2024 年11 月22 日
2024 年11 月21 日
偶には「ぽっかり」と
今日は、ルーチン的に行う私の担務は、生護美捨て、畑と庭の巡回、Excelの学習、ネットニュースとメールの処理だけである。 それだけなので、後は「ポッカリ」空いている。 朝起きて寝ぼけ頭で考えているが、それ以外に「せばならぬ」という事は思い当たらない。 以前は「時間貧乏性」で、「こんな事はあってはならないのだ」と自分に言い聞かせて、手当たり次第に、読みかけだった本を初め「途中になっていた物」を探し求めて手を付けてみたりして「ボケ防止」だと言い聞かせていたが、其れにもかなり飽きてきていた。 そんなことで手掛けた物は、その殆どが、結局「やり掛け」で残ってしまっているのであるし、一向に身が入らないのである。 今日は然程天気も良く無い様なので、散歩という気分にもならないから、「ポッカリ」をじっくりと楽しんでみようと思う。2024 年11 月20 日
もう真冬だ
天気予報で、予想気温が数値で表示されるのは有難いのだが、残念ながら「体感」するまで実感が伴わなくなってきている。 加齢の所為もあるのだろうが、ここ数日の気温変化は、私にとっては「もう真冬」という感じである。 着る物が中々追いついていかなくて、結局軽い風邪症状が出たので、一昨日は、寝る前のお酒は3杯の所2杯にして(この辺が自分でもいじましいなぁと、書いていて思ったけれと、是って方言?)。 常備されていて、自分に一番合っているという市販の風邪薬を飲んで、寝る時用の「ゆる靴下」の底に「お茶パック」に数個のホール唐辛子を入れて寝た。 お陰で、朝はすっきりと鼻詰まりも無く起きることが出来て、「第一段階、クリア」という感じになった。 そろそろ下着の半袖シャツも長袖に、股引も穿いて、靴下も厚手の物にして。。。 「一病息災」を心に留めて過ごしたい。2024 年11 月19 日
兵庫県知事選に思う
県知事の失職前から、四面楚歌という感じだったのに、想像を完全翻して「圧勝」という時代になったのは、門外漢だけれど、正直驚いた。 全県議が「お辞めなさい」といったのがひっくり返ったのだから、今後の県政がどのように動くのかは、まったくもって想像できないし、逆に「全員右向け右」の号令に従って、整然といろいろなことが実現されていくのだとも思える。 今回の選挙は冒頭にも述べたが、新聞やテレビなどのマスコミによる「四面楚歌」状態だったのにSNSでの情報操作によって街頭インタビューでは「全てでったあげだった」という意見を述べている若い人も写されていた。 マスコミが挙って「ウソをばら撒いた」というような報道である。 そこで、全国の若い人達よ、これで投票で「何かが変わる」ことが分かっただろう、と言いたい。 衆議院選挙の時も100点満点の試験では「落第点」だった投票率が、次回の選挙の時には、今回のように「興味を持って見て投票して欲しい」。 勿論私を含めた高齢者も「もう一度正しく見て投票したいものである。2024 年11 月18 日
質の悪い自分の癖
またやらかしてしまった。 自分作成のビデオや写真のミレニアム保存も、一段落していたので、M-DISCと書き込み装置を大切に仕舞っておいた。 つい先日、娘に「孫のDVDなどもM-DISCのあるうちにミレニアム保存しておいた方が良いのではないか」との話題になり、娘自体でも整理が必要になるから「そのうちに頼むわ」という事になっていたのだが、3日前に「それじゃ当面これを頼むわ」と言われていたので、昨日から着手したのである。 何度かDVDからHDDに写すときにリトライしているような音がしたけれど、HDDになったものを再生すると全て上手く行っていたので、今日になっていざM-DISCにコピーしようとして、はて、必要媒体は何処へ仕舞ったのだろうか、と探し回ること約3時間。 時々頭のクールダウンをしながら探し当てることが出来た。 今になって思ったのだが、この歳になって「クールダウン」が如何に難しいかを思い知らされた。 「これは大切なものだから(先日のニュースで品不足になる、というようなことが出ていたから)大切に仕舞っておかなければ」と思って、しっかりと仕舞ったのは良いのだが、自分が忘れて終うという質の悪い癖にてんてこ舞いだった。2024 年11 月15 日
定期健康診断
毎月の定期健康診断と薬の補充という事で、先日行ってきたのだが、何時もと一つだけ違う所が有った。 良い意味でである。 血液検査の結果で、いくつもの数字が出ていて、何時もは数個マークがついていて、医師から「フーム」という声が出るのだが、どれも以上や以下、という事だが、その度合いが僅かだから「まぁ、こんな所か」と20年以上もの罹りつけと同年齢という事も有り、お酒や嗜好に着いてもいろいろと笑い話の中で過ごしてきたのである。 それが、今回は「ノーマーク」だったのである。 触診と医師自らの血圧測定も120/70という数値で「いう事なし」だったのである。 かつて診察3分、という言葉が有ったけれど、笑顔3分のいい日だった。 ところが、好事魔多しという事はあるもので、調子に乗って「こんなものは」と刃物を触ったら、はずみで指を傷つけた。 自重、自嘲。2024 年11 月14 日
今年の葉唐辛子
今年のあれだけの「例年と違う」気候変化が有ったので、猫額の畑では、思ったよりもかなりの被害だった。 以前にも紹介したが、そんな中でも「思った以上の収穫」が有った物のうちの一つが「鷹の爪」だった。 最盛期は大分前に「そろそろ終盤」となっていたのだが、小さいながらも「真っ赤」な実がついていたので、育つがままにしておいたが、例年としての時期的にはもう1カ月ほど前に葉を主体に収穫する頃だったのである。 それが、結果としては、家内としては「失敗」だってのである。 家内は「辛すぎる実」よりも「適度に辛い葉唐辛子」が希望だったのである。 先日漸くすべて収穫したが、思った以上に葉が小さく、小さいけれど真っ赤で激辛の実が多数になった。 挙句、いつもと同じように家内が作ってくれたのだが、青い実はそんなでもないと思ったのか、それを大量に入れたものだから、「劇」がいくつも付くほどの物に仕上がった。 従って、今年の葉唐辛子はすべて私が消化役である。 楽しく長く美味しく頂こう。2024 年11 月13 日
軽い散歩
先日久し振りの「秋晴れ」に気分を良くして1時間弱の散歩をしてきた。 なるべく「陽の当たる所」を選んで、前後から車の音がすれば、立ち止まり「どうぞお先に」と合図して、急ぐ訳でもないので、基本的に「正しい姿勢で」を心掛けて背筋を伸ばし、足裏全体を使って耳には、愛用のウォークマンでラジオを聴き、ゆっくりと歩いてきた。 かつての「散歩励行」をやっていた時とはテンポは随分違うが、矢張り歳を考えればこれが適当だろう。 でも、自分で言うのもおかしいが、歩幅も無理しない程度に出来るだけ広くしているので、「モタモタシテいる」という事には成っていないと思う。 飽くまでも「自画自賛」ではあるが、これから冬になることを考えると、少しの陽射しを惜しんでこの程度の散歩を心掛けたい。2024 年11 月12 日
まだまだ教わることがある、事を知る
先日見た夢の事である。 夢だから「なんで」という疑問は挟まないで、当事者だったり、俯瞰者だったりして、結構楽しく見ていることが多い。 内容は、立場がどんな物かは全く知らないが、各神社の総元締めで、その指導に回っている一員になっていのである。 各神社では「指導外」の事も行われていることがあるので、その是正策について「命じる」というのではなく、相談に乗って善後策を論じている。 当然「指導」なので此方が有る意味で「教える」立場なのだが、神社に依ってはそれが出来ないことがあり、その事情を聴いて善後策を議論する中で、此方が知らないというか考えに落ちが有ったりすることがあり、教わることが沢山ある事に気づかされたところで、覚めたが、いい夢見だった。2024 年11 月11 日
来年の予定が入った
先日のOB会の次回予定が年1回だから来年の日付が有っても驚かなかったけれど、歯医者の次回予定が2月と言われたときには「エッ」と思ってしまった。 一連の治療が終わっての前回から「今後は3カ月おきで良いですね」と言われて、何の気なしに「はい」と答えていて今月の診察日になったのだが、当然来年になっていて当然だったのに気が付かなかったのである。 そう言えば「良いお年を」という挨拶を忘れて終っていたことを出てから思い出した。 来月に予約になっている癌の経過観察も、2回前くらいから3カ月になっているのだから、今度辞去する時には先生にも看護師さんにも今年の感謝と一緒に挨拶を忘れないようにしたいものである。 世の中には「カスハラ」という事で「金を払って見てもらってやっているのだから」とい態度を取る患者さんがいらっしゃるというのは現実で、つい少し前に目撃したが、「良き患者」で居続けたいものである。2024 年11 月8 日
歩くのが遅くなったのかな
一昨日のOB会の為に久しぶりに、金沢へ出かけた。 今まで駅までは13分くらい見ていれば十分だったのだが、小雨が降っていた所為もあり、未だ、途中正月地震の影響で浮き上がった様な所の補修の関係で、少し遠回りになった様で、駅に着いたらぎりぎりだった。 金沢駅に着いても、会場は直ぐに見つかったのだが、所定の時間までは未だ時間が有ったので、久し振りの金沢の賑わいを見て回ろうと、気ままに、「姿勢に気を付けて」(これは昔も変わらなく、人が猫背などで歩いているのを見ると「確りしなければ」という気持ちになるので自然にそうなる)時間にして30分くらいだろうか、歩き回って、目の保養などを楽しんできた。 会が始まってからは、昔の仲間とわいわいがやがやと楽しく過ごし、幾つかのテーブルも回っていた。 昨日の朝になって、矢鱈メッタラ足が痛くなったのに気が付いた。 原因が分かっているのだけれど、直ぐに症状が出るというのは、まだ若いという事か、と苦笑いする。2024 年11 月7 日
「発声と健康について」
昨日のデータ同友会での講演会は、今までの「技術動向」「経営動向」というようなものと全く違った内容の物で、表記の通りで楽しく自分にとっては「わが意を得たり」というものだった。 令和2年の春頃に罹った「咽喉癌」からもう足掛け5年になり、サイバーナイフの治療終了から足掛け3年になり、現在は3カ月ごとの「経過観察」期間が続いている。 現在のところ「再発・転移無し」で経過良好である。 今回の公演では、まず「正しい発声が出来ているか」という事で、発生を15秒継続できるか。 これは5年前に機械で計測されて「声が30%くらいしか出ていません」と診断されたときと同様である。 今では15秒は未だ到達していないが10秒は超えている。 次が「活舌を良くする」という事で、現在朝起きてベッド内でやっている「腹式呼吸と10カウント発声」で励行している事と同意だった。 同級生には別の癌だけれど、経過観察が10年経過して「もう来なくて良いよ」と言われた者も居るので、無理せず続けていこう。2024 年11 月6 日
掛け軸の理解
私が子供の頃には確か無かった掛け軸だったと思うが、今回整理した中から出てきたもので「そういえばこんな掛け軸が有ったなぁ」という事で、今月から床の間に掛けた。 掛け軸には「黒い竹」墨一色で描かれているだけで、箱には「墨竹」とあった。 字の示すとおりである。 「墨竹」という事で調べてみたが、似たような軸が無かったので「お宝」と言う程の値打ちが有るとは思えないが、それでも父の意思が有っての物だろう。 ネットで調べると意味は色々とあるようだが、いずれも中国の文献などから引いたもののようである。 決めつけることはできないので、幾つかある意味の中から、あくまでも父が思っていたのではないかという思いと「私の好み」という事から「清浄且つ孤高の境地」という事にして、箱の中に書き留めたものを残しておこう。2024 年11 月5 日
園芸作業
どうも天気が悪い(と自分の所為を天気に転嫁しているのだが)ので、中々上手く育たなかった秋野菜だったので、心機一転「やり直し」を決めて先日の天気の良い時にやり直した。 大根はキチンと株間スペースを取り、苗の小さい内に強い雨がっ降ったため(これも天気への責任転嫁である)の反省を込めて、苗フードを被せておく。 次が、玉葱苗である。 何度やっても「畝づくりが下手」(これは完全に自分の所為である)なので、今度はある程度余裕を持たせた広い畝にして、穴あきマルチを確りとして、浅植えにならないように、しっかりと深い穴に苗を差し込んで、培養土で押さえておく。 チューリップは昨年は花までゆっくりと愛でたので、掘り起こした球根は小さかったので、新しい球根を買ってきて、昨年の所は掘り起こして、新しく培養土に肥料を混ぜて埋めてから植え付ける。 最後が、苗を買ってきたのだが、雨で駄目になった(これも責任転嫁)豌豆は、改めて冬越しになるが種まきから始めた。 果たして結果は如何か。2024 年11 月1 日
努力はするが無理はしない
どうしても「これ位なら」と無理をしてしまう自分がいる。 これは、今年になってからも何度か自分に孜々聞かせている事なのだが、調子に乗り出すと、この歳に成っても「若気の至り」という事で突っ走ってしまい、ついつい限度を超してしまっていることを反省する。 具体的に挙げて紹介するのもみっともないので、止しておくが、今の所は、大きく失敗とまでは行っていないと思っているから、この様なことを呟けられるのであろう。 年齢は別として、それなりにそんな気持ちになれることに感謝しなければならないと思っている。 反省と同時に感心もしている。 さて、今日から「霜月」。 そろそろ行き過ぎないように、雪吊りを始めとした「冬支度」をしなければ。 その為に庭の鉢物の整理なども必要だから、身の回りを見渡すとやる事が多くある。2024 年10 月31 日
掛け軸の整理
お正月には決まって掛ける天神様の掛け軸とお盆に掛ける観音様の掛け軸は別として、父の頃からの掛け軸が有ったのを思い出して、一度整理することにした。 正直言って「良く分からない」というものが多い。 まずは、今掛かっているのは、「松の木に長い紐の先にぶら下がっている土瓶」を書いたものである。 これは、その年によっても違うが、9月から10月一杯くらいまで掛けている。 木箱に入った「五言二行の書」というものが有り、この箱には赤い印が押されている。 平野という名前が書いてあるので、平野さんのお祝いの時にでも戴いた物だろうか。 文字が5文字ずつ2行に亘って書いてある。 横幅が広い「墨竹」と書いてあるもの。 これは、見ていて何となく落ち着く。 墨絵の中国の絵に良くある「高い山から流れる渓流の淵に庵が有る物」が有る。 その他は、私が中国旅行で寒山寺に行った時に買った「知足常楽」と書いたものが有るが、これは然程高価では無かったし、私の名前の漢字が入って居たことと、園芸高校の時に教わった真ん中に四角い湧き水口が有り、五隹止矢文字が有る蹲が気に入っていたからである。 このほかに鮎が上を向いて泳いでいるものが有ったはずだがと探したが見つからなかった。 せめて各軸1年に一度は風に当てたいものである。2024 年10 月30 日
見た夢の想い出
「Hope」という意味ではないが、時折記憶に残る夢を見る。 ほとんどの場合「夢だから『何故か』を問い詰める」という事は無い。 でも「もしかしてこんなことが事が引き金の一つになっているのではないか」と思い出すことがある。 勝手な物で「余程怖かったりする夢は『確か見たけれど』ということで内容が思い出せない」ことで、忘却の彼方になってしまうのが幸いである。 先日の夢は「豪雪になって、除雪要員として駆り出されているのだが、何故か私が行くところでは、簡単に除雪が出来る様になっていた」というようなそれこそ、夢のような物だった。 私が思い出す「豪雪」は昭和36年と38年の物である。 それはどうでもよいとして、参加させていただいている「学習会」で先日最寄り駅での除雪模様の写真が出てきた。 今で言う「ママさんダンプ」の大型の物で、写真で見る限り「木製」の物で、引き手と押手がそれぞれ5人くらいで、駅の除雪をしている写真だったのだろう。 簡単に、というのは先日我が家の除雪機の事前点検が上手く行ったことだろう。2024 年10 月29 日
これからが本格的な論戦
まだまだ選挙戦の残り火が残っているようだけれど、兎にも角にも「数字の上」では従来の「与野党逆転」が実現した訳である。 今までは「数は力、力で勝つ」と言ってきた与党に対する「基盤」は出来た訳である。 一朝一夕ではできない事は、与野党に限らず誰も期待していないが、「一つ一つの事」に期限を定めて徹底的に議論していただきたい。 期限を定めないと「一歩も引けない」という事で「餓鬼の喧嘩」になってしまうから、今こそ「小異を捨てて大同に」という考え方で国民に分かるような議論の徹底をお願いしたい。 それができなければ、議員を辞める位であってほしい。 でも、八百屋で魚を買う程になるのかなぁ、2024 年10 月28 日
先日の夢の詳細
2時頃に目が覚めて、何故か(これも夢だから)まだ新聞が届いていない時間帯なのに、新聞を取りに行って、(これも夢だから)何故か同じ新聞が2部入って居る。 ここで寝ぼけ頭(未だ半睡状態だから)で、これは誤配だろうか、新たな勧誘手段だろうか・・・と考えたが、そう言えば以前再配してくれと頼まれたような気がして、近くの踏切の傍にある方へと言う事なのだろうと、仕方なく着替えて届けに行くと、もう白々と夜が明けていて、届けたのだが、本来の今日の分が既に届いているよ、と言われたので、まごまごしていると、配達員の人が近くに居られて、私の行動に感謝してくれている。 これで、夢が終わり、気が付いたらまだ時間が、夢の始まりから30分ほど経ったままでベッド内で目覚めて、又寝した。 悪い夢では無さそうだろう。2024 年10 月25 日
然程野球キチではないが
個人的に好きな選手は沢山いるが、野球のプレーにはそれ程興味が湧かないが、現役時代やリタイア後の言動に結構惹かれてのファンである。 それにしても、今回の大谷選手は、成績にも一喜一憂したのは事実であるが、それ以外の活動を始めとした言動に結構惹かされている。 グラブの寄贈や50-50のボールの価値の高さなどにも目を瞠った。 また、通訳の使い込み事件についても、その人間性としての「ポカ」にも、ある種の共感を覚えた。 そして、今回のWS進出にはかつての松井選手が所属したチームとの対決である。 松井選手も取ったようにMVPを、とも願うこと自体が、野球音痴のファン心理である。2024 年10 月24 日
やはり効率的だ
このブログで何度も紹介しているように「やる事を書き出してからやる」と言うのを残念ながら点数を付けるとまだ赤点ギリギリだと思うことが多いが、先日「これは良い」と実感したことがある。 定例的にやっていることは既に書き出してあるから「ねばならぬ」に入って居るのだが、それ以外のこの季節ならではの「したい事」が出てきて、前の晩寝る前に書き出して、起きてから追記して、都合9項目になった。 遣る前には「これだけ出来るかなぁ」と思う事も有ったが、「出来なければ明日に回す」という気持ちでやり始めた。 前日に友人に「チェンソーを貸してくれ」と頼んでいたのだが、彼が仕事に行く前に「エンジンもかかるし、燃料もたっぷり入れといたから」と持参してくれた。 頼みに行けば距離はそんなにないが、矢張り世間話もするだろうし、小一時間はかかるだろうが、それがゼロになった。 そのおかげで雑木の伐採が思った以上に捗った。 午前中に4項目、午後からの買い物も「あなたが来るのを待っていたよ」という具合に希望する物が容易に入手できたから、最終項目をやり終えたのが3時過ぎだった。 ゆっくりお菓子を食べながらお茶を飲んで、撮り溜めておいた娯楽ビデオを見て過ごすことが出来た。2024 年10 月23 日
何時もと同様、が嬉しい
昔は三日坊主を何度も繰り返していたが、在職中は「仕事のイベント」と「会議メモ」だけだった日記だった。 リタイアしてもう25年くらいになるが、余程の事が無い限り付け続けている。 この中で、いくつかの決まり文句がある。 その中で最も発生頻度が高いのが、「〜〜と同様に」といフレーズだろうか。 一頃は「ナント文才の無い事か」と自己嫌悪に陥った事もあるが、それにも慣れると何とも思わなくなっ来ていた。 ところが、最近になって考え方が変わってきた。 「何という素晴らしいことか」にである。 まず思うのは「昨日と同様に、今日も生きて居る」という事ではないか。 以前このブログでも紹介したが、毎朝起きて一番最初に行うことは、1年版のカレンダーの昨日に「今日も元気で起きることが出来ました」と昨日までに感謝する意味で丸印を付ける事である。 こんなことが、いついつまでも続きますように。2024 年10 月22 日
顔を隠さない容疑者
ほんの少し前では、TV等に映される容疑者は大袈裟な位顔を隠していたものだ。 ところが最近の闇バイトと称される犯罪に関与した容疑者の殆どが、顔を隠していないことが気になった。 警察側の配慮が無くなったのか、容疑者が拒否したのか分からないが、所謂「すっぴん」で映されている。 万が一「大した罪にはならない」とでも思っていて、芸人や反社会的勢力の一員ではないのだから「これで俺も名前が売れる」とでも思っているのだろうか、と素人ながら邪推してしまう。 厳罰を求めるわけでは決してないが、矢張り犯罪者であれば、それなりの罰を受け続ける必要があるのではないだろうか。 でなければ、更生を期待しての情状酌量も「再犯誘発」にしかならないのではないだろうか。2024 年10 月21 日
新しい読書
冬物の整理をやっていたら、手塚治虫の「ブラック・ジャック」が1巻から17巻まで綺麗に揃えて置いてあった。 随分昔に1冊息子に買ってやった様な気がするが、それ以外はすべて息子が買い揃えた物だろう。 私自身は、床屋へ行く時に読むくらいで、そんなに熱心ではなかったものの、結構好きな漫画だったので、是を機に「ゆっくり読書」ということで読んでみることにした。 ところが、読み始めると、「どうにも止まらない」と言う事になって、「ねばならぬ」事が済むとどうしても手が伸びてしまう。 結局最初の1巻は、著者の奥様があとがきを書かれていたのだが、それもすべて読んだ。 まだいくつかのシリーズ物が、全て揃っているのかどうかは分からないが、暫くは「漫画の虜」になってみよう。 こんな老後が有っても許されるだろう。2024 年10 月18 日
好きなタレントさんが亡くなった
西田敏行さんが76歳で亡くなったとの報に、昨日あった。 随分前になるが、私が一時期音楽だけではなく、出演映画が好きだった、エルビスプレスリーの会の会長だったとかと聞いたことがある。 そんな思い出から、これも随分昔に漫画雑誌で好きになった「釣りバカ日誌」(この本は一時期停止した事もあったけれど、リタイアを契機に再開していまでも欠かさず購読している)の映画の主演をなさったときは、欠かさず見ていた。 現在のリメーク版は見ていない。 そして、矢張り一番好きになったのは「もしもピアノが弾けたなら」だったろう。 好きではなかったカラオケに行くたびに、下手なだみ声を顧みずに大きな声を上げて歌ったものだった。 TVドラマでも良くお付き合い願ったものだった。 ご冥福を祈る。2024 年10 月17 日
そろそろ危険な頃
決して「悪さ」をしようとしている訳ではないが、今年は2年ぶりの作業の時期である。 今年は、天候・気温が「猛・酷」がつくくらいの事態だった。 災害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。 この話題は、不謹慎かもしれませんが、私個人にとっては、ハバネロと激辛唐辛子の大豊作でした。 ハバネロは2株だけだったのですが、真っ赤な実が100個近く収穫できましたし、先日「始末」と言う事で、小さく青い実もすべて収穫しました。 赤い実の多くはしっかりと乾燥させて、無理かもしれませんが、数粒の種も取って来年に備えます。 一部の物は、そのまま冷凍保存させますが、3/4くらいはミルサーと言うミキサーにかけて粉末で保存します。 青い実の内ビー玉より大きいものは、ハバネロ辣油にしました。 勿論まだもう一度分くらいは残っていますので、来年まで冷凍保存です。 小さな実の食べ方は、色々あるようなので、楽しみながらやってみたいと思っています。 ここまでなら何も「危険」でもないのですが、万が一「辛い物好きだから」と言う事で真似される時には必ず「ビニール手袋」を使ってください。 それを素手でやると「危険」です。2024 年10 月16 日
ベッドシーツなどの季節替え
日中はまだ暫く暑い日が続くとの予報だけれど、以前にも書いたように部屋は風通しが良いので、朝夕は「完全秋物」と言う程着道楽ではないが、褞袍(皆さまはお持ちでしょうか、私の真冬には必需品なのです)などは別にして、長袖の物を初めとして、夏物は10%を目標に片づけてしまいました。 家内に言わせれば「まだあれが有るじゃないの」と言われますが、それは「完全冬物」の時にすることにして、横着をきめ込んでいます。 着る物はそれでよいのですが、ベッドシーツや蒲団ということになると、一人で簡単に、と言う訳にも行かず、家内に手伝ってもらわなければなりませんが、その大作業も先日、完全に行いました。 大谷選手は定期的にベッドを変えているという話を聞いたことがありますが、そこ迄は出来ず、季節の定期的に上下、裏表を替えています。 これだけでも気分が違うものです。 貧乏人のソコソコの満足です。2024 年10 月15 日
同日の報道
今では二人とも50代になっているが子供の頃、地元出身の漫画家という事も有り、二人とも喜んで見ていた「ドラえもん」の声の大山のぶ代さんが90歳の人生を全うされたことに感謝と懐かしみを覚えていたら、次が「ノーベル平和賞受賞」のニュースが飛び込んできた。 一つは「今まで暖かく夢を見せてくれた事・人」に関する感謝である。 もう一つは判断が難しい。 努力されている方には「語り部」という活動を含めて末永い活動を期待するとともに、矢張り「唯一の被爆国」である「国」としては「核の傘の下に居る」という事は有るとしても、これまで民間が頑張っているのだから、言葉の上っ面だけではなく、具体的な行動として「受賞国」だから言えることを国際的な場所で言明してもらいたいものである。2024 年10 月11 日
場違いな場所に参加している
夢の事だから「何故か」という言葉は割愛して、「俳句の会」に参加している。 同じグループで別の機会に「発句会」というのだろうか呼ばれて参加した夢である。 最初の夢の入り掛けに「あぁ、これは夢だ」としっかりと認識しながら、その場の雰囲気に適当に合わせて振る舞っているのだが、当然の事ながら「化けの皮」が剥がれているのを自覚して、修正や「何とか『糊塗』しよう」としている自分が可笑しい。 ところが、何故か女性も多い30名くらいのグループなのだが、内心では分からないけれど「卑下したり、面と向かって叱責されない」ことにだんだん腹が立ってきた。 これで一部が終わり、トイレを済ませて見たのが「続編」である。 大家に集まって、お孫さんの雛祭り祝いである。 豪華な雛人形をいろいろな言葉で誉めているのだが、それが一段落したら、またぞろ「それでは最年配の人から」と言われて指名されてしまった。 いい加減な事を言っているのだが、何故か家人の人からも、好評だった。 夢と自覚しているのだから「悪夢」という事ではないだろう。2024 年10 月10 日
主に懐メロが好きである
風呂場で聞く音楽、運転中に聞く音楽、好きな歌手の音楽、時折は、昔少し習った謡曲の一部などなど、いろんなジャンルの音楽をBGMとして聴いている。 当然の事ながら、音楽のジャンルと共に曲数も多くなっている。 自分としては「その時の気分に有った音楽」と選択して聞いているのだが、時折「何でもいいや」という事で「ランダム演奏」にする事も楽しみの一つである。 でも矢張り数曲でも何度も聞くと飽きてくる。 そんな時には「行進曲」やクラシック音楽に浮気することも少なくはない。 しかしながら、数度の浮気の後、暫くするとまた懐かしくて聴きたくなるのは。最も好きなジャンルで「昭和の歌謡曲」や「歌謡浪曲」である。 矢張り「懐メロ」が良いなぁ。2024 年10 月9 日
先日見たCFに笑った
TV番組は、スポンサーには悪いが、殆ど録画してCFの部分は飛ばして見るのが常になっている。 そんな訳で家内や家族から「あのCF見たでしょう」と言われても全く反応できない。 先日の土曜日は「資源護美搬出日」だったので、家族は全員休みで、早くに起きて持って行ってきた。 お腹も空いたので、自分流の朝食を作って食べながらの朝食となった。 そんな時に流れたCFを見て笑ってしまった。 老人がAIに向かって相談している場面である。 結果として「○○相談はAIより人間です」という内容である。 そりゃそうだ。話し掛けて居る人の情報が何も無いのに「そんなこと言われても」というのがAIの本音であろう。 宣伝を流す方も、それを見て納得する方も、どうも何かが違うのである。2024 年10 月8 日
読書感想文
今回は「知っているようで知らない 漢字の秘密」(素朴な疑問から字源まで) 日本語知恵の輪会[編] ワニ文庫である。 表紙に3題が出ている。なぜ、きれいな「虹」が虫偏なのか? なぜ、魚編に京と書いて「鯨」なのか? 太った羊は「美」しい? さて、この3題が分かる人は、この本を読んでも「そんな事知ってるよ」と思われるだろうから、お勧めしない。 この本は、間違いなく私が購入した本であるが、いつ頃だったかは覚えていない。 まだ現役で複数のプロジェクトリーダーを勤めていて東京と金沢2か所を飛び回っていた頃の新幹線での愛読書だったのかもしれません。 今年の4月から音読を始めて、つい先日読み終えた物です。 覚えて措いたら酒の肴の話題になるかもしれませんが、役に立つというより「読んでいて楽しい」本です。 例によって、目次の紹介です。 知の章 素朴な疑問にお答えします 驚の章 意外な事実をお教えします 遊の章 こんな漢字の楽しみ方もあります 解の章 微妙な違いをハッキリさせます 識の章 とっておきの蘊蓄を伝授します 謎の章 字源の秘密を解き明かします2024 年10 月7 日
久し振りに半田ごて
随分長い間、ベッドで新聞が読める様にと、クリップ付きのベッドサイドランプほを使って居る。 ところが先月位から何故か一寸した振動などで、点滅することがあった。 実用上そんなに困らないので調製しながら使っていたのだが、先日「ポカン」と空いた時間が出来たので、調べてみることにした。 特別な機能が有る訳でもないので、電子回路などがあったら困るけれども、その時には高価なものでもなかったと思っていたので「買い替えれば良いや」と思って、解体してみることにした。 思った通り、回路的には単なる「電灯のソケット」だけだった。 ところが、電線とソケットの接点が碍子でしっかりとした物になっていて、半田上げしてある。 随分久し振り(多分20年程放置してあった)半田ごてと半田を持って来て、まず熱くなるかどうかを調べてから、大丈夫なことを確認する。 狭い所からそのソケットを取り出して、久し振りの半田細工を楽しんだ。 細工は流々仕上げを御覧じろで無事に完成。2024 年10 月4 日
高台だから、夜は寒い
2日に書いた「まだ暑い秋」に関連するが、あれから2日間だけで、我が家は高台にあるせいか、裏庭側を網戸にして置いたままだと、「涼しい」を完全に通り越してしまった。 特に私の部屋は、その「風の通り道」になっているために昨晩はまだ冬蒲団では無いけれど、確りと布団を被って寝ないと、とてもじゃない状態である。 勿論山風の入り道の戸はしっかりと絞めてもである。 でも、こうなると「暑い」ではなく「暖かい」という気分になってそれはそれでなんだか最近の言葉ではないが「ほわほわ」という実感である。 でも、一挙に両方とも閉めるのも「勿体無い」という気分になって、ベランダ側は開けて丁度手頃である。 我が家は冬の為にベランダにもう一重戸が入って居る。 これは冬は防寒と吹き込み雪防止に加えて「冬季の洗濯干し場」になり、春先は現時点で被害者はいないが、「花粉防止と黄砂防止」になっている。 勿論干し場もである。2024 年10 月3 日
咄嗟に怒らない、様にしよう
前庭への水遣りは私の担当である。 それが先日、娘が何故そんなことに気が付いたのか分からないが、「水道の線が開けっぱなしになっていた」と鍵を持って来て告げた。 「水が出しっ放しになってはいなかったろう」と言い訳したのだが、その次の句を口から出す前に止まった。 栓が有って外して置けるようになっているのだから、停めて鍵を外しておくべきだろう」と言いたかったのだろう。 今までの私だったら「何も自分がやる事もしないで、勝手な事を言うな。水が出しっ放しだったというのなら分からないではないが、水が出る所で止めてあるのだから」と怒鳴り返していただろう。 美味しい夕食前だったので、口から出さないで良かった。 落ち着いたところで説明することにしよう。2024 年10 月2 日
未だ暑い日があるとの予報
天気予報的には、まだ台風の影響での雨やフェーン現象で暑い日があるとの予報だけれど、長い間で慣れた身体が「そろそろ秋支度だよ」と言っているようで、昨日は秋用のパジャマを出しておいた。 総入れ替えというと、夏用の物との入れ替えになるので、それなりに大変だから「小出し」になっているが、其れもまた楽しみと思えば苦にならない。 とは言え、ベランダ側の戸は網戸だけにして、蚊除けスプレーは使うのだが、寝る前までのデスクワークの内は細かい虫が入って来るので、久し振りに蚊取り線香を付け夏の名残の匂いも楽しむ。 特別良いことも無いけれど、逆に特別悪いことも無い、そんな雰囲気の中で過ごす寝る前の一時もまた楽し、である。2024 年10 月1 日
しし唐を食べ切った
苗の購入時と植え付け時に気が付かなかったのだが、結果として、今年はしし唐が3本育った。 その分、鷹の爪が1本減ったのだが。 天候の所為と場所を朝日がたっぷり当たる所のプランターに植えた所為か、見事に沢山の実をつけてくれた。 青い実はグリル(本来は魚焼きの部分)で6分間ほど焼いて薄っすらと焼き色が付いた所へ食塩を振り掛けて、時々「当たり」が有る物も有ったけれど、家族全員で美味しく頂いた。 それにも少し飽きた頃から、赤色の実が多くなり、みんな「当たり」が怖くて食べ無く成ったので、殆ど私が炒飯の具にして食べたが時々の当たりの辛さが上手い具合に(私には)マッチして美味しく頂き、先日収穫したものすべてを食べ切った。 来年の課題は如何に長く青い実のまま育てるか、である。2024 年9 月30 日
何方もお手並み拝見
それなりに各々大変な騒動で決まった「代表と総裁」でしたねぇ。 私には投票権が無かったから、「高見の見物」を楽しんでみていました。 でも、細かいことは別にして「どちらも『傍目八目』の通りに決まりましたねぇ」。 残念ながら自民党さんは「お金のことはもう済んだ」ということで決着を付けられるようですが、果たして同様なことが出てきた場合の対処は、「一刀両断」の如くに正邪を決めてそれなりの決着がつけられるのかどうか。 片やの方は「政権奪還」との意気込みだけれど、枝葉末節を切り捨てて「野党統一」が出来るのかどうか、見ものですが。 もう一つの知事さんも「出直し選挙」という事で、こちらも傍目八目的に言うならば、「多数の候補者」が出て、現職追認ということになるのだろうか。 神戸というハイソな市民を抱えた県にしては如何な物かと思いながら、高見の見物という事にしましょうか。2024 年9 月27 日
かつての美人先輩
今からだから言えるが、かつての「ガキの時代」には、少し年上のお姉さんを見ると、「美人だなぁ」と事ごとに思い、同級生や下級生の女子は、自分の事を棚に上げて「ガキだなぁ」と思っていたものである。 ところがこの歳になると、当時「綺麗だなぁ」と思っていた年上の人を見る目が俄然変わっていることに、先日気づかされた。 ガキの頃は大人の話を小耳に挟んでの「助兵衛心」も多分にあったのだろうが、最近では残念ながらそれもほとんど卒業と思われるようになっているのだから、変わるのも不思議はないのだが。 ところが、先日愕然とした人を見た。 加齢の所為か、私自身は身長はほとんど変わっていないのだが、彼女は少し小柄になっていた。 それはそれで「可愛い」のだが、顔の手入れはなさってるのだろうから、美形の面影はしっかりと残っている。 ところが、歩く姿が、蛙が歩く姿にそっくりなのである。 太っている訳でもないのに、「大きくガニ股」なのである。 せっかくの美形が台無しであり、長年のあこがれの風船も完全に萎んで終った。2024 年9 月26 日
使えば減る、それだけ「やっている」という事だ
書き写しでは、基本的に毎日3種目で各1枚ずつ使用している。 チラシの裏や使い古して残ったノートの裏などを使ってやっているが、そろそろストックが少なくなりつつある。 新聞のチラシは幸い裏白の物だけでも、週にすれば10枚程度入ってくるので、それなりに重宝しているのだが、私の場合それに原稿様式の印刷をして使っているので、其の儘では使えないので、ストックの時間が掛かる。 だから、上記のテンポで使うと足りなくなってくるのである。 これは決して「悲観」ではなく、「やっているという充実感」であり、減るのが楽しい。 リタイアした当時はまだいろいろと付き合いがあり、若かったから支出はそれなりにあったが、最近はそれほどでもないし、あれだけ好きだったパチンコも週一も無いくらいだから、細々とした年金生活者としては、書き写しも一つの大きな楽しみである。2024 年9 月25 日
健康麻雀で絶スランプ
今週の月曜日にいつも通り健康麻雀に参加した。 ところが、「不調」というのは今でも何度も経験していたが、其の日は「絶」がつくほど不調だった。 他の人が上がった時の感想戦が話されていた時が何度かあって、その話はほとんど聞かず、自分の自模牌と捨て牌を場を見ながら反芻していたが、「勘違い」という事も「切り間違い」という事も見当たらないのである。 また、振込も無かったので、自模られたのとノーテン罰符で減るだけで、幸い3位をキープするのに止まった。 それにしても、長い間麻雀をやってきたがこんなことは初めてだと思う。 賭けている訳では無いから、「無茶」ではない程度に挑戦しようとするのだが、いずれの場合も「途中で停滞」という手の進み方だった。 体調も特別悪い訳では無いのだが、矢張り加齢の所為だということにしておこう。2024 年9 月24 日
少し長くなるが
ことわざ(故事・金言)小事典の書き写しをしていることは9月11日に紹介したが、先日出会ったのに、こんなことわざがあった。 「この非道なくわだて(戦争)における奇妙な点は、人殺しの首領が、それぞれ隣国を皆殺しに出掛ける前に、自分の軍旗を祝福し、厳かに神に祈る事である。もし首領が2-3千人の人間を殺させるという幸福しか掴めなければ、彼は神に感謝しない。」(ヴォルテール 仏蘭西の哲学者 1694-1778)。 これを誰がどう読んで、どのように理解するかは夫々だから、一概に私の理屈を述べるつもりは無いし、場合によっては、賛成論より反論の方が多いかもしれないから、「私が気に留めた一言」という事で紹介だけにします。追記をみる
2024 年9 月20 日
噴飯物の記者への答弁
今回の兵庫県知事さんは、よほど学業としての成績が良く、元知事さんだった人の末裔で、「蝶よ花よ」と育てられてきた人なのだろう。 全議員からの不信任を受けた後の記者への答弁は「カンペ」もほとんど見ずに、どこかで聞いたような文言だった。 在職中は半官半民の会社で仕込まれたから、使う機会は無かったけれど、こんな文章を書くのだぞと教えられたことがあった。 要は「自分は『誠心誠意』職務に精励して、落ち度はあったかもしれないが、決して悪意でやった事は一度もやった事が無い」という趣旨の文章である。 それでご先祖様から「トップになったらある程度無茶も通るだろうが、それまでは『御名御璽』で勤務に励め」とでも言われ、自然のうち「ニギニギをよく覚え」ということになったのだろう。 哀しい哉、自分で自分が「正しいのかな」と思う事も無かったのだろう。2024 年9 月19 日
孫二人だけのドライブ
久し振りに帰った頭の孫娘と、先日免許証を貰ったばかりの次孫の二人に「一日保険」に加入して午後から私の車を貸してやった。 頭の孫は帰る度に「運転させて」と言ってきたので、その都度安全な空き地を使って指導してきたので、ある程度は大丈夫だろう」と思っていたが、下の孫は一度もそんなことが無く、果たして大丈夫かなと送り出した。 それから約4時間、心配のし通しで、何もやる事が手に着かない状況だった。 それでも、二人ても笑顔で帰って来たのを見ると、涙こそ出なかったが、嬉しさの頂点だった。 私が車を買ってもらって、最初の運転は、やはり一人だったが、仕事上やむを得なかったのだが、両親や家内の心配は如何許りだったろうかと、50年以上も前の事を思い出して、感謝した次第である。 悪い意味ではなく「これが日常」ということになって呉れればいいのだがと、切に思う。2024 年9 月18 日
政治屋を野放しにすると、好き勝手
今に始まった訳では無いけれど、自民党の総裁選や何とか民主党の代表選で、各候補が独自路線で選挙運動をされいるようで、各々勝手な「自由論」を述べられている様子が、ネット情報で話題になっている。 これに影響を受けた訳では無いだろうが、米国でも応援の心算で言ったことがとんだ話題になっている。 何方も「言い直し」や「冗談だよ」とごまかしているようだけれどけれど、結局は「袈裟の下から鎧が覗く」事を仰っている。 それならそれで、最初からそう言えばいいのに「わが政党は一本柱です」のような嘘をつくのにも苦労があっただろう。 果たして今月中、米国は11月らしてが、どのように決着がつくのだろうか。 私は何方にも加担する権利はないから、「お手並み拝見」と対岸の火事で有る。2024 年9 月17 日
「満足」ってどれだけ
最近、自分では然程「不満足」と感じている訳では無いが、いろんなところで「満足してますか」というような疑問符が呈されているのが気にかかっている。 作家としても有名になられた「五体不満足」という方の本は読んでいないが、おねだり知事さんの話題に始まるように「この人、どこまで行けば『満足』を感じられるのだろうか」と思ってたりしてしまう。 好きな健康麻雀も始めた頃は、経験年数だけはかなり上位の方だったから、「(点数で)負けてたまるか」が一つの満足ラインだったが、最近は負け惜しみも含めて「良い手に出来上がった」と思うことが私の満足ラインである。 先日も立直後「2槓子」迄出来て、もう一つできればと期待に胸が躍ったが、ドラ牌だから出る訳もなくみんな降りられてしまったので上がる事は出来なかったが、それでも「十分楽しめた」という満足感だった。 以前このブログでも何度か紹介したが、確率ゼロではないが、「未果てぬ夢」がある。 年末ジャンボで20枚買って、80億円の当籤、である。 で当たる前らか「一時的にせよ、保管、防犯はどうしようか」と想像することも満足の一つである。 少なくとも当選発表まで楽しい夢ではないか。 私の満足は此の程度で十分である。2024 年9 月13 日
前向きの終活を目指して
従来「終活」という言葉がどうにも好きに慣れず、極力使わないようにしてきたが、喜寿も過ぎたからそろそろ良いかと思うようになってきた。 両親の時の後始末で一番苦労したのは「写真の整理」だったが、それについてはいち早く電子化して、一部の物は精密化からカラー化をして仕舞ってあるから、もし孫が見ても始末に困る事は無いだろう。 それで従来使っていた数台のPCの中を覗いてみたら、「有るわ有るわ」で完全ダブリから、一部ダブリの物が続々と出てきた。 それで「慌てず、落ち着いて」整理をして、後世誰も見ないかもしれないけれど、「こんな人間がいた」という事を私か良心を思い出すように見ることが出て来ても、ある程度ストーリーが分かるようにしておきたい。 これが「前向き」だと思いながら。 楽しく「終活」を過ごしてゆこう。2024 年9 月12 日
体重は順調
以前に紹介した時は「75台が徐々に増えてきた」だったように思う。 あれから長い夏休み中に「ほぼ月平均が75台に」となった。 体重の心配がない方には「どうでもいい事」だろうが、私にとっては重要目標指標の一つの体重であり、随分長い間の願望なのだから、この上なく嬉しい。 但し、この猛暑・酷暑の中だったから「食欲減退」が一つの要因であることは残念ながら本当である。 「食欲」という点では減っているとは思っていないのだが、その要因の一つに「好物が食べられない」というのがある。 アレルギーになってからだからもう大分経つのだが、いまだに「こってり系のラーメン」がこの暑い中でも食べたくなる。 自分では大分慣れたとは思うけれど、矢張りときどき思ってしまうと、他の物が美味しく感じられないのである。 我が家の栗も少しずつ収穫できて来ているので、これから「好物」を探しながら「量」を加減して75台をキープしてゆきたい。2024 年9 月11 日
箴言・金言の書き写し(新聞投書と同一内容)
ボケ防止と指先の運動を兼ねて、50年ほど前に買った「金言・箴言集」を「日に5個の書き写し」を習慣づけてきている。 先日漸く「日本語編」が終わって、新しい章の「各国篇」になった。 そのトップに出てきた名句が「国家の価値は、結局国家を組織する人民の価値による」(英国 経済学者 J・S・ミル)だった。 「国家」を「県」にして見たら、昨今のアンケートも不採用になった国会議員さんを選んだことと同じことになるのではないかと思い当たった。 私も長い間富山県民としてほぼ欠かさず投票している一人としてこの様に富山選出の県民なのかぁ、と思ってしまったが、そう思うこと自体が「百年河清を俟つ」という為体なのだと残念である。2024 年9 月10 日
我が家は大丈夫か
番組の宣伝をするつもりはないので、番組名は出さないようにして書きたい。 今月は坊災月間だとの事で、9月1日の東京大震災を契機に制定されていることは、飽く迄も「知識の上」だけで知っていた。 元日の能登大震災も、はやトラウマも無くなっている時期でもあり、南海トラフについても、飽く迄も「知識の上」だけだった。 そんな昨日は「新聞休刊日」だったこともあり、自民党のトップや野党のトップが変わろうとあまり興味がなく、録画番組を見ていたら、そんな特集だったので、見終わってから、買った当時は中身を興味深く眺めていたのだが、あれから20年以上もほったらかしにしてあった「非常持ち出し袋」を開いてみてびっくりした。 懐中電灯は入って居たのだが、電池は完全にボツ。 マスクも紙製コップも期限切れ。 結局ロープだけがまだ使えそうなだけで、唯一使えるのは「呼び笛」だけだったのである。 袋は丈夫な「帆布」が使われているようなのだが、これ契機に再点検しておこう。2024 年9 月9 日
三つの「快」
このテーマは、以前にも何回か使わせてもらっているが、調べることもせずに思うのは「何か年齢を考える時」だったように思う。 少しダブるし、以前と違った事にもなると思うが、今回の「三つ」の一つ目は多分以前と変わっていないと思うが「快食」である。 味覚はその時その時で変わるけれど、今回もほとんど変わらず「何でも美味しく食べられる」という意味での「快」である。 店屋物、家内作成、娘作成、最近では孫作成もある。 正直言うと全てが「口に合う物」ばかりではないが、「食べられる幸せ」と感じれば上等だろう。 二つ目は、過去幾つも上げてきたが、今回は「快眠」である。 ついこの前までは「夜中に何回も起きる」というのが悩みの一つだったのだが、最近は精々起きても2度までで通算6時間余り寝られているのである。 さて、こうなると三つめは何になるだろうか。 今回は「快便」である。 細かく書きと尾籠な話になるから止すが、以前「前立腺癌」になった友人からその苦しみを聞いた時から大小にかかわらず「出せる」ことが三つ目である。2024 年9 月6 日
何故リコール制度を活用しないのだろうか
このタイトルを思いついたのが「おねだり知事」の話題が真っ盛りの事である。 以前にも同じようなことを書いた覚えがあるが、何故凝りこの様な知事を「直接選挙で選んだ」県民が挙ってリコール運動をして辞めさせないのだろうか。 如何に現与党と野党の一つが協力して推薦したかもしれないが、ここまで「劣悪だ」と分かったら、百条委員会や取り巻き連中が優しい声で質問攻めにしたところで、本人の「根性「が腐ってしまっているのだから、取り返しがつかなかろう。 で、今日6日には「訊問」が開かれるのだそうだが、例によって「生かさず、殺さず」の時間の無駄をして、有耶無耶にしてしまうのではないか。 でないと応援した側にもとばっちりが来るのだから、残念ながら「百年河清を俟つ」という結末になるのか。2024 年9 月5 日
読書感想文
夏休み中に書き写しを終えた本です。 「越中の方言」(大田栄太郎 著 北日本新聞社 刊)です。 昨年の8月28日から、項目単位ではなく、200文字原稿用紙で、区切りの良い所迄を1日の日課として書き写したものです。 掲載数としては数えていないが、今でも時折使っている物を含めても20%はなく、殆ど新しい知識として、興味深く読み書きすることが出来て、楽しかった思いである。 現在の富山県にしても、大きく分けて呉西、呉東と言う区分けが有り、その各々に当然ながら北部、南部が有る。 それに北部は海岸部とそうでない所が有り、南部は五箇山に代表される雪深い地域や平家の落ち武者の末裔では無いかという昔は少し閉鎖的なところと、平地でも、昔は佐々成正領だった所(大雑把に言うと、薬売りに代表される所)や加賀前田領だった所が有って、交流範囲も複雑だったから、知らないことが有ってもしようがなかったのだろう。 多分、他地方の方には面白くないし、説明しても「訳が分からん」ということになるだろうから、内容の大目次だけの紹介にしておこう。 でも、もし興味かあれば、自分の育ったところの方言に勤しんで見るのも楽しいのではありませんか。 方言の色々 <天地・気候> <動物> <草木と野菜類> <身体と健康> <衣類と雨具類> <飲食・嗜好物> <住居と動作> <老若男女・親類> <社会生活・あいさつ> <生産と消費> <行動と性情> <事物・時・場所> <農山・漁村> <習俗・信仰>2024 年9 月4 日
過去のデータでは面白いことが分かった
遅ればせながら、Excelの大きな機能としてのピボットテーブルという機能を「知識で知っていた」だけで、「あれを使っていろいろと分析をしてみたらどうだ」と品質管理とう担務の時に部下に指示をしていた。 それはそれで、当時はそれなりに効果を上げた、と思っている。 ところが、リタイアして「それを使う」という事を学習し始めたことは、随分前に開陳しているので、愧じる事は無いのだが、この夏休みに確りと学習して、その効果が素晴らしいことに気が付いた。 在職中、単身赴任時を含めて、小遣い帳はしっかりと付けていた。 その何年か分を分析して見たのである。 いろんなことの中の一つで、パチンコ収支、についてで面白いことが分かった。 細かいことは興を削ぐだろうから、それは別にして対象にした期間は単身赴任期間の6年間についてである。 一体何曜日に多く使っているのだろうか。 漠然と考えられるのは、平日は時間もあまりないから、週末だろうと思っていた。 ところが水曜日だったのである。 何故か、いろいろと想像をめぐらしてみて楽しんでいる。 ついでに「パチンコは勝つわけがない」娯楽だが、6年間だけのトータルでは、ナント「マイナス1万円余り」だった。楽しい娯楽だったのである。2024 年9 月3 日
体重と腹囲の関係
夏休みの間、健康バロメーターとしての体重と腹囲については、自分としては画期的と思われる数値の達成頻度の多さに驚き喜んでいる。 目標体重は、此処でも何度か紹介しているが、75Kgで有り、これは身長から割り出す数値よりも多いのだが、医師とも相談の上で設定し、自分でも風呂場での「鏡に映る肉付」具合から納得している物である。 8月中の平均が75台だったのである。 平均だから76を超す事も有れば、特別減食した訳でも食ボソリとなった訳では無い。 最初は、これに伴っての腹囲の目標値も85前後であり、満足していた。 ところが、体重が減っているのに腹囲が減らないどころか増える(精々わずか2cm位なのだが)場合がある。 この原因を探ってみると「酷暑の夏で冷房機に身を委ねて、身体を動かさなかった」事だと気が付いた。 矢張り数値が教えて呉れた幸いである。2024 年9 月2 日