けてきていて、「顕著な効果」と言うのは特別揚げる事は出来ないが、基本的に「滋養強壮」と言うのが謳い文句らしいので、満足している。 プライヤーで殻を割ってから、それでも弾き飛ばないように、再利用紙の袋で包んでから、レンジに1分間かけると、奇麗な緑色や黄色になって美味しく食べられるようになる。 改めて殻を割って薄皮も丁寧に取ってから食べるのだが、ラジオ番組だったか、テレビだったか忘れたが、薄皮にも「加齢防止」という効果がある栄養素が含まれているの知った。 また、ピーナツの薄皮にも同様の効果があるのだとも知った。 千葉県在住の時には茹でピーナツは良く食べたが、この時は薄皮など剥がさなかったことを思い出したので、今後続けてみよう。2024 年12 月17 日
風呂上がりの足裏クリーム
この季節良くあることだが、足の裏、特に踵の部分の皮がカサカサを通り越して、ガサガサになるのである。 正に「鑢の如く」である。 それで、思い出したように、風呂上がりのすぐ後に、保湿クリームをたっぷり擦り込んで、雨天時に新聞を雨に当たらない様に包んでくる薄いビニールテープで足を確りと包んで、それだけだと滑って危ないので、室内靴下から暖房用の長靴下で包んでおいた。 そして一晩おいて、朝全てを脱ぎ取ると、思った通りに「スルスル、スベスベ」になっていた。 毎回やるのは経験上あまり効果が無い様なので、中3日措いて続けよう。 同じクリームを洗顔後にも使っているが、こちらも上々である。2024 年12 月16 日
感謝の一年
今年は何と言っても「能登半島大地震」での年明けだった。 被災地の方にはお見舞い申し上げるが、我が家は幸いにして、家が少しひしゃげたようで、数か所の戸の開け閉めがきつい所があるものの、僅少と言えるのではないだろうか。 今年も残りあとわずかだが、日記をつけているので繰ってみたが、大小の悲喜交々だったけれど、総じて言えるのは「感謝の一年」だったと思う。 例年は大晦日に唱える言葉だが「今、ここに、生きて居る、ことに感謝」である。 そう思いながら、1年間の日記を繰ってみて「これも感謝だなぁ」と思う事ばかりをも場合によっては「無理やり」に揚げ連ねて一層の感謝にしたい。 それでも「やっちまったなぁ」と思うことに対しては、「翌年にはしない様に」と前向きに考えたい。2024 年12 月13 日
今年最後の定期健診
偶々2日連続で定期検診を受けた。 内科は血圧、血糖がメインで、それ以外に血液検査で分かる数値についても「変化なし、現状維持で継続」と言う事であった。 こちらとしても、心配事は無いので、今年一年の感謝を申し上げて、「良い御年をお迎えください」と挨拶して辞去。 3カ月ごとの経過観察での咽喉癌であるが、これについても「痕跡もほぼ見えないほど奇麗になっており、転移の傾向もみられず」という事で、同様に今年の感謝と来年のむけての挨拶をしてきた。 歯医者は、少し早いが先月に挨拶してきた。 幸か不幸かは別にして、忘新年会は今のところ1件も入って居ないので、暴飲暴食の機会もないから、のんびりと過ごすことが出来そうである。 このブログも20日を今年最後にしようと思っている。2024 年12 月12 日
1年の振り返りの第二段
先日も紹介した1年の振り返りを日記をベースに思い出してみた。 以前にも何度か紹介しているが、私の日記ソフトは1画面に3年分が書かれるように設定してあり、去年、一昨年の同日付が嫌でも目に入って来る。 大掃除の時の畳の下の古新聞と似た感覚で目が行くので、それなりに楽しいのだが、それをやっていると本来の目的が終わらないので、今日は無視してどうにか11月迄の出来事を抜き出してみた。 ここでもトップは能登大地震だけれど、よく見ると、確かに被害の大きさの違いはあるけれど、あたらこちらで地震が発生していることに気が付いた。 また、在職時の先輩や知人の訃報も結構多く届いている事にも気が付いた。 好きだった芸人さんなども含めて、同年配の人も少なくない。 それはともかく、1時間ほどかけてまとめることが出来た。 先日のブログと今回の日記をトータルしてもう少ししたら纏めて自分なりの出来事としてまとめたい。2024 年12 月11 日
国際動向には疎いが
シリアのアサド政権が崩壊したという報道が有った。 私の知識が足りないからかもしれないが、独裁政権だったと思っている。 その人が同朋のロシアに亡命したとの報道である。 中国、北朝鮮、は元々その考え方であるが、民主主義の旗手だと思っている米国も何だかその種を孕んだ政権に成ろうとしているように思える。 その内に「両雄並び立たず」という事に成って、行く末が怖い。 残念ながら、頼りにしたい国連と言う所は「このままでは哀しい」と言うだけで、「言うだけ組織」にしかなっていない。2024 年12 月10 日
健康麻雀だから
話は昨日の続編である。 似たような状況が今度は私に出現したのである。 待ち牌は当然違うのだが、共通していることは「ドラ待ち」では無かったことくらいか。 所謂「四暗刻、リャンシャン聴」なのである。 ところがそれになった時には二種類が1枚も場に出ていなかった。 そんな時、その1枚が出た。 長い間の経験からすれば「これで上がれば満貫だから」という事で「ポン」と声かけていたのだろうが、だんまりを決め込んで「目指すは四暗刻」と構えていた。 もう一つの牌の1枚目が出ても、だだんまり。 これが2回あったのである。何方も上がれなかったから、正解だったとは言えないけれど。楽しかったなぁ。 現役の時は「兎も角和了優先」だったけれど、楽しく過ごす、という点では、矢張り健康麻雀の方が一枚上手のような気がした。2024 年12 月9 日
純正国士無双
今日は、3カ月に一度の健康麻雀大会。 私の結果は惨憺たるものだったが、前回は2位になっていたのだから、そんなにしょげるものではなかった。 其れよりも珍しい経験を随分久し振りにした。 勿論私が上がったり振り込むんだりした訳ではなく、同じ卓の人だった。 10順目ぐらいにリーチを掛けた人が居て、私の手はドラ牌が有る訳でもなく、とても向かっていける状態ではないのが最初からそんな雲行きだったし、幸いに立直の人には「安全牌」が次々に出てきていたので「そんな事も有るさ」と気軽なものだった。 ところが、親が危険牌と思われる6筒を通した直後、その親が「ロン」との声。 リーチを掛けた人の捨て牌が、東だったである。 上がりの手を見て驚いた。 「純正国士無双」である。 この役自体はこの会でも何度も見たし、私自身も「東街」で上がった事も有るのだが、「純正」はこの場でも初めてであった。 長い間にもこの純正は数度しか見たことが無かった。 久し振りに見事な手が見られたのが、今日の「儲けもの」だつたか。投稿者:つねちゃんat 20 :22 | 健康 | コメント(0 )
墓仕舞いもそんなに簡単ではない
何でもそうだけれど、「始めることは簡単だが、仕舞うのは難しい」と言う事は、36年間のサラリーマン生活でも数度経験した。 一番印象に残っているのは、当時は大型のマシンを「償却する」ということだった。 残存価格が3桁の億である。 ところが、事務的なことは、金額ほど大変ではなく、右から左へとレーンに乗せた処理だけなのである。 ところが、実際にマシンの償却は、技術的な機密が漏洩してはならないということから、一つ一つの作業について細かく、隈なく写真を撮って証明する事だった。 それ以外に「最後の係長」という立場で数名の部下を異動させること、等々である。 今回の墓仕舞いも最初簡単に考えていたのだが、いろいろと難題が降りかかってきた。 それもどうにか目鼻がついて、来年のお盆供養は、新しく収めた所でお参りが出来そうである。2024 年12 月6 日
2週間前に投稿したものが採用された
最近は、「師」では無いけれど、何だか妙に周りが忙しくなってきている。 投書ネタに気が付かないほど鈍感になった訳では無いのだが、目の前の事ばかりに目と力が入ってしまって、投書する力が削がれていたので、新聞の投書欄は「知人が出ていないかな」と件名の前に投書者の名前を探すことが多く成ってきている。 ところが昨日久し振りに自分の名前が目に留まった。 「えっ。これはもうボツになっていたのじゃないか」という事で、改めて投稿記録を見ると、2週間前に投稿したものだった。 兵庫県知事に関する物だったから、多分「怒り心頭」だった文章になっていただろうから、主旨は合っているのだが、や葉の文章のプロの手に掛かると、そうでも無くなっていた汗顔の至りだった。 でも、いい学習をさせてもらったことに感謝。2024 年12 月5 日
掛け軸は読めない
「書道」というものには昔から興味もなく、その所為もあって「習字」という毛筆での授業では、今でもそうだが「字を書く」ではなく「恥をかく」という為体である。 だからこそというべきか、毛筆でなくても昔から「字が下手」で残念ながら現在でもそれが続いている。 先日も此処で書いたが、掛け軸に「何が書いてあるのか」を読もうと色々と調べてみたが、残念ながらほとんど読めていない。 で、上手い文句に出会った。 「何という字が書いてあるのか分からなくてもいい、見ているうちに『感じる』という事が大事だ」である。 それで行くことに決めた。 何文字かは「こうではないか」と思うものが有れば、それから自分勝手に「こうだろう」と感じてみることにしている。2024 年12 月4 日
「東京一極集中問題」
もう随分昔にした新聞投書で「現在の中央官庁を各地域にすべて分散配置しろ」という趣旨で投稿し、採用されたことがある。 残念ながら、在職中で、記録を残していないが、最近見た番組で、同じ趣旨で報じられたのを見て「結局何も進んでいないどころか後退しているなぁ」と思った。 自分の投書で動いた訳ではなかっただろうけれと、確か実験的だったかもしれないが、一つのお役所が「分散配置」という事で動いたという記憶がある。 ところがあくまでも「実験」だったのか「旧態依然」に戻っている。 「諸悪の犯罪が是を種にしている」とは言わないし、首都圏大地震を望むものでも決してないが、是だけ高速大容量の通信ネットワークが整備され、田中首相の唱えた「日本列島改造論(大鉄道網)」も整備されたのだから、鳥取県出身の総理大臣の基、ぜひとも「出来る所から」ではなく一括して着手してほしいと思うのだが。2024 年12 月3 日
そろそろ「一年の振り返り」
何時もは20日を過ぎてから、「今年何が有ったっけ」という気持ちでやり始めるが、昔の新聞を見つけたようで、結局一年俯瞰せずに終いで書かずに(書けずに)「兎も角いい一年だった」で済ませてしまっていた。 それを反省して、今年は「その轍を踏まないぞ」でぼちぼち始め出した。 だが、「出した」であってどこまで続くか「お試し期間」である。 このブログの今年の最後に「10代トピックス」として紹介したい。 出来るだけ明るい話題を、と思うが、決して避けて通れない出来事が「能登大地震」だから先が思いやられるのだが、慌てず、急かずに続けてみようと思う。2024 年12 月2 日
後期高齢者が契約
ある契約をすることになって、内容等については此方で調べて調整をしてから契約という事に成っていた。 資料もすべて整っていざ契約、という段になって、向こうから聞かれたのは年齢だった。 正直に後期高齢者だと告げると、「出来れば息子さんなどを契約者にしていただけないか」という事である。 以前から色々な人から聞いて居たが、直面したのである。 息子を立てることにして、事務的作業は進めてもらう事にした。 さて、これからそんなことがあると思われるが、何か対策を考えておかなければならない。 悩むなぁ。2024 年11 月29 日
墓仕舞い
今年の墓掃除は、私一人で行った。 別に威張って言う訳では無いのだが、我が家のお墓は、歴史のある墓地なので、その分道が入り込んでいて、ソコソコたどり着くのに苦労する。 父の代で、私が多分在京時に居た時に土台自体が大分怖いことになっていたので、土台もしっかりして、ベンチも作って墓の土台も大理石で拵えたものである。 父が亡くなってから20数年、家内と二人で毎年墓掃除をしてきた。 石動中島家としては「母屋」なので、私の兄弟や父母の関係者などがお参りに来られる。 だから「見っとも無くして置けない」というのが父から言われるまでもなく長男としての「勤め」だと思ってやってきた。 ところが、やはり一人でというのは辛くなったので、この際御免蒙って、納骨堂の世話になることにした。2024 年11 月28 日
凄く充実した一日
先日は、近来にないほど「私にとっては」だけだけれど、「充実した一日」だったのである。 断っておくが、あくまでも「私個人にとって」であるから、他人様から見れば「ナンもそんな事当たり前」と思われることだが、これが新聞投書ではなく、「ブログ」という点で「自分勝手」なものである。 購読新聞では然程の事は無かったけれど、毎朝ネットニュースを5種類ほど見ているのだが、「これは後でゆっくり読もう」という記事が6個もあった。 遅ればせながらだが、何度目かのExcelの学習で、昨日からどうも理解できないことがあり、何度か反芻しながら、原因も分かり解決した。 そんな事をしながら、好きな歌手だった笠置シズ子にまつわる話が音楽と混在して2時間半の番組を見ることが出来た。 夕方知人から「少しPCの面倒を見てくれ」と電話があり、出掛けてきたが然程難しい事でもなかったけれども時間はそれなりに1時間ほどかかったけれど、納得してもらえて、大きな林檎を家族人数以上に頂いた。 「後で見る」ニュースは随分ためになったし、すべて理解して読み切ることが出来た。 素晴らしい一日に感謝。2024 年11 月27 日
震度4の地震
昨晩、もう寝る、という22:45に突然震度4の地震に見舞われた。 揺れが収まるまでの1分間くらいは、兎も角物が落ちてこないかという心配の後、それなりの身繕いをしていると、孫が部屋へ覗きに来た。 1階はまだそれ程揺れが無かったのかもしれないが「大丈夫だよ」と声を掛けて一緒に降りてゆき、息子夫婦の所やお父さんの実家へ安否確認を入れていて、幸いどちらも被害が無いとの事だった。 暫く5人がテレビに釘付けになり状況を確認したが、その間にも余震なのだろうが、震度3程度の揺れが有り、小一時間ほど経ってから、各々部屋に戻った。 でも、結果として2時半過ぎまで、細かい揺れが続いた。結果としては、現時点で物の落下などの事態は起きていない。2024 年11 月26 日
少しずつ「ズル」が出てきている
決して他人様に迷惑を掛けているという意識は無いので、未だ許される範囲なのかなと勝手に理解している。 単身赴任時代から、家内は「家計」として細かく記帳していて、時々色々な示唆やお叱りを受ける事があるが、それでも随分長い間細かく記帳していて、先日も整理の時に見つけて思い出し笑いをしている。 今回気が付いたのはその「小遣い帳」である。 千円以上の物は書き留めて措いたり、買い物メモに記しているのだが、特に100均などの細かい金額の物はどうしても忘れて終う。 書く時に思い出すさ、忘れたら胡麻化すことも出来る、という意識が働くのか、記帳する段に思い出せないのである。 「用途不明」や「不思議な入金」などと訳の分からない表現の出現頻度が高くなっているようだ。 初心に帰って書くようにしたい。2024 年11 月25 日
貴方の歯磨きは正しいですか
先日何故かリモコンが手近に無かったので、CMを何気なしに見ていて「えっ」と思った事が有った。 このブログでも以前に書いたと思うが、リタイアしてからは、電動歯磨きにして、歯医者の先生にも「何時も奇麗にされていますね」と褒められていたのだが、改めて今回の「正しい歯磨きの方法」に照らしてみると、「果たして自分はそのように磨いているだろうかと反芻して見た。 便利なもので、TVは殆んどの場合ビデオ録画して見ているので、何度も繰り返してみた。 そして得られて結論は、「これだから昔から歯磨きが嫌いだったのだ」と思いついた。 「歯は1-2本ずつ、歯の生え際に対して斜め45度くらいにして、歯の間に詰まったものを掻き出すように、表裏を順に」との賜っていらっしゃる。 20年余り電動歯磨きのお世話になっているが、果たしてそうなっているかと聞かれると「多分そう成っていないでしょうね」と答えることになるだろう。 それでも虫歯は無い状態が続いている。2024 年11 月22 日
特筆無し、って本当かい?
私の日記の冒頭には、もう随分前から「今朝の気になる記事」と「見た夢」の項目で始まっている。 そのトップには基本的には「トップに気が付いた記事」を書くようにしている。 投書やこのブログのネタになる記事も有るが、まるでプライベートな事も有る。 そして、今回の選挙の与野党逆転などもあるが、同じ記事が続いていていても、余程それに変化がなければ二度出現する事は無い。 そんな我儘なことだから、「特筆無し」と書くことが多い。 正直、これを書き始めた時に、それが長く続いた事も有ったので、一時期止めた事も有った。 でも、何かの本か記事を読んで「特筆することが無い」という事は少なくとも自分の身の回りに大事件が起こって無くて、平和だという事の証だ、との示唆が有ってから、続けている。 タイトルの「本当かい?」というのは「それに目をつむっていても良いのかい」という自分への問いかけでもあると思っての反省も込めながらである。2024 年11 月21 日
偶には「ぽっかり」と
今日は、ルーチン的に行う私の担務は、生護美捨て、畑と庭の巡回、Excelの学習、ネットニュースとメールの処理だけである。 それだけなので、後は「ポッカリ」空いている。 朝起きて寝ぼけ頭で考えているが、それ以外に「せばならぬ」という事は思い当たらない。 以前は「時間貧乏性」で、「こんな事はあってはならないのだ」と自分に言い聞かせて、手当たり次第に、読みかけだった本を初め「途中になっていた物」を探し求めて手を付けてみたりして「ボケ防止」だと言い聞かせていたが、其れにもかなり飽きてきていた。 そんなことで手掛けた物は、その殆どが、結局「やり掛け」で残ってしまっているのであるし、一向に身が入らないのである。 今日は然程天気も良く無い様なので、散歩という気分にもならないから、「ポッカリ」をじっくりと楽しんでみようと思う。2024 年11 月20 日
もう真冬だ
天気予報で、予想気温が数値で表示されるのは有難いのだが、残念ながら「体感」するまで実感が伴わなくなってきている。 加齢の所為もあるのだろうが、ここ数日の気温変化は、私にとっては「もう真冬」という感じである。 着る物が中々追いついていかなくて、結局軽い風邪症状が出たので、一昨日は、寝る前のお酒は3杯の所2杯にして(この辺が自分でもいじましいなぁと、書いていて思ったけれと、是って方言?)。 常備されていて、自分に一番合っているという市販の風邪薬を飲んで、寝る時用の「ゆる靴下」の底に「お茶パック」に数個のホール唐辛子を入れて寝た。 お陰で、朝はすっきりと鼻詰まりも無く起きることが出来て、「第一段階、クリア」という感じになった。 そろそろ下着の半袖シャツも長袖に、股引も穿いて、靴下も厚手の物にして。。。 「一病息災」を心に留めて過ごしたい。2024 年11 月19 日
兵庫県知事選に思う
県知事の失職前から、四面楚歌という感じだったのに、想像を完全翻して「圧勝」という時代になったのは、門外漢だけれど、正直驚いた。 全県議が「お辞めなさい」といったのがひっくり返ったのだから、今後の県政がどのように動くのかは、まったくもって想像できないし、逆に「全員右向け右」の号令に従って、整然といろいろなことが実現されていくのだとも思える。 今回の選挙は冒頭にも述べたが、新聞やテレビなどのマスコミによる「四面楚歌」状態だったのにSNSでの情報操作によって街頭インタビューでは「全てでったあげだった」という意見を述べている若い人も写されていた。 マスコミが挙って「ウソをばら撒いた」というような報道である。 そこで、全国の若い人達よ、これで投票で「何かが変わる」ことが分かっただろう、と言いたい。 衆議院選挙の時も100点満点の試験では「落第点」だった投票率が、次回の選挙の時には、今回のように「興味を持って見て投票して欲しい」。 勿論私を含めた高齢者も「もう一度正しく見て投票したいものである。2024 年11 月18 日
質の悪い自分の癖
またやらかしてしまった。 自分作成のビデオや写真のミレニアム保存も、一段落していたので、M-DISCと書き込み装置を大切に仕舞っておいた。 つい先日、娘に「孫のDVDなどもM-DISCのあるうちにミレニアム保存しておいた方が良いのではないか」との話題になり、娘自体でも整理が必要になるから「そのうちに頼むわ」という事になっていたのだが、3日前に「それじゃ当面これを頼むわ」と言われていたので、昨日から着手したのである。 何度かDVDからHDDに写すときにリトライしているような音がしたけれど、HDDになったものを再生すると全て上手く行っていたので、今日になっていざM-DISCにコピーしようとして、はて、必要媒体は何処へ仕舞ったのだろうか、と探し回ること約3時間。 時々頭のクールダウンをしながら探し当てることが出来た。 今になって思ったのだが、この歳になって「クールダウン」が如何に難しいかを思い知らされた。 「これは大切なものだから(先日のニュースで品不足になる、というようなことが出ていたから)大切に仕舞っておかなければ」と思って、しっかりと仕舞ったのは良いのだが、自分が忘れて終うという質の悪い癖にてんてこ舞いだった。2024 年11 月15 日
定期健康診断
毎月の定期健康診断と薬の補充という事で、先日行ってきたのだが、何時もと一つだけ違う所が有った。 良い意味でである。 血液検査の結果で、いくつもの数字が出ていて、何時もは数個マークがついていて、医師から「フーム」という声が出るのだが、どれも以上や以下、という事だが、その度合いが僅かだから「まぁ、こんな所か」と20年以上もの罹りつけと同年齢という事も有り、お酒や嗜好に着いてもいろいろと笑い話の中で過ごしてきたのである。 それが、今回は「ノーマーク」だったのである。 触診と医師自らの血圧測定も120/70という数値で「いう事なし」だったのである。 かつて診察3分、という言葉が有ったけれど、笑顔3分のいい日だった。 ところが、好事魔多しという事はあるもので、調子に乗って「こんなものは」と刃物を触ったら、はずみで指を傷つけた。 自重、自嘲。2024 年11 月14 日
今年の葉唐辛子
今年のあれだけの「例年と違う」気候変化が有ったので、猫額の畑では、思ったよりもかなりの被害だった。 以前にも紹介したが、そんな中でも「思った以上の収穫」が有った物のうちの一つが「鷹の爪」だった。 最盛期は大分前に「そろそろ終盤」となっていたのだが、小さいながらも「真っ赤」な実がついていたので、育つがままにしておいたが、例年としての時期的にはもう1カ月ほど前に葉を主体に収穫する頃だったのである。 それが、結果としては、家内としては「失敗」だってのである。 家内は「辛すぎる実」よりも「適度に辛い葉唐辛子」が希望だったのである。 先日漸くすべて収穫したが、思った以上に葉が小さく、小さいけれど真っ赤で激辛の実が多数になった。 挙句、いつもと同じように家内が作ってくれたのだが、青い実はそんなでもないと思ったのか、それを大量に入れたものだから、「劇」がいくつも付くほどの物に仕上がった。 従って、今年の葉唐辛子はすべて私が消化役である。 楽しく長く美味しく頂こう。2024 年11 月13 日
軽い散歩
先日久し振りの「秋晴れ」に気分を良くして1時間弱の散歩をしてきた。 なるべく「陽の当たる所」を選んで、前後から車の音がすれば、立ち止まり「どうぞお先に」と合図して、急ぐ訳でもないので、基本的に「正しい姿勢で」を心掛けて背筋を伸ばし、足裏全体を使って耳には、愛用のウォークマンでラジオを聴き、ゆっくりと歩いてきた。 かつての「散歩励行」をやっていた時とはテンポは随分違うが、矢張り歳を考えればこれが適当だろう。 でも、自分で言うのもおかしいが、歩幅も無理しない程度に出来るだけ広くしているので、「モタモタシテいる」という事には成っていないと思う。 飽くまでも「自画自賛」ではあるが、これから冬になることを考えると、少しの陽射しを惜しんでこの程度の散歩を心掛けたい。2024 年11 月12 日
まだまだ教わることがある、事を知る
先日見た夢の事である。 夢だから「なんで」という疑問は挟まないで、当事者だったり、俯瞰者だったりして、結構楽しく見ていることが多い。 内容は、立場がどんな物かは全く知らないが、各神社の総元締めで、その指導に回っている一員になっていのである。 各神社では「指導外」の事も行われていることがあるので、その是正策について「命じる」というのではなく、相談に乗って善後策を論じている。 当然「指導」なので此方が有る意味で「教える」立場なのだが、神社に依ってはそれが出来ないことがあり、その事情を聴いて善後策を議論する中で、此方が知らないというか考えに落ちが有ったりすることがあり、教わることが沢山ある事に気づかされたところで、覚めたが、いい夢見だった。2024 年11 月11 日
来年の予定が入った
先日のOB会の次回予定が年1回だから来年の日付が有っても驚かなかったけれど、歯医者の次回予定が2月と言われたときには「エッ」と思ってしまった。 一連の治療が終わっての前回から「今後は3カ月おきで良いですね」と言われて、何の気なしに「はい」と答えていて今月の診察日になったのだが、当然来年になっていて当然だったのに気が付かなかったのである。 そう言えば「良いお年を」という挨拶を忘れて終っていたことを出てから思い出した。 来月に予約になっている癌の経過観察も、2回前くらいから3カ月になっているのだから、今度辞去する時には先生にも看護師さんにも今年の感謝と一緒に挨拶を忘れないようにしたいものである。 世の中には「カスハラ」という事で「金を払って見てもらってやっているのだから」とい態度を取る患者さんがいらっしゃるというのは現実で、つい少し前に目撃したが、「良き患者」で居続けたいものである。2024 年11 月8 日
歩くのが遅くなったのかな
一昨日のOB会の為に久しぶりに、金沢へ出かけた。 今まで駅までは13分くらい見ていれば十分だったのだが、小雨が降っていた所為もあり、未だ、途中正月地震の影響で浮き上がった様な所の補修の関係で、少し遠回りになった様で、駅に着いたらぎりぎりだった。 金沢駅に着いても、会場は直ぐに見つかったのだが、所定の時間までは未だ時間が有ったので、久し振りの金沢の賑わいを見て回ろうと、気ままに、「姿勢に気を付けて」(これは昔も変わらなく、人が猫背などで歩いているのを見ると「確りしなければ」という気持ちになるので自然にそうなる)時間にして30分くらいだろうか、歩き回って、目の保養などを楽しんできた。 会が始まってからは、昔の仲間とわいわいがやがやと楽しく過ごし、幾つかのテーブルも回っていた。 昨日の朝になって、矢鱈メッタラ足が痛くなったのに気が付いた。 原因が分かっているのだけれど、直ぐに症状が出るというのは、まだ若いという事か、と苦笑いする。2024 年11 月7 日
「発声と健康について」
昨日のデータ同友会での講演会は、今までの「技術動向」「経営動向」というようなものと全く違った内容の物で、表記の通りで楽しく自分にとっては「わが意を得たり」というものだった。 令和2年の春頃に罹った「咽喉癌」からもう足掛け5年になり、サイバーナイフの治療終了から足掛け3年になり、現在は3カ月ごとの「経過観察」期間が続いている。 現在のところ「再発・転移無し」で経過良好である。 今回の公演では、まず「正しい発声が出来ているか」という事で、発生を15秒継続できるか。 これは5年前に機械で計測されて「声が30%くらいしか出ていません」と診断されたときと同様である。 今では15秒は未だ到達していないが10秒は超えている。 次が「活舌を良くする」という事で、現在朝起きてベッド内でやっている「腹式呼吸と10カウント発声」で励行している事と同意だった。 同級生には別の癌だけれど、経過観察が10年経過して「もう来なくて良いよ」と言われた者も居るので、無理せず続けていこう。2024 年11 月6 日
掛け軸の理解
私が子供の頃には確か無かった掛け軸だったと思うが、今回整理した中から出てきたもので「そういえばこんな掛け軸が有ったなぁ」という事で、今月から床の間に掛けた。 掛け軸には「黒い竹」墨一色で描かれているだけで、箱には「墨竹」とあった。 字の示すとおりである。 「墨竹」という事で調べてみたが、似たような軸が無かったので「お宝」と言う程の値打ちが有るとは思えないが、それでも父の意思が有っての物だろう。 ネットで調べると意味は色々とあるようだが、いずれも中国の文献などから引いたもののようである。 決めつけることはできないので、幾つかある意味の中から、あくまでも父が思っていたのではないかという思いと「私の好み」という事から「清浄且つ孤高の境地」という事にして、箱の中に書き留めたものを残しておこう。2024 年11 月5 日
園芸作業
どうも天気が悪い(と自分の所為を天気に転嫁しているのだが)ので、中々上手く育たなかった秋野菜だったので、心機一転「やり直し」を決めて先日の天気の良い時にやり直した。 大根はキチンと株間スペースを取り、苗の小さい内に強い雨がっ降ったため(これも天気への責任転嫁である)の反省を込めて、苗フードを被せておく。 次が、玉葱苗である。 何度やっても「畝づくりが下手」(これは完全に自分の所為である)なので、今度はある程度余裕を持たせた広い畝にして、穴あきマルチを確りとして、浅植えにならないように、しっかりと深い穴に苗を差し込んで、培養土で押さえておく。 チューリップは昨年は花までゆっくりと愛でたので、掘り起こした球根は小さかったので、新しい球根を買ってきて、昨年の所は掘り起こして、新しく培養土に肥料を混ぜて埋めてから植え付ける。 最後が、苗を買ってきたのだが、雨で駄目になった(これも責任転嫁)豌豆は、改めて冬越しになるが種まきから始めた。 果たして結果は如何か。2024 年11 月1 日
努力はするが無理はしない
どうしても「これ位なら」と無理をしてしまう自分がいる。 これは、今年になってからも何度か自分に孜々聞かせている事なのだが、調子に乗り出すと、この歳に成っても「若気の至り」という事で突っ走ってしまい、ついつい限度を超してしまっていることを反省する。 具体的に挙げて紹介するのもみっともないので、止しておくが、今の所は、大きく失敗とまでは行っていないと思っているから、この様なことを呟けられるのであろう。 年齢は別として、それなりにそんな気持ちになれることに感謝しなければならないと思っている。 反省と同時に感心もしている。 さて、今日から「霜月」。 そろそろ行き過ぎないように、雪吊りを始めとした「冬支度」をしなければ。 その為に庭の鉢物の整理なども必要だから、身の回りを見渡すとやる事が多くある。2024 年10 月31 日
掛け軸の整理
お正月には決まって掛ける天神様の掛け軸とお盆に掛ける観音様の掛け軸は別として、父の頃からの掛け軸が有ったのを思い出して、一度整理することにした。 正直言って「良く分からない」というものが多い。 まずは、今掛かっているのは、「松の木に長い紐の先にぶら下がっている土瓶」を書いたものである。 これは、その年によっても違うが、9月から10月一杯くらいまで掛けている。 木箱に入った「五言二行の書」というものが有り、この箱には赤い印が押されている。 平野という名前が書いてあるので、平野さんのお祝いの時にでも戴いた物だろうか。 文字が5文字ずつ2行に亘って書いてある。 横幅が広い「墨竹」と書いてあるもの。 これは、見ていて何となく落ち着く。 墨絵の中国の絵に良くある「高い山から流れる渓流の淵に庵が有る物」が有る。 その他は、私が中国旅行で寒山寺に行った時に買った「知足常楽」と書いたものが有るが、これは然程高価では無かったし、私の名前の漢字が入って居たことと、園芸高校の時に教わった真ん中に四角い湧き水口が有り、五隹止矢文字が有る蹲が気に入っていたからである。 このほかに鮎が上を向いて泳いでいるものが有ったはずだがと探したが見つからなかった。 せめて各軸1年に一度は風に当てたいものである。2024 年10 月30 日
見た夢の想い出
「Hope」という意味ではないが、時折記憶に残る夢を見る。 ほとんどの場合「夢だから『何故か』を問い詰める」という事は無い。 でも「もしかしてこんなことが事が引き金の一つになっているのではないか」と思い出すことがある。 勝手な物で「余程怖かったりする夢は『確か見たけれど』ということで内容が思い出せない」ことで、忘却の彼方になってしまうのが幸いである。 先日の夢は「豪雪になって、除雪要員として駆り出されているのだが、何故か私が行くところでは、簡単に除雪が出来る様になっていた」というようなそれこそ、夢のような物だった。 私が思い出す「豪雪」は昭和36年と38年の物である。 それはどうでもよいとして、参加させていただいている「学習会」で先日最寄り駅での除雪模様の写真が出てきた。 今で言う「ママさんダンプ」の大型の物で、写真で見る限り「木製」の物で、引き手と押手がそれぞれ5人くらいで、駅の除雪をしている写真だったのだろう。 簡単に、というのは先日我が家の除雪機の事前点検が上手く行ったことだろう。2024 年10 月29 日
これからが本格的な論戦
まだまだ選挙戦の残り火が残っているようだけれど、兎にも角にも「数字の上」では従来の「与野党逆転」が実現した訳である。 今までは「数は力、力で勝つ」と言ってきた与党に対する「基盤」は出来た訳である。 一朝一夕ではできない事は、与野党に限らず誰も期待していないが、「一つ一つの事」に期限を定めて徹底的に議論していただきたい。 期限を定めないと「一歩も引けない」という事で「餓鬼の喧嘩」になってしまうから、今こそ「小異を捨てて大同に」という考え方で国民に分かるような議論の徹底をお願いしたい。 それができなければ、議員を辞める位であってほしい。 でも、八百屋で魚を買う程になるのかなぁ、2024 年10 月28 日
先日の夢の詳細
2時頃に目が覚めて、何故か(これも夢だから)まだ新聞が届いていない時間帯なのに、新聞を取りに行って、(これも夢だから)何故か同じ新聞が2部入って居る。 ここで寝ぼけ頭(未だ半睡状態だから)で、これは誤配だろうか、新たな勧誘手段だろうか・・・と考えたが、そう言えば以前再配してくれと頼まれたような気がして、近くの踏切の傍にある方へと言う事なのだろうと、仕方なく着替えて届けに行くと、もう白々と夜が明けていて、届けたのだが、本来の今日の分が既に届いているよ、と言われたので、まごまごしていると、配達員の人が近くに居られて、私の行動に感謝してくれている。 これで、夢が終わり、気が付いたらまだ時間が、夢の始まりから30分ほど経ったままでベッド内で目覚めて、又寝した。 悪い夢では無さそうだろう。2024 年10 月25 日
然程野球キチではないが
個人的に好きな選手は沢山いるが、野球のプレーにはそれ程興味が湧かないが、現役時代やリタイア後の言動に結構惹かれてのファンである。 それにしても、今回の大谷選手は、成績にも一喜一憂したのは事実であるが、それ以外の活動を始めとした言動に結構惹かされている。 グラブの寄贈や50-50のボールの価値の高さなどにも目を瞠った。 また、通訳の使い込み事件についても、その人間性としての「ポカ」にも、ある種の共感を覚えた。 そして、今回のWS進出にはかつての松井選手が所属したチームとの対決である。 松井選手も取ったようにMVPを、とも願うこと自体が、野球音痴のファン心理である。2024 年10 月24 日
やはり効率的だ
このブログで何度も紹介しているように「やる事を書き出してからやる」と言うのを残念ながら点数を付けるとまだ赤点ギリギリだと思うことが多いが、先日「これは良い」と実感したことがある。 定例的にやっていることは既に書き出してあるから「ねばならぬ」に入って居るのだが、それ以外のこの季節ならではの「したい事」が出てきて、前の晩寝る前に書き出して、起きてから追記して、都合9項目になった。 遣る前には「これだけ出来るかなぁ」と思う事も有ったが、「出来なければ明日に回す」という気持ちでやり始めた。 前日に友人に「チェンソーを貸してくれ」と頼んでいたのだが、彼が仕事に行く前に「エンジンもかかるし、燃料もたっぷり入れといたから」と持参してくれた。 頼みに行けば距離はそんなにないが、矢張り世間話もするだろうし、小一時間はかかるだろうが、それがゼロになった。 そのおかげで雑木の伐採が思った以上に捗った。 午前中に4項目、午後からの買い物も「あなたが来るのを待っていたよ」という具合に希望する物が容易に入手できたから、最終項目をやり終えたのが3時過ぎだった。 ゆっくりお菓子を食べながらお茶を飲んで、撮り溜めておいた娯楽ビデオを見て過ごすことが出来た。2024 年10 月23 日
何時もと同様、が嬉しい
昔は三日坊主を何度も繰り返していたが、在職中は「仕事のイベント」と「会議メモ」だけだった日記だった。 リタイアしてもう25年くらいになるが、余程の事が無い限り付け続けている。 この中で、いくつかの決まり文句がある。 その中で最も発生頻度が高いのが、「〜〜と同様に」といフレーズだろうか。 一頃は「ナント文才の無い事か」と自己嫌悪に陥った事もあるが、それにも慣れると何とも思わなくなっ来ていた。 ところが、最近になって考え方が変わってきた。 「何という素晴らしいことか」にである。 まず思うのは「昨日と同様に、今日も生きて居る」という事ではないか。 以前このブログでも紹介したが、毎朝起きて一番最初に行うことは、1年版のカレンダーの昨日に「今日も元気で起きることが出来ました」と昨日までに感謝する意味で丸印を付ける事である。 こんなことが、いついつまでも続きますように。2024 年10 月22 日
顔を隠さない容疑者
ほんの少し前では、TV等に映される容疑者は大袈裟な位顔を隠していたものだ。 ところが最近の闇バイトと称される犯罪に関与した容疑者の殆どが、顔を隠していないことが気になった。 警察側の配慮が無くなったのか、容疑者が拒否したのか分からないが、所謂「すっぴん」で映されている。 万が一「大した罪にはならない」とでも思っていて、芸人や反社会的勢力の一員ではないのだから「これで俺も名前が売れる」とでも思っているのだろうか、と素人ながら邪推してしまう。 厳罰を求めるわけでは決してないが、矢張り犯罪者であれば、それなりの罰を受け続ける必要があるのではないだろうか。 でなければ、更生を期待しての情状酌量も「再犯誘発」にしかならないのではないだろうか。2024 年10 月21 日
新しい読書
冬物の整理をやっていたら、手塚治虫の「ブラック・ジャック」が1巻から17巻まで綺麗に揃えて置いてあった。 随分昔に1冊息子に買ってやった様な気がするが、それ以外はすべて息子が買い揃えた物だろう。 私自身は、床屋へ行く時に読むくらいで、そんなに熱心ではなかったものの、結構好きな漫画だったので、是を機に「ゆっくり読書」ということで読んでみることにした。 ところが、読み始めると、「どうにも止まらない」と言う事になって、「ねばならぬ」事が済むとどうしても手が伸びてしまう。 結局最初の1巻は、著者の奥様があとがきを書かれていたのだが、それもすべて読んだ。 まだいくつかのシリーズ物が、全て揃っているのかどうかは分からないが、暫くは「漫画の虜」になってみよう。 こんな老後が有っても許されるだろう。2024 年10 月18 日
好きなタレントさんが亡くなった
西田敏行さんが76歳で亡くなったとの報に、昨日あった。 随分前になるが、私が一時期音楽だけではなく、出演映画が好きだった、エルビスプレスリーの会の会長だったとかと聞いたことがある。 そんな思い出から、これも随分昔に漫画雑誌で好きになった「釣りバカ日誌」(この本は一時期停止した事もあったけれど、リタイアを契機に再開していまでも欠かさず購読している)の映画の主演をなさったときは、欠かさず見ていた。 現在のリメーク版は見ていない。 そして、矢張り一番好きになったのは「もしもピアノが弾けたなら」だったろう。 好きではなかったカラオケに行くたびに、下手なだみ声を顧みずに大きな声を上げて歌ったものだった。 TVドラマでも良くお付き合い願ったものだった。 ご冥福を祈る。2024 年10 月17 日
そろそろ危険な頃
決して「悪さ」をしようとしている訳ではないが、今年は2年ぶりの作業の時期である。 今年は、天候・気温が「猛・酷」がつくくらいの事態だった。 災害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。 この話題は、不謹慎かもしれませんが、私個人にとっては、ハバネロと激辛唐辛子の大豊作でした。 ハバネロは2株だけだったのですが、真っ赤な実が100個近く収穫できましたし、先日「始末」と言う事で、小さく青い実もすべて収穫しました。 赤い実の多くはしっかりと乾燥させて、無理かもしれませんが、数粒の種も取って来年に備えます。 一部の物は、そのまま冷凍保存させますが、3/4くらいはミルサーと言うミキサーにかけて粉末で保存します。 青い実の内ビー玉より大きいものは、ハバネロ辣油にしました。 勿論まだもう一度分くらいは残っていますので、来年まで冷凍保存です。 小さな実の食べ方は、色々あるようなので、楽しみながらやってみたいと思っています。 ここまでなら何も「危険」でもないのですが、万が一「辛い物好きだから」と言う事で真似される時には必ず「ビニール手袋」を使ってください。 それを素手でやると「危険」です。2024 年10 月16 日
ベッドシーツなどの季節替え
日中はまだ暫く暑い日が続くとの予報だけれど、以前にも書いたように部屋は風通しが良いので、朝夕は「完全秋物」と言う程着道楽ではないが、褞袍(皆さまはお持ちでしょうか、私の真冬には必需品なのです)などは別にして、長袖の物を初めとして、夏物は10%を目標に片づけてしまいました。 家内に言わせれば「まだあれが有るじゃないの」と言われますが、それは「完全冬物」の時にすることにして、横着をきめ込んでいます。 着る物はそれでよいのですが、ベッドシーツや蒲団ということになると、一人で簡単に、と言う訳にも行かず、家内に手伝ってもらわなければなりませんが、その大作業も先日、完全に行いました。 大谷選手は定期的にベッドを変えているという話を聞いたことがありますが、そこ迄は出来ず、季節の定期的に上下、裏表を替えています。 これだけでも気分が違うものです。 貧乏人のソコソコの満足です。2024 年10 月15 日
同日の報道
今では二人とも50代になっているが子供の頃、地元出身の漫画家という事も有り、二人とも喜んで見ていた「ドラえもん」の声の大山のぶ代さんが90歳の人生を全うされたことに感謝と懐かしみを覚えていたら、次が「ノーベル平和賞受賞」のニュースが飛び込んできた。 一つは「今まで暖かく夢を見せてくれた事・人」に関する感謝である。 もう一つは判断が難しい。 努力されている方には「語り部」という活動を含めて末永い活動を期待するとともに、矢張り「唯一の被爆国」である「国」としては「核の傘の下に居る」という事は有るとしても、これまで民間が頑張っているのだから、言葉の上っ面だけではなく、具体的な行動として「受賞国」だから言えることを国際的な場所で言明してもらいたいものである。2024 年10 月11 日