2019 年3 月22 日

旅行で「ヒヤリ」「ハット」

 名古屋という所は、長い間「出張族」をやっていたけれど、確か2回しか行っていない場所である。  OH部門として、システムの進捗管理、サポート、技術支援などで、北海道から九州まで大体10回程度は行っていたのに、名古屋と新潟は思い出しても2回しか思い出せない。  そんな訳で、会議場所へ車で案内されて、午後からの会議であれば、懇親会に参加してもその日の内に帰るので、夜の巷を徘徊する機会は無かったし、午前中の会議であれば、指定された場所へ急ぐばかりで街を見て回ることも無かった。  そんなところへ「長距離の慣らし運転」と言う事で出かけたのである。  それはまず良いとして、名古屋市内は一方通行の道が多く、その割には両側に車が止めてあったりしたので、名古屋市内へ入ってから、ホテルへ着くまでにナビを頼りなのだが、何度も「遠回り」させられた。  話しを本題に戻すが、一度の「ヒヤリ」は最後の高速を出た所で出会った。  気が付くと左側の車(トラック)のドアノブが間近に迫っていたことだった。  向こうも気が付いて避けてくれ、私も遅ればせながらハンドルを切ったので、接触することは無かったが、助手席の家内が「もう3cm位だった」と言うので、改めて反省した。  料金を支払って自分が行く道を迷いながら車を進行させた私が悪かったのである。  もう一つの「ハット」は帰りの高速道路でのことである。  「100Km/h以上は出さない」と言うのが、リタイアしてからの高速の私に課した課題で、それは守れたのだが、やはり「トロイ」と判断されたのだろうが、多くの車が追い抜いてゆく。  それには特別対抗心は無かったのだが、ある車が追い抜いてすぐに私の前に割り込んできた。  それはよくあることだから、減速したのだが、そのまま側道迄はみ出し、やはり慌てたのか、右に急ハンドルを切ったので、再び私の前に出てきたのである。  事故にはならなかったが、はっきり見えたのは、携帯を片手に持たれていることだった。  後部には「もみじマーク」が貼られている。  ご存じのように、70歳以上は「努力目標」で75歳以上は罰則は無いけれど「義務」と言う事になっている。  何方だったかは知り様が無いが、私もそろそろ貼り付けようかと思わされた。  でも、無事に帰宅できたことに大いに感謝である。

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2019 年3 月19 日

骨のない魚

 子供の頃から、向かいに魚市場が有ったことも原因の一つかもしれないが、魚と言えば「何でも」好きだった。  その嗜好は、今も全く変わっていない。  でも、最近食卓に並ぶ魚に「骨のない魚」が登場する様になって久しい。  味は決して悪くは無いし、家内と娘が調理に簡単な所為か、特別文句は無いのだが、果たしてこれで良いのだろうかと時々思う。  全く次元が違う話だと思うが、私自身、ある意味で「骨のある人間だった」と思っている。  今でも懇意にしていただいている、元の上司からも何度か注意され、一時期の所長から「もっと口の利き方と粗野な行動を慎めば、もうひトランクくらい出世できるのだが」と言われたことがあったが、私なりの「理屈」での言動を改める気にはなれなかった。  それでも、比較論だけれど、一般の同級生よりも出世できたと思っている。  やはり「骨があって食べにくい点もあるかもしれないが、自分に正直なこと」こそが無理のない、今までの人生だったのだろう。  これからも、基本的な節度を弁え乍ら、過ごしていきたい。
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2019 年3 月18 日

孫娘にスマホ授与

 高校の合格発表が今日なのだが、それを待たずに「約束通り」と言う孫娘の主張通りにスマホが授与された。  今までは、家内以外は車と言う移動手段を自由に操れるので、移動手段の応援と言う事が私に依頼されることは無かったのだが、これからは孫娘が対象者として1名追加になる訳である。  娘夫婦は、平日は仕事なので、もし必要なら私に掛かってくるのだろう。  果たしてどのようなことで掛かってくるだろうか、今から心配になっている。  これからスマホを持つお孫さんも多数いらっしゃるだろうが、孫娘にも言っているが「情報収集は大切なことだが、それが『正しい物かどうか』を見極めることも大切だから」と。 爺婆としては嫌われることを我慢しながら、ぜひとも、その辺をしつこいくらいに言い聞かせて、その上で相談に乗ってやって欲しい。

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2019 年3 月15 日

全快しました

 昨年の9月末に「木を切ろうと思ったけれど、筋を切った」と言うことで、笑えない冗談で何とか過ごしてきましたが、13日の診察で「これで全快です」と言う宣言を聞き、ホッとしているだけでなく「自分にCongratulation」という思いだった。  極力、医師の指導通りに、腕の動かし方に気を付けていたが、やはりまだまだ「若気の至り」なのだろうか、「これくらいならいいだろう」とやって「痛っ」と言うと、耳聡く聞きつけた家内や娘、孫に「駄目っ」と鋭く戒められる。  確かに「煩わしい」とは思うものの、それだけ心配してくれているのだと思うと「感謝」と言う言葉がすぐに浮かんでくる6カ月だった。  これで14日の孫の中学卒業と一緒にささやかなお祝いができる。  しかしながら、年齢は間違いなく5月には72歳になるのだから「無理はしないで」をこれからも自分に言い聞かせながら過ごそう。

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2019 年3 月14 日

高校受験に挑戦

 8日に同じようなことで書いたが、今日は「玉砕報告」である。  久し振りに何もイベントがない日になったので、時間的にはゆっくりと、孫娘が受験した、高校入試間問題に取り組んだ。  科目ごとに報告するのも憚られるほどの体たらくだった。  特に、得意科目だった「国語」は漢字の読み書きは流石に外すことは無かったけれど、文章読解問題は、当時からも苦手だったが、「何文字以内で」と言うものがあり、これが根気よく文章を読めば「当たらずとも遠からず」くらいになるのではないかとやってみたが、てんで歯が立たない。  数学もそうである。「ねじれ線」と言う言葉自体が、忘れていたのだろう「初耳状態」であったし、基本的な「多角形の内角の総和」も思い出すのに苦労してしまった。  此処は、何とか理屈を思い出して、解いたけれど、暑くもないのに汗がにじんできた。  勿論、単純な数式や、連立問題などは解けたけれど、とても合格できるレベルでないことに自分ながら驚いた。  でも「解らないことを解ろうとする」と言う楽しみの時間だった。  負け惜しみである。
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2019 年3 月13 日

健康麻雀の極意

 昨日に引き続い手の麻雀話題で、今度は「自慢」である。  ゴルフはやらないので、在職中の交際道具は「酒と麻雀」だった。  だから、ひどい時には、とてつもなく負けてしまったこともあるが、闇金融などに手を出すことも無く、仕事もきっちりやっての上だから、許される範囲だったろうと思っている。 勿論家族にも、食糧費などを入れなくてヒモジイ思いをさせたことともない。  もちろん当時は、「勝った負けた」の世界だった。  でも、未だ在職中の、ある時から「姿勢を変えた」。  交際道具に徹する様にしたのである。  タバコは少なくはならなかったが、お酒も少量にして、会話(格好良く言うと「牌による会話:牌談」と言っていた)を楽しんだのである。  結果はその後で着いて来る。  リタイア後は、年に一度か二度のかつての同僚らと楽しむこともあったが、その姿勢は変わらなかった。  数年前から「健康麻雀」と言う事に参加しても、その姿勢は変わっていないと思う。  楽しんで、結果は後に着いて来る。  そう思えば、無理な立直などはかけない。  でも、私の癖で「5枚目の牌を待つ」と言う性格は変わっていない。  執着から離れていないなぁ、と思う時である。

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2019 年3 月12 日

健康麻雀でグランドチャンピオン

 健康麻雀も始めてもう何年になるだろうか。  皆出席、とは言わないが、かなりの出席率である。  約四半期に一度の割で「大会」をやっていて、今年度は昨日が年度末大会だった。  事務局の方々もいろいろと趣向を考えられて、先週の予告では、「過去4回の大会でのグランドチャンピオン1名を総会で表彰します」と言う事だった。  その時点で、私が2位との得点差が25000点くらいでトップだった。  だからと言って「是か非でも頑張って」と言うほどの意気込みは、全くと言うと言い過ぎだけれど、無かったというのが本音である。  そんなことで、「勝ちに執着せず。手を考えて押すべきは押し、退く時はきっちりと退く」と言ういつも通りの姿勢で臨んだ。  と言うのも、6卓の構成のうち、マイナーの女性が数名入っておられ、ある意味で「勝ったぁ!」という感覚がない。  今日も「だって、要らなかったんだもの」と言う事で、大三元の最後を鳴かせて責任払いになったような人がいるのである。  昨日は、成績は悪くは無かったけれど、得点的に6位だったが、グランドチャンピオンは頂けるそうである。  どんな表彰か分からないが、楽しみに待っていよう。

投稿者:つねちゃんat 07 :55 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月11 日

全員で「雪囲い」外し

 今年も恒例の「雪囲い外し」の季節になり、今年は孫娘が高校受験なので「外し」と言うような言葉はやはり縁起が良くないという事で、試験が終わった日を選んだ。  天気予報的には、午後3時くらいまで「曇り」と言うものだったが、風もそんなに無いし、むしろ暖かいものだった。  陽射しも雲の間から時々さすように、作業は約1時間半くらいで終わったけれど、みんなそれなりにうっすらと汗をかく程度に、「心地良い、日和」だったのは、まさに感謝の極みである。  昨年も同様な作業だったが、時間は途中の「ティータイム」を挟みながらも午前中いっぱいの約2時間かかったが、二人の孫娘もしっかりと要領を覚えたせいでずいぶんと捗った。 勿論作業中に怪我などのことも無く、笑顔でいろいろな話題を話しながら楽しく作業を終えた。  私は、午後から約2時間ほど、畑の整備や、プランターで頑張ってくれた土などの整理をして、3時からはもう私の定番作業になっている風呂の掃除をこなして、3:30頃から、ビデオ鑑賞でのんびり過ごせた。  日日是好日、を地で行った様な日だった。

投稿者:つねちゃんat 08 :08 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月8 日

高校入試問題にチャレンジ

 今年は、孫娘が本番の高校入試である。  昨日帰ってきて「どうだった?」と聞くと「普通」と言う、そっけない返事だったが、こちらが心配するほど緊張もせず、実力を出し切れたのだろう。  朝の出掛けには「気を付けて行ってらっしゃい」と声を掛けたが、私の一つの常として「頑張って」とは絶対に声を掛けないようにしている。  本人が一番頑張っいるのだから。  それはともかく、例年は、かつて私が比較的得意だった、数学や英語、理科の一部などの問題にチャレンジしているのだが、今年はできても出来なくても、時間が掛かってもすべての教科にチャレンジしてみようと思っている。  多分孫には到底追いつかないだろうが、成績は伝えないでおこう。

投稿者:つねちゃんat 06 :20 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月7 日

家内から見ると「そろそろ認知症?」

 健康麻雀では、そこそこの成績をキープして、幸いにして、2度に1度くらいは景品を貰ってくるほどの戦績である。  PC講習も10年経つが、それなりに質問には100点と言うほどの自信は無いけれど、80点以上の及第点を頂いていると思っている。  報恩講などの町内行事についても、かつての経験から、それなりのアドバイスも出来ているし、勿論できる範囲のお手伝いもしている。  そろそろ、園芸作業の開始時期になるのが楽しみだけれど、その準備などもそれなりに計画している。  決して「若い者には負けん」などとは言わないが「まだまだ認知症には縁遠いのではないか」と己惚れている。  とはいうものの、どうも家内から見ると「またあんなことをしている」と思うことが目につくのだろうが、時々その様な発言を耳にする。  ここで怒っても仕方がないので、適当に否定しながらも、笑って過ごしている。

投稿者:つねちゃんat 08 :02 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月6 日

今年も皆で「おひな祭り」

 ここ富山の呉西地区では、お正月には、天神様を飾り、子供の学業が健やかに伸びますように、という意味で「学問の神様」と言い伝えられる「菅原道真」の掛け軸を初めとして飾る。  息子が生まれてからは、井波彫刻の木造が主になったが、その少し前には、結構大きな土人形が飾られた。  塗装が剥げたり、一部が欠けたりしたので、もう10年以上も前に「土に還って」貰った。  それはともかく、「此処での子供」はやはり「男の子」が主だった。  それに対して3月3日は、「女の子」が対象である。  娘のために買った7段飾りのひな人形、転勤で買ったガラスケースに入った、内裏雛、ミニサイズの物などいろいろなひな人形が飾られ、座敷が一杯になる。  娘と孫娘も手伝っての手作りケーキと、ちらし寿司に、蛤の潮汁で、今年も無事に全員そろってのひな祭りを祝うことができた。  感謝と共に嬉しい限りである。

投稿者:つねちゃんat 06 :48 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月5 日

ロボット憲法

 先日ある本を読んでいたら、SF作家のアシモフが作った「ロボット憲法」の(多分一部だろうが)条文が紹介されていた。  この条文をロボットの電子頭脳にプリント配線することを提唱しているのだそうである。  第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。      また、人間の過ちを見過ごすことによっても人間に危害を加えてはならない。  第二条 ロボットは人間の命令に服さなければならない。      但し、第一条に反さない限りにおいて。  第三条 ロボットは第一条・第二条に反さない限りにおいて、自己を守らなければ     ならない。  このブログでも、幾つか採用された新聞投書でも、私はAIに興味がある、と紹介している。  私が生きているうちかどうかは分からないが「マイロボット」の時代は好むと好まざるとを問わず今のスマホのように身近にあるようになるだろう。  しかしながら、上記の条文だけでは、それこそ「滅茶苦茶の世の中」になってしまうだろう。  どうしてそうなるかの判断は、個々人に任せるけれど、絶対にそうであってはならないと思っている。

投稿者:つねちゃんat 07 :52 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月4 日

やっぱりなぁー

 いろんな人がいろんな意味で「世紀の会談」と注目していた米朝会談。  無責任と言うか、それほど世情に詳しくないからこそ、今だから言えるが、「最初から破たんは見えていた」と言うのが私の本音である。  どちらのトップも「これで上手く行く」と発言していたが、彼らを支える人の殆どが「これで十分だ、相手の要求がきつすぎる」と言い、片やで「これじゃなるまで、看板だけのゼロ回答だ、だから安易に合意すべきではない」と言っているのだから。  最初から上手く行かないのは目に見えていたはずなのに。  国営放送ではないけれど、NHKもニュースの大半の時間を割いたり、延長したりして、拉致問題の期待を述べていたりした。  最悪で無かったことは「舞台でのちゃぶ台返し、が無かった」ことくらいか。  それが有ったら、それこそ「一触即発」だったに違いないから。

投稿者:つねちゃんat 05 :52 | 健康 | コメント(0 )

2019 年3 月1 日

楽しい園芸作業の開始

 昨年怪我をしてから、季節もそうだったけれど、基本的に「園芸作業は禁止」と家内からの厳命だった。  そうなると、確かにそんなに好きな作業でもないけれど、来たる最終診察で「完治」と言う事になるのはほぼ間違いないと家内も認めたので、先日から、天気も良く、気温も高かったので、まったくの「物見遊山」気分で園芸作業を開始した。  しかしながら、半年の間に成長したのか「外草」の大群と、栗の葉を主体として落ち葉の整理が先決問題である。  それだけで約1時間半ほどかかり、しっかりと心地良い汗をかいた。  これからは、無理をせずに、少量、少品種で、楽しくやることにしたい。  まだ粗お越しもしていない、と言うか「できない状態」なのに、作物計画は夢描いている。  旅行に行く時と同様に、この期間が一番楽しいかもしれない。

投稿者:つねちゃんat 08 :41 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月28 日

悪い癖が出た

 先日、午後から風も弱く、陽射しも適度で、まさに「散歩日和」だった。  ズボン下も脱ぎ、少し薄手のズボンに履き替え、上も下着のシャツの上に薄手の物1枚で、ウィンドブレーカーと言う姿で、散歩用の靴(かなり軽くて、地面の起伏が足裏に伝わるのだが、丈夫なもの)に履き替えて、長くならないようにと思いながらも「ひょっとして」と言う気持ちで、杖を持って出かけた。  こんな時の一つの癖で「なるべく歩いたことのない道」を辿ることにしている。  これは決して悪い方の癖ではない。  これからが悪い癖、なのだった。  蕗の薹の淡いグリーンが目に優しい、そこかしこに紅梅、白梅が3分から5分咲きくらいに枝ぶりが良く咲いている。  尤も、「もう少し切った方が良いかなぁ」「これは実を取る木ではなく花を見る木だな」などと勝手な思いで見て歩く。  そういえば、以前見たあの木もこの辺だったから行って見ようか等々。  結局帰宅して歩数計を見ると、75分を超していて9990歩と言う数字になっていた。 「お調子に乗る」と言う悪い癖である。

投稿者:つねちゃんat 08 :32 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月27 日

太陽が眩しい

 何時もの様に、朝のルーチンとして「書き写し」をしている。  これだけだと、ブログに書くほどのことは全くと言っていいほど無いのだが、今朝は久しぶりと言うか、今季初めてのと言う「眩しさ」に出会った。  私のデスクはほぼ真東に向いている2階にあるのだが、正面に立山連峰がその雄大な姿を見せてくれている。  今朝はその姿が「素晴らしい光景」を見せてくれたのである。  文章が巧くないのは、申し訳ないが、太陽が出る前は、ピンクとオレンジが混ざったような色で、「朝焼け」が目に優しい。  そう言えば、朝焼けは「だんだん天気が悪くなると言っていたなぁ」等と思って数行書いているうちに、朝日が僅かに出てくる時には、私の大好きな「茜色」になり、そして「日の出」は眩しくてたまらないくらいである。  思わず、手を合わせ、昨日までのお礼と今日も良い日であることを祈る。  そして多分数十秒だと思うけれど、経つうちに眩しくて直視できないくらいになり、カーテン越しに見ることにした。  毎年、何度かこの景色に逢うのだが、今年は今日が初めてだった。

投稿者:つねちゃんat 08 :50 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月26 日

自分に見合ったスパルタ教育を

 昨年からいろいろなスポーツの研修場所で、体罰を伴った「パワハラ」事件が発覚されている。  残念ながら、その多くが「曖昧模糊」とした解決になっているのは、スポーツ門外漢の私には「本当にこれで良いのだろうか」と言う気がしてならない。  それはともかく、沈静化してきていることだけは間違いないとのことなので、一安心である。  それと同時に、やはり「自己によるスパルタ教育」と言うのは必要なのではないだろうか。  残念ながら「人は易きに流る」と言うのは、間違いのない事実であることは、スポーツに限らず言えることだ。  だからこそ、「耐えられるギリギリ」まで自分にストレスを加味して、色々な難題に取り組んでいくことが必要だろう。  その上で「たまには休憩」と言う事があって、あのカーリングの選手たちが頑張ったのではないだろうか。

投稿者:つねちゃんat 07 :39 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月25 日

自分を褒めたい

 かつてのオリンピックのマラソンで「自分で自分を褒めてあげたい」と言う言葉を発した選手がいらした。  私が褒めたいのは、そんなに立派なことではないのだが、最近読んでいる「ブッダの教え 一日一話」では、盛んに「怒るな」と言うフレーズが続ていてる。  いつもここで書いているが、私の「音読」の目的は「滑舌を認識する」ことがメインなので、内容についてはあまり気に留めていないのだが、先日家内に、わが家から見て「カラスの巣」にしかなっていない5本くらいの木を、僅か2日前に切って終われたことについて、「とうとうやって終われてスッキリしたねぇ」と言うと「何時のことを言っているの」とさも1週間以上も経ってのことをボケたのかと言うような言葉で叱責されてしまった。  確かに気が付くのが遅かったのかもしれないが、何もそこまで口汚く罵るほどのことでもなかろう、と思い、怒ろうと思った時に、「怒るな」だったなぁ、と気が付いたことである。  夕方には、家内も少し気が付いたのか、平常に戻ったけれど、怒らなかった自分を褒めたい。

投稿者:つねちゃんat 09 :33 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月22 日

フェイクリップサービスに淡い期待

 相手が自分と違う意見を持っていると見るや「それはフェイクだ」と怒鳴り散らす大統領から、「拉致問題についてはしっかりと伝えておくよ」と言う全く意味のないそれこそフェイクなリップサービスに、「してやったり」と最近で言う「どや顔」で得意満面な我が国の総理大臣。  今まで、何度このような「空証文」で高い代償を払わされてきたのかまるでお気づきでない。  使い古しの軍備を買わされ、思いやり予算は言われるがまま等々。  挙句に「言うことを聞かないと関税を上げるぞ」と脅されても「へらへら笑い顔」で諾否をはっきりさせない。  かつての総理で「あなた方と私は違うんだ」と言われた方がいたが、どちらが正しいのか、これだけ続くとまるで国民は「煙の中」である。  尤も、その煙を作っているのが、有権者の国民なのだから、私ひとりが力んでみたところで・・・。  いやいや、諦めないで言いたいことは言い続けなければ。

投稿者:つねちゃんat 06 :36 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月21 日

テレビを見ていた

 町内の報恩講での、講和の中の話である。  ある門徒さんの所へ行った時にそこのお婆さんとの会話。  「一日何をして過ごしとったがいね」「テレビ見とったちゃ」「テレビでどんな番組見とったがいね」「なぁーん、テレビ見とったがいちゃ」。  少し富山弁が入っているけれど、これくらいならご理解いただけるだろう。  この講話を聴いている約30人ほどの中で、即座に笑った人はわずか数人であったのにも驚いた。  暫くしてから多くの方が笑われたけれど、最後まで分からなかった人もおられた。  そこで思ったのだが、私も「テレビを見ていなかっただろうか」ということにである。  少し昔「BGV」という言葉があったのをご存じだろうか。  「BGM」なら皆さんご存じだろうが、それと同様に「Back Ground Video」の略で、日本語に訳すと「背景画像」とでもなるのだろうか。  私もリタイア後「ビデオ鑑賞」で過ごす時間が多くなっている。  「見たい番組」を録画して、楽しく見て過ごすので「テレビを見ていた」ということにはなっていないと思うが、これからはしっかりと「番組内容を見ていた」と言える様にしたいものである。

投稿者:つねちゃんat 08 :27 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月20 日

バイトテロ

 ある記事で読んだ「かつては私も同様なことをやっていたのに」というバイトテロについてである。  どのように読んでみても、犯人擁護論としか読めなかったのは私の理解能力が劣っている所為だろうか。  私自身は中学生時代から高校時代まで、いろいろなアルバイトを経験した。  幸いにして、売った個数と残った個数を調べれば、はっきりとするので、売上金をごまかしたりできることも無かった。  横着して手抜きなどをしようとすれば、親方の目がしっかりと光っているので、後で叱られることが怖くてできなかった。  記事を書かれた人は、拡散が早すぎることが「テロ」の原因のように表現されているが、早かろうが遅かろうが、「悪いことは悪い事」としっかりと罰を受ける必要があるだろう。

投稿者:つねちゃんat 06 :39 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月19 日

ほうじ茶でデトックス

 先日、珍しく、生護美捨て以外は一歩も外出しない日があった。  学習や作業やビデオ鑑賞と、家の中でやることはたくさんあったので、飽きることなく、やりたいことを書き出して、同じことが連続してしまわないように、順繰りにやって行くと、気持ちが良いほど消化できた。  そんな中で、やはり飲み物は朝沸かした「ほうじ茶」である。  ポットに入れて保温したものを時々、少しずつ飲むのだが、これがナントも心地良い。  ご存じのように、お茶には「利尿作用」があるので、当然のことながら、何度もトイレに行くことになるのだが、それが適度なタイミングだったので、煩わしいとは思わなかった。 これでこそ、自然の「デトックス」になるのではないかと、一人で楽しく微笑んでしまった。

投稿者:つねちゃんat 08 :11 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月18 日

形骸化

 始めた時には、それなりに「意志」をもって始めたことだけれど、それが何年も続くと、どうしても「形骸化」してしまっていることに気が付かれることは無いだろうか。  毎朝、毎晩、食事前に仏壇と神棚にお参りする。  両親や二男の月命日にはお寺さんにお参りに来ていただき、正信偈などをお坊さんに付いて口の中で呟きながらお参りする。  仏壇には、毎朝お仏供さんを上げ、仏花の水を取り替える。  神棚の榊については、日曜日と水曜日に榊を水で清めて水を取り替える。  起きた時には感謝カレンダーの昨日に丸印を付ける、等々。  細かいことを数え上げればまだあるだろうが、そのほとんどが「何のため」ということをその都度思い直しているだろうか、というとに気が付いた。  改めて「感謝と畏怖」について考えながらの行動だと意識したい。

投稿者:つねちゃんat 08 :57 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月15 日

無駄にせず

 一部について、料理番を任されているところがあるのだが、食材については「勿体無い」という言葉の如く、出来るだけ端材も使うようにして、僅かだけれど「護美運動」に協力しているつもりで自己満足している。  食材だけでなく、わが家は殆どがIHだから、電気料の無駄にも気を使っている。  それはともかく、以前作った投稿集の作成のためにB5版の用紙を1束買ってあったが、結局はA4判にしたので、その殆どが余ってしまった。  残ったものを無駄にしないために、PCで両面に原稿用紙を印刷し、つい先日ようやく残らず「書き写し用」として使い切ってしまった。  一つの充実した達成感である。  少し細かく言うと、WordではB5版の用紙にウィザードで原稿用紙を印刷しようとしてもできない。  そこで、ルビ行等の幅もカットアンドトライでExcelで独自に作成したものである。 この後は裏白折り込みチラシをA4に切って普通に原稿用紙を印刷して使っている。
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2019 年2 月14 日

そこそこで良しとしよう

 在職中の仕事では、決して許されなかった「そこそこで良し」だけれど、リタイアしてもう20年近くになる今日この頃は、むしろ積極的に「そこそこで良し」と自分に言い聞かせている自分に気が付いた。  いわゆる「妥協」である。  在職中は「思っていても、決して口外するな」とそれが一つのストレスになり、単身赴任という環境もあってか、酒や麻雀、ギャンブルなどでお金を使いながらも「憂さ」を晴らしていた。  幸いにして「身を持ち崩す」というほどのめり込まなかったのは、離れていた家族からの時々の連絡や、上司、同僚、部下とお客様に恵まれていたからだろうと、今更ながら感謝している。  「そこそこで良し」の効用は、いろんな所にある。  昨日書いた「負けるものか」では決してなく、「及第点なら十分。二番だっていいじゃないか」である。  でも、決してこれは実戦で頑張っている人に伝えることではない、いやむしろそうであって貰っては困るのである。

投稿者:つねちゃんat 08 :06 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月13 日

負けるものか

 かつて人がサボった時に、良く言い聞かせていたことに「水は低きに流れ、人は怠惰に落ちる」という言葉がある。  正確かどうかは別にして、必ずしも「性悪説」を取る訳では無く、むしろ「仕事の出来は性悪説で見ろ、人そのものは性善説で見ろ」と言い続けてきた。  先日も、同級生と話していた時に「どうしても、加齢とともにそうなるのだが、怠惰な自分に負けそう」という話題になった。  他人様に色々な面で負けることは、正直この頃はあまり気にならにいというか、その時には「口惜しい」と思うことは凡人の故当然あるが、「後を引かない」という事である。  今までは「あの時こうやっていれば」とかをウジウジと暫く考え続けて自分が嫌になったものだが、それが殆ど無くなっている。  でもしかし、「怠惰に落ちる」という自分に負けることにだけはなりたくないと思っている。  勿論それでも負けることはあるが、その時は「なぜ負けたのだろう」とウジウジではなく「どうしたら勝つことができるだろうか」と前向きに楽しく後を引かせている。

投稿者:つねちゃんat 08 :23 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月12 日

同じ投稿が採用されていた

 勿論別の新聞にであるが、投稿者の名前は覚えていないが、内容は全く同じで「微笑ましい」情報である。  私もかつて地方紙2紙に投稿していたが、同趣旨の物は決して投稿しない様に十分な気を付けていた。  その為の一つの基準としては、「一つは微笑ましいものだけ」「もう一つは、生意気かもしれないが、政治的なものや生活の知恵」的なものにした。  私の知っている限りでは、同趣旨の物は無かったと思っている。  何故その様にしたかというと、当時はまだ母が少し認知症はあったけれど、昔から取っていた地方紙をどこまで分かっていたかは別にして、偶に採用される私の投稿で私の名前は分かるらしく、施設へ行っていても、私のことがそれで話題になるのが嬉しかったと言っていたからである。  母の逝去とともに、その地方紙の購読は辞めたので、今の1紙だけにしたのであるから、もし万が一内容がダブっても新聞社の方で採用しないから、その心配だけは無くなっている。  だから、怒りも微笑みも生意気な知恵も混在している。

投稿者:つねちゃんat 06 :13 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月8 日

新聞の読み方が遅くなった

 今までは「少し興味のある記事が多かったなぁ」と思っても45分で読み終えていたのだが、最近は50分でも足りなくなっているような気がする。  特別難解な文字が出現しているとも思えないので、やはり高齢化していて、頭の廻り方が遅くなっているのだろうか。  いつも言うように、それ自体は「順調に歳を重ねられている幸せ」だと思えばいいのである。  でも、目が文字を追うのが遅くなっているのだとすれば、ずいぶん昔に「速読法」をそれなりに学習したことがあるので、その中の一つで「頭を動かさずに『俯瞰する』」という方法も訓練して見ようか。  それなら、無理なく出来るし少しは効果が出るかもしれない。

投稿者:つねちゃんat 06 :29 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月7 日

孫の高校入試への送り

 今日は孫の私立高校の入学試験で、当中学校からはそんなに受験生が多くないので、バスなどの配備がなく「自己解決」ということになり、娘夫婦は平日でもあるので、勤務となり、爺である私に送って行くように頼まれた。  それはナントもないのだが、やはりきょう昨日の内から「験担ぎ」として帰宅して車庫に入れる時に「明日は前進で出られるように」と言う願いを込めてバックで入れておいた。  現代の女子高生には、言っても感謝も何もないと思うが、ささやかな爺の願いである。  また、お礼を言って欲しいとも思わずにやることに、私の思いやりがある。  いやいや、自己満足だけなのである。  結果としてその高校へ行くかどうかは、分からないが、「入学試験」ということであれば、やはり「合格」してほしい。

投稿者:つねちゃんat 12 :44 | 健康 | コメント(0 )

2019 年2 月6 日

暖冬に感謝すべきか

 私の日記帳は、以前にも何度か紹介したが、一画面で最大過去2年分の同日の記録が見えるようにできるものである。  昨年の今日のタイトルが「腰の高さまでの大雪」と言うものだった。  内容はさておき、今年はそれに比べて、現在までは、ナントも心地良い「冬」を迎えて、暦の上だけれども「春」を迎えている。  綺麗な雪景色から、まだまだ小さいが、所々に「蕗の薹」を見ることができる。  用心のために、昨年駄目になった「ママさんダンプ」という大型のスコップを買っておいたが、一度だけしか使っていないのも、楽しい思いである。  米国では、異常寒波に、大統領が「地球温暖化はやっぱり嘘だった」とのたまっているという馬鹿げた言葉が伝わってきている。  禅の言葉だというが、良寛禅師の言葉として聞いている「死ぬ時には死ぬがよかろう」というほど、「諦観」という境地には程遠いが、これも運命、と思えば全てのことが「良いこと」と思った方が前向きだろう。

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2019 年2 月5 日

蛙の面に小便

 厚労省だけでは無くなった、各種統計での不正が続々出てきている。  担当大臣は「遺憾に思う」だけで、特別変わりはしないことは、本人も該当者も「分かり切っている」という様子である。  大臣は「関係者を『処分』する」と勢いが良いが、訓告や戒告、僅かばかりの減給などは、今までの例からしても「蛙の面に小便」ほど効果しか無いことは、いう方も言わる方も先刻ご承知で、「ハイハイ」というところだろう。  原因は分かっている。  「これ以上酷いことになったら、洗いざらいぶちまけますよ」という脅し文句が何時でも使えるからだろう。  それは処分該当者だけではなく、その当時の部下や同僚なども一緒に敵に回すことになるからだろう。  すまじきものは「腰かけ大臣」というところか。

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2019 年2 月4 日

落ち着いてイヤホンで聞く

 昔から、ウォークマンやそれに類るものは、「常に」という程耳にして愛用していた。  未だにそれほど得意な英会話ではないけれど、ずいぶん昔に買ったレコードの教材を、テープにして、次はCDにして、そして最後はメモリーカードにして聞いて学習したものである。  勿論「学習」は時間を決めてしか行わなかったから、とても自慢できるほどでは無い。  だけれど、やはり同様にレコード音源とエァーチェックで集めた、音源による音楽を聴くことが多かった。  さすがに仕事中はそうでもなかったけれど、出張族ということから、移動中はまさに「コンサートホール」にいる気分だった。  だけど、両耳で聞いていて外部音が聞こえなかったのが原因の事故を聞いた時から、かならず「片耳」でしか聴かなくなった。  もうずいぶん昔の話である。  先日、風呂場に最近のメモリーに入れた音源で、久し振りに両耳で聴いた。  やはり外部音を遮断しての音楽は良いものである。  でも、これからは「音楽を聴きながら眠って溺死しない」様に気を付けなければならない。

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2019 年2 月1 日

雪景色も良いものだ

 天気予報では、今朝は「確実に雪になる」と言うものだったので、ホームページのトップに載せている写真撮影は、晴れの予報が出ている3日にしようと思っていた。  大体いつも通り5時頃に起きて、ベッドの中で新聞を読み、起きる前にベッドの中での屈伸などの運動をして、外はまだ暗い6時くらいには、起きてからの軽い運動もこなして、デスクに向かい、書き写しの朝ルーチンを行う。  そんな中で外の様子が見え始めると、雪は、気持ち良くチラチラと降ってはいるが、積雪というほどでは無く、雪明りで大分明るくなってきたので、足元がしっかりした食後に撮影に出かけた。  出来不出来は、お暇があったらホームページを見て頂ければご理解いただけるが、チラチラ雪の冬景色も良いものだと久しぶりにそう思った。  「降る時には降るが良かろう」  泰然自若で生きたいものである。

投稿者:つねちゃんat 09 :19 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月31 日

やはり注意したい

 フリーソフトは、いわゆる「痒い所に手が届く」ということが、無料という事よりも魅力的で、ずいぶん昔からかなり多く利用してきた。  ところが、先日、あるソフトを使ってみたところ、どう考えても必要ない「インターネット接続を許すかどうか」をセキュリティソフトから許可を求められた。  調べてみると、名前は私にも簡単に理解できる英単語の物だったが、中国製の物だったので、ファーウェイなど関係ないと思っていたが、やはり心配で使うのを止めて、アンインストールしてしまった。  これからも、「このソフトはネット接続を求めています」というソフトには、どんな被害にあうかもしれないから、中国製に限らず、十分に注意しながら使いたいものである。  これはフリーの物ばかりではなく、市販の物にもあるという評判も聞いたことがあるから、売れ筋ソフトも過信してはならないと自分に言い聞かせた。

投稿者:つねちゃんat 08 :09 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月30 日

日課にすれば苦痛でなくなる

 「何かを始める」ということで、新年の一つの目標にされた方もいらっしゃるのではないだろうか。  私の周りにも何人かいて、1カ月も終わろうとしているこの頃「やり始めるのは簡単だったけれど、継続は難しいなぁ」と弱音を吐きがらもまだ続けている人や、既に何項目かは「断念」という事態になった人もいる。  私自身は「今年から始めた」追加項目は、「年賀状のイメージを年賀状ソフトとリンクして保存する」ことであり、随分前の物からあるので、楽しみながら「日課」として続けようと思っている。  そのためには「一日にこれだけ」と決めてやることである。  無理しない程度に「これだけ」を「日課」として続けると、気が付けば「続いていた」ということになり、全く苦痛にはならずに続けられる。  在職中によく部下に言ったことに「鯨を1頭食べる」というたとえ話である。  「遠くの鯨は小さく見える」ということで、『日課』として僅かずつ食べれば、体を壊すことなく、健康的に、美味しく食べ切れる、ということである。  小さな「日課」を一つだけで良いから始めてみませんか。

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2019 年1 月29 日

トイレの改修

 生前の母のために、トイレに両手すりを付けてもらった。  最後には、部屋でポータブルトイレのお世話になったけれど、それまではずいぶんと世話になり、家内も介護の手助けになったと喜んでいた。  でも、あれからもう10年以上も経ち、水洗のためのリモコンも動作が不安定になり、メーカーに聞くと、生産も中止になっているとのことで、完全に適合するリモコンもないとのことから、取り替え改修を行うことにした。  そんなことから、家中を見回すと、ここかしこに「年季切れ」になりそうなものが見当たる。  贅沢はできないけれど、点滅が激しい蛍光灯器具なども、LEDの器具に取り換えたり、家計的に無理のない範囲で、徐々に交換してゆきたいものである。

投稿者:つねちゃんat 06 :11 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月28 日

ラジオネーム

 たぶんまだ50代の頃から使い始めたと思いが、ラジオなどに色々な応募をするときに「中幸年」というラジオネームを使っていた。  意味するところは「そんなに大きな幸せなど求めず『中くらいの幸せで十分な年齢』という事」だと、聞かれると説明していた。  時々、アナウンサーと電話で喋る機会があり、幾つかの放送局や番組でそのようにしてきた。  でも、やはり6回目の歳男としては「中高年」は流石にその領域だというのも憚られるので、今後は何にしようかと楽しく考えていた。  そこでようやく思いついたのは「老年」の領域なのだから「中くらい」はそのままにして「朗年」と洒落てみようと決めた。  馬鹿みたいに大きく朗らかにするのではなく、含み笑いくらいに朗らかさを、感謝しながら生きてゆこうという意図である。

投稿者:つねちゃんat 09 :23 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月25 日

デジタル時計が楽しい

 随分前までは「時間までデジタルで縛られるのは堪らん」と思って、できるだけ避けていたのだが、現実的には、正確性を期すためか、いろんな所での表示が「デジタル」である。 そこで、今度は「何か楽しく感じられないものだろうか」と考え直して、好きになろうと思っている。  そう思うと、必ずしも「時間」という事ばかりで楽しまなくても「数字の並び」を楽しむことにしている。  一番楽しいと感じられるのは、12:34:56ではないだろうか。  これに限らず「たったの1秒間」の楽しみであるが、偶然に出会えると、なんだか「ラッキー」と思うのは私だけではないだろう。  ほぼ毎朝出会うのは「5:55:55」である。  先日、少し深酒をして、早く寝たせいで、トイレに起きた時に、何気なしに見たのが「1:11:11」であった。  今のところ「5桁の揃い」はこの二つである。  少し待てば、出会える、という事なら待つが、その為に待っている、ということはできるだけしない。  そう思ったこともあったけれど、何かの拍子に「見逃した」ということによる残念感が嫌だからである。  お金のかからない、ささやかな楽しみである。

投稿者:つねちゃんat 07 :57 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月24 日

マー活という記事にびっくり

 このブログをお読みいただいている方の中にもいらっしゃるのではないかと思うが、「麻婆豆腐大好き」という方。  今から10数年前に、中国へ行った時に、現地の方に案内してもらった「四川料理店」へ行き、「麻婆豆腐」を食べたが、とても日本で食べたことが無いほど辛くて、「痺れ感」が物凄かった。  団体旅行ではなく、ある方の紹介で、私が「辛いもの好き」だということが伝わっていたので、気を利かせて注文してくださったものだった。  正直、涙を流しながら、鼻水をティッシュで拭きながらも全て食べ切ったが、後から来る美味しさにも虜になり、特別にお願いして、陶器にそのソースを詰めてもらってきた。  我が家に置いておいても、私以外は手を付けることなく、半年くらい美味しく頂いた。  タイトルの「マー活」というのは、これに似た味のものを好むという事だとあった。  私の辛いもの好きは、これに始まったものではなく、元々好きだったが、唐辛子も京都産のものを買ったり、自家栽培でハバネロから、ジョロキア迄、現在でも作って使っている。 花椒は流石に栽培できていないが、国産山椒でも、痺れ感はそこそこあるので、昨年から混ぜ合わせて使っている。  もう10年近く前に先取りしていた。

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2019 年1 月23 日

有給休暇

 年末だったかの報道で、「有給休暇の消化が50%留まり」というのがあった。  在職36年だったけれど、その間ほとんど有給休暇は消化したと思う。  たしかに、現在の状況で言えば、「ブラック企業」的な仕事も経験したが、その時は「俺がやらねば誰も出来ない」と自負していたし、現実にそうだった。  特別な能力という事ではなく、その分野に従事していたのが私だけだったということで仕方がなかった。  逆にその分の見返りもしっかりと頂いていた。  単身赴任期間も足掛け7年に亘ったが、正月とお盆にたっぷりと休暇を戴き、帰省して半年分の家族との生活を楽しんだ。  勿論、部下が育ってくれていたことで、上司もそれを許してくれたものである。  だから、有給休暇が取れる自分になって、十分に消化してほしいと思う。  のんべんだらりと過ごすのも良いし、仕事中は没頭できなかった部門の勉強でもいい。  兎も角、明けた時には「新しい自分」になっているために。

投稿者:つねちゃんat 08 :43 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月22 日

「喉まで出ている」が言わぬが花

 リタイアしてからもう18年目になる。  在職中は、かなりわがままをさせてもらったので、リタイア後は「互角」ということと今までの感謝から「お説御尤も」ということで、平身低頭の生活を続けてきていて、それも随分と慣れてきたつもりだった。  でも、そんな自分でも、時々「そんなことを言うならお前だって」という気持ちが頭をもたげてしまうことがある。  正直「喉まで出る」のだが、飲み込んでしまうのが「一つの癖」になっている自分に気が付いた。  王様の耳はロバの耳、や、落語の堪忍袋ではないが、何処かに吐き出すことも出来ず、飲み込んでしまうのだが、思ってみれば、これが「幸せの秘訣」なのかもしれない。  なぁーに、パチンコでの憂さ晴らしという手段があるから、暫くは爆発せずに持つだろう。

投稿者:つねちゃんat 07 :32 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月21 日

サラリーマン体質

 リタイアしてから、普段着は「格好より寒暖に合ったもの」にするようにしている。  だけれども、時折、仕方なく「スーツ」を着用する機会がある。  フォーマルでは必ずしもないのだが、セミフォーマルで良いくらいの所でも、そんな中途半端な服装は持っていないか知らないので、どうしても「スーツ」になってしまう。  36年間のうち30年以上は「スーツ」が「制服」だったり、場合によっては「戦闘服」だった。  サラリーマン体質の自分にとっては、そのような服装をすると「寒暖は別物」ということになってしまう。  明らかに自宅でのスタイルでは、ズボン下も穿き、場合によってはその上に「レッグウォーマー」も付けることがあっても、スーツで外出となると、そんな物は「不要なもの」になってしまうのである。  リタイアして20年近くになるが、まだ10年ほどはこんな服装生活になるのだろうか。 哀しくも楽しい、複雑な気持ちである。

投稿者:つねちゃんat 09 :02 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月18 日

読書感想文

 昨年の1月17日から、今年の1月12日まで、約1年かかって読み切った本である。  「雑学 漢字・ことわざ 四字熟語」(現代国語研究会・編著 永岡書店 刊)。  父が買った本である。  蛙の子は蛙で、私もリタイア後見つけていたら、多分買っていただろうと思われる本である。  内容は、そのことわざなりの起源にも解説があるので、私の「上っ面だけ理解」だけだったものに、少しは深みを付けてくれたのではないだろうか。  全てを紹介する訳には当然できないが、表紙にある物だけを並べてみる。 (順不同)うそつきは泥棒のはじまり(ホントつきはお巡りさんのはじまりなのか)。  地獄の沙汰も金次第(三途の川を遊覧船で渡れるか)。  あばたもえくぼ(美人は三日見れば飽きるが、不美人は三日で慣れるか)。  人の噂も75日(この時代もっと早く、明日になったら忘れている政治家の黒い噂か)。 栗鼠(栗と一緒だと美味しいかな)。  五月雨(雨はあくまでもシトシトと降って欲しいものだ)。  馴鹿(やっぱり仏教徒でもプレゼントは欲しいなぁ)。  烏賊(烏賊が烏を食うっていう起源に驚いた)。  山葵(辛さはジョロキアから和辛子まで何でも好きだ)。  青二才(古希を過ぎてもこう言われる私って、どうなのかなぁ)。  栄螺(これは兼六園にある名所の一つ)。  君子豹変(ゆっくり変わっても君子は君子、とてもなれないなぁ)。  眉目秀麗(凡そ縁のないひと)。  比翼連理(男性は願うらしいけれど、女性は嫌だとか)。  軽佻浮薄(時々我を忘れてなってみたい)。  人面獣心(外面如菩薩内面如夜叉 鬼子母神も女性)。  質実剛健(かつては憧れた性質だけれど、一度も成ったことがない)。  隙に任せて一度は読んで見られることをお勧めする本である。

投稿者:つねちゃんat 08 :06 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月17 日

左義長

 わが地域でも、恒例の左義長が行われた。  今年は、後片付けが夜になると、いろいろ都合が悪いとの意見から、点火は3時30分からと決めて周知された。  当日は午後から設えたが、天気も良かったので、いつもより多くの方の参加で、3時前には高さ5m以上の物が出来上がった。  応援に出た私がゆく着く前には、例年通り厚い鉄板が敷かれてあり、後片付けの準備も出来上がっていた。  いつもより早く始めたこともあったのか、点火前から次々と注連飾りなどが持ち込まれた。  以前は口うるさくビニール、ミカン、鈴など燃えないものは点検していたが、今では皆無とは言えないまでも大分少なくなっている。  他地域では、いろいろな事情で取り止めになったとのことだが、しっかりとした周知と鉄板などの準備で、翌朝にはまるで何事もなかったかのようになっている皆の協力で、まだ暫くは続けられるのではないだろうか。

投稿者:つねちゃんat 08 :04 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月15 日

年賀欠礼

 来年からの年賀状を欠礼させてもらうことにしたのは約半数の40名ほどにさせてもらった。  それ以前の3年ほど前に「年賀状」ではなく「年賀メール」にさせてもらった人がやはり同じように40名ほどある。  今年末には約30名ほどの人に年賀状を出すことになるが、実際には「手間」としてはそんなに楽になる訳では無い。  確実に年賀状が40枚ほど減るので、金額的には2,500円くらいの費用節約になるだけだ。  それはともかく、今年の年賀状(メールでも同じ図柄の物を送らせて頂いた)のデザインは、「猪」を図案化したものは、昨今の猪被害を受けた人もいたので、無難な「鶴」を使った。  ところが、昨年末からの景気変動から、できれば「右肩上がり」に肖りたいとの思いから「右上に向かった鶴の図案」が無いかと探したのだが、全くと言うと私の捜し方が足りなかったのだろうと作られている方には申し訳ないが、残念ながら見つけることができなかった。  これは多分「何かそうしない理由があるはずだ」と思って、調べると、やはり「左側向きが『偉い』方だ」という事のようである。  始まったばかりで、「来年のことを言うと」と笑われそうだけれど、来年のデザインも、被害がそれなりの「鼠」を使わず、何か別の物にしたいと思っている。
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投稿者:つねちゃんat 06 :26 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月14 日

「放送大学」で楽しく学習(12/11に採用された)

 定期的に診察してもらっている病院の待合室で見た雑誌。  先日、楽しいコーナーがあった。  いわく、「大人の学び」と言う記事だった。  大学への再入学などが紹介されていたが、私の場合、環境などでなかなかできないのが現実である。  そこで、もっぱら「放送大学」を無料で利用している。  卒業しての学位取得などは気にすることなく、卒業論文なども無く、気軽で楽しく学習している。  タイトルで興味のある講座は、ビデオに撮って受講している。  やはり「大学」と言うのだから、最初のうちはなかなか理解できないけれど、「読書百遍」と同じく、繰り返しているうちに、少しずつ分かってくるのも楽しいではないか。
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2019 年1 月13 日

ブリやカニの「ブランド化」(12/17に採用された)

 この時期、北陸では、ブリやカニをはじめとした「ブランド化」の話題でにぎわう。  決してひがみ根性で言うわけではないが、われわれ庶民には「高嶺の花」と言うよりももっと縁遠い「高級品」で、首都圏の市場で高い値段を付けられたものとなってしまう。  今は昔、とはよく言うけれど、香箱ガニなどは、1匹30円位で、バケツに入れて売られており、足の身などには目もくれなかったことを覚えている。  売る側としては、なにがしかの、グレードの違いを際立たせて、「売らんかな」だと思うが、形が悪くても味に違いは無いのだから、ぜひともそのようなものは積極的に地元での消費に回してもらえないものだろうか。  首都圏の人間から「えっ、北陸にいても、こんなに上等なものを食っていないのか」と言われることのないように。

投稿者:つねちゃんat 08 :12 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月12 日

一律返納に納得いかない状況(12/2に採用された)

 9月末にけがをして、砺波の病院で施術してもらい、退院後、約2週間おきに通院していた。  車の運転は「絶対ダメ」だったので、往復バスを利用した。  バスの運行間隔が2時間に1本と言う状況に、当たり前に車を利用していた身にとっては、今更ながら驚いた。  この状態で「高齢者は運転免許の返納で事故の減少を」と言われても、納得がいかない。 けがから約2カ月たち、ようやく「運転許可」が出た。  年齢などで「一律返納」と言いながら、「交友関係を広げて認知症予防を」と言われても、できる人ばかりではないことを理解してほしいし、その分より注意して交通安全に努めたい。

投稿者:つねちゃんat 08 :30 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月11 日

「ごみ」を「護美」と書き換えている(11/24に採用された)

 私たちの地区では、生ごみは月曜日と木曜日の朝に出し、資源ごみは毎月第一土曜日に出すことになっている。  どうも「ゴミ」とか「ごみ」と書かれていると「汚らしいもの」と言うイメージがどうしてもついて回る。  で、全ての「ごみ」を「護美」と書き換えてみている。  私の日記や予定には全て「護美」を当てはめてみている。  そんなものを順次書き換えて、しっかりとした「癖」にすれば、今までの「ごみ」が「美しいことを護ること」に自然に無理なくつながっていくだろう。

投稿者:つねちゃんat 06 :30 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月10 日

自転車に子供乗せることは(11/9に投稿したが採用日付を忘れた)

 子ども乗せ電動自転車の新型が発売されると新聞に出ていた。  まだ20代で神奈川県藤沢市に住んでいた頃、まだそんなに人出が多かったわけではない湘南海岸まで、自転車で20分くらいだった。  当時、まだ未就学児だった息子を後ろの台に乗せて、何度も遊びや釣りに出掛けていた。 でも、幾つかの反省もあり、大きい事故にこそならなかったけれど、息子にけがをさせたことがあってからは、自転車は止めてバスに切り替えた。  それから40数年たっての現在、やはり自転車に子供を乗せるのを奨励する気持ちにはならない。  自転車と同じくらいの速度の乗り物であれば、屋根付きの電動自動車の方がいいのではないだろうか。  最近は「シェアカー」と言うものも一部で使われているという。  子供の安全上、ぜひともそちらの開発の方を優先してもらいたいものである。

投稿者:つねちゃんat 06 :50 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月9 日

「将来を見据えて」に思う(11/8に採用された)

 この年になっていまさら気が付くことが、多すぎるということは、それだけ自分が無知だったということになるのだろう。  全く恥ずべきことだと反省している。  そんなことの一つに、政治家やお役人と言う人が使う言葉に「将来を見据えて」と言うのが「錦の御旗」のように使われていることではないか。  消費税についてもそうだし、移民政策ではないという入管法改正も、同じだろう。  消費税は、孫子に負の遺産を残さないために、というが、負の遺産を作ったのは誰なのか。  労働力不足のために、というが、足りた場合にはどうするのか。  いずれも「将来の見通し」が誤っているか、誤っていたからではないのだろうか。  遅ればせながらも「一度立ち止まって」しっかりとした見通しを立ててことに臨んでほしいものである。

投稿者:つねちゃんat 06 :35 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月8 日

いじめ発覚件数発表されて思う(11/1に採用された)

 かつてのツービートのギャグの中に「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのがあった。  今回のいじめの発覚件数では、なんだかそんなような風潮で発表されてるような気がする。  「みんなが言っている間に、うちも細かいものも含めて『あったこと』にして発表しておこう。  そうすれば『うそをついた』ということにはならないのだから」というような発表の仕方だ。  少なくとも「一人だけつるし上げ」と言う最悪の状況にはならないだろうという、一種のギャグ的な発想から出ているのではないだろうか。  教職員もそうなると、お役人と同一の人種になるのだろう。  これがまかり通ると、「あしき前例」となって、悪乗りが続き、結果としていじめということの再発防止にはならないのだろう。  私に良い発案がある訳では無いが、ぜひとも一件一件見極めて、再発防止策を講じてほしいものである。

投稿者:つねちゃんat 06 :44 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月7 日

「同一労働、同一賃金」に思う(10/25に採用された)

 一時期盛んに言われた言葉に「同一労働、同一賃金」というのがあったが、最近また新聞紙上などで見掛けるようになった。  在職中の半分は「年功序列賃金」という体制で、後の半分は「年齢給と職能給」という制度の中で過ごした。  だから、基本的には、その言葉自体好きになれなかった。  自分から見れば「あの人と同じ仕事をしている」とか「あの人以上の仕事をしている」とかと見えるのだろうが、第三者から見た場合、本当にそうだろうか。  同じ「考えている」と言っても、視点が違ったり、範囲が違ったり、レベルが違ったりしているのである。  余り近視眼的に「同一」と判断すべきではないと思うのだが。

投稿者:つねちゃんat 06 :46 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月6 日

栗の木を選定 胸筋切るけが(10/20に採用された)

 71歳と言う年をわきまえないわけではなかったが「まだこれくらいならできるだろう」ということで、今年大豊作だった栗の木に感謝を込めながら剪定を始めた。  上部の枝に取り掛かったところで、脚立が倒れて大胸筋を切るけがをしてしまった。  11日間の手術・入院の末に無事に家に戻れたのだが、筋がうまくつながるまでは、右腕は半固定していなければならなくなっている。  初めての状態で「いかに普段無理しているんだなぁ」と気付かされた。  復帰しても「無理をしないように」と思ってはいるが。

投稿者:つねちゃんat 07 :54 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月5 日

今回の平和賞 大いに賛意(10/13に採用された)

 本庶佑博士のノーベル医学賞受賞は「がん撲滅」につながるとのことで、出自が富山県にもルーツがあるということで、誠に喜ばしいことである。  一方、下馬評で「平和賞」の候補に挙がっていた、南北朝鮮首脳と米国大統領だけれど、私に選択権があるのならば、絶対に「拒否権」を発動しただろうが、そんなことにならずに正直なところホッとした。  オバマ氏の受賞もそうであるが、「宣言」に与えられるものではなく、未来永劫の結果とまではいわないけれど、せめて10年程度の「継続した結果」に対してであるべきだろう。 そういう意味で、今回の平和賞の受賞者には大いに賛意を表したい。

投稿者:つねちゃんat 08 :04 | 健康 | コメント(0 )

2019 年1 月4 日

「溜まる水は腐る」の象徴(9/29に採用された)

 「点滴 岩をも 穿(うが)つ」と言う言葉は、好きな言葉の一つだが、この言葉と対になって覚えている自省の言葉に「溜まる水は 腐る」というのがある。  前者は「石の上にも三年」と同意だと理解していて、松下幸之助氏の言葉に「諦めなければすべて成功だ」と言うのに通じると思って、それなりに努力してきたつもりである。  今回の文部科学省次官らの辞任劇は、まさに後者の例だろう。  最初はささいなことから始まり、だんだん高価なものになっても「気が付かなかった」と言う弁はまさに「溜まる水」の象徴だろう。
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2018 年12 月30 日

わが身傷つけることのないよう(9/22に採用された)

 教育勅語というものは、戦後生まれだからよくは知らないけれど「身体髪膚、之父母に受く、あえて毀傷せざるは、孝の始めなり」と言う言葉は、いつの頃からか好きになったものの一つである。  ところが、「自己人体実験」とばかりに、若気の至りで、全く反対なことばかりやっていたような気がする。  両親を見送ってもうだいぶたつが、いまさらながら身に染みる思いがした。  つまらないことでわが身を傷つけることのないように、動作は遅くとも十分に注意したいものである。
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2018 年12 月29 日

「重陽の節句」は「陽」の数重なる(9/17に採用された)

 9月9日は「重陽の節句」だった。  一桁の奇数で最大な「陽」の数が重なる、という意味で、「良いことが重なってくる」と言ういわれである。  「9」は「苦」につながるから、縁起が良くないといわれて嫌う人もいるが、好きになったのは高校生の頃からだろうか。  季節も良いし、これも好き嫌いがあるが「大好きな花の菊」の咲く季節である。  また、いつもは今年ほどではないものの、暑さから解放されて、机に向って、「楽しく学習」できる季節でもある。  まだ熱いお茶ではなく、氷を一つ入れただけのお茶を横に起きながらの読書は、どんなジャンルでも楽しいし、読んでいるうちにいろんな思いが広がるのに、身を任せる楽しみもこの季節ならではである。  確か、若山牧水の「酒は静かに飲むべかりけれ」もこの季節だったように思うが、この場合やっぱり、日本酒が合うというのは、手前勝手な理屈である。

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2018 年12 月28 日

原発に対する考え方の甘さ(9/11に採用された)

 高校時代は「電気科」と言うところで学んだので、何が何でも原発反対、と言うほどではないけれど、今の原発に対する考え方の甘さには常に疑問を持っている。  今回の高速増殖原型炉もんじゅの廃炉についても「えっ」と思うことが次々に出てくる。 取り出した燃料棒を「洗浄する」とあるが、その洗浄に使われ、多分汚染された排水の行く末はどこなのか。  「水で薄めて海へ流す」のだろうか。  風評被害などはないのだろうか。  次に「当面は」水中で保管とあるが、その水は漏れはしないのだろうか。  当面とはいつまでなのかが全く明確になっていない。  「言った当事者が亡くなるまで」ということで「死人に口なし」とでもいうのであれば、地元は大変だろう。

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2018 年12 月27 日

畑や庭の植物を巡回(9/4に採用された)

 前夜からの雨で水やりの必要性はなかったけれど、朝はまだ晴れ間があったので、畑や庭の植物を巡回してきた。  畑では、風でクリの実がいくつか落ちていたので、むいてみると、鬼皮の色はまだ薄いけれど、食べられるほどの大きさの実が2個採れた。  その後は「家内作業」で一日をのんびりと涼しく過ごすことができた。  「暑い」でいいかげんにしていた、読み散らかしていた本なども区切りをつけて、とりためたビデオも早送りしながら随分と消化できた。  ともかく扇風機を弱にしていただけで、何をやっていても、はかがいった一日だった。  当面こんな気候が続くそうだけれど、これですんなりとはいかないことは理解しながらも、のんびりできた一日に感謝した。

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2018 年12 月26 日

誰に何をわびる目的で頭下げる(8/30に採用された)

 障害者雇用に関する「いかがわしい内部調査」で、まるで「芋づる式」に、あちらこちらの「官庁」というところで職員の方が頭を下げている。  いったい誰に何をわびる目的で頭を下げていられるのだろうか。  腹の中で思っていらっしゃるのは「私たちは悪意があってやったことではない」ということだろう。  そして「『判断ミス』があっただけのことだ。ともかく一度頭を下げておけば、非難の嵐は、その上を通り過ぎていくだけだから、その後は少し鉛筆をなめて数字を改善されたように見せかけておくだけで済む」と思っていらっしゃるのだろう。  こんなことだから、中央省庁をはじめとして「不正なミス」はなくならない。  それでも「お役所を信じろ」と胸を張って言えるのだろうか。

投稿者:つねちゃんat 07 :42 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月25 日

予算が101兆円

 今日のテーマは、やはり年も押し迫って出た「予算が101兆円」ということではないでしょうか。  残念ながら、政治屋とお役人の懐を十分に潤わせて、一般大衆にはまやかしの「還付」で増税を強いることになるのでしょうね。  以前にも言いましたが、増税には、必ずしも「絶対反対」ではないというのが私の基本姿勢です。  でも、会計検査院が、何度となく「無駄遣い」を指摘しても、どこ吹く風とばかりに同じことを繰り返し、政治屋さんはいろんな噂が出ても、野党も一緒になって「他人の噂も」ということで過ごしてしまうという姿勢に腹立ちを覚えてしまうのです。  また、いろんな示威行為をなさる方々も、自分にが選ぶ政治屋さんに対して直接文句を言っておらず、選挙のたびにその人を当選させてしまっていることに対しても腹立ちを覚えます。  今年も、基本的には「仄々」「徒然」を旨としてきたつもりですが、最後はやはり「文句屋の文句」になってしまいました。  ぜひ皆様も、良い年をお迎えください。
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投稿者:つねちゃんat 06 :15 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月21 日

接して漏らさず

 いささか尾籠な話だけれど、時折ネットで「エロビデオ」を見て楽しんでいる。  残念ながら、現実的に相手をしてくださる女性に出会わないし、万が一そんな機会があっても、多分遠慮してしまうことになろう。  途中で息切れがしたり、早かったり、遅かったりすると、むしろ迷惑だったり、恥をかいたりで、お互いに後味が悪かろう。  それだけ「身勝手」な行為である。  そんな時でも、ビデオは楽しませてくれる。  でも、今年になってから、「発射」するのはほとんどしないようにしている。  自分勝手だけれど「後が疲れる」のである。  だから、冒頭のように、五人組に相手をしてもらいながら、勃やすだけ勃やして、寸前で止めている。  ところが、最近気が付いたのだが、「元気が還流している」ような気がしている。  そんなことがあるかどうかは、知らないし、調べるつもりもないが、気分としては良好である。

投稿者:つねちゃんat 06 :26 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月20 日

ネックウォーマー

 家内から、手編みのネックウォーマーを貰った。  クリスマスのプレゼントの前倒しでも無いのだという。  編み出した当初の目的が、何度かの変更によって、私のネックウォーマーになったとのことだが、経緯は全く問題にしないで、とても嬉しかった。  ネックウォーマーが今ほど皆が多用していない10年近く前に、家内の買い物の付き合いで出かけた時に、黒い、細い、糸で編んだ、筒状の物が、確か150円ほどで売られていたのを発見したことからの付き合いである。  確か偶々床屋へ行った後の外出だったので、首筋だけがスースーしていて、全く「渡りに船」だったものである。  それから数年経って、外出時にそれを着けて行けるほどでは無いほど「草臥れていた」し、周りにも着けていらっしゃる人も増えたので、太い毛糸で編まれた物で、見た目だけだが体裁的に木製の大きなボタンが2個ついたものを買って愛用していた。  以前の物は家での着用と言う活用だった。  10年以上も経っていたので、首との間に随分と隙間ができていたものだったから、嬉しさ倍増である。  長い間役立ってくれた物には、感謝しながら護美箱行きとなった。

投稿者:つねちゃんat 08 :02 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月19 日

「感謝」

 昨年ごろから「何にでも感謝」と言う気持ちで、日記やこのブログにでも、「感謝」と言う言葉を使ってきている。  正直、始めた頃は、自分ながら「少し照れくさいなぁ」と言う気持ちがあった。  でも、私が使っている日記は、一画面で過去2年分が見られるようになっているので、気を付けて見ていると、確実に徐々に「感謝」と言う言葉を「当たり前に」使っていることが分かる。  だいぶん素直になったものだと思う。  出来れば、父と同じ歳までは、健康寿命を保ちたいと思っているが、少なくとも腹を立てず、何事にでも「感謝」と言う言葉を使い続けられるようでありたいものである。  あと13年だけれど、果たしてできるだろうか、分からないながらも、感謝の日々を一日一日感謝しながら続けていきたいものである。

投稿者:つねちゃんat 07 :50 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月18 日

「どう食べないか」

 就寝前の音読本からの「つまみ食い」的な論理である。  時期的には、物が少なくて「食べられない」ということがあるとしても、全体的にはまだまだ「飽食の時代」と言われても、それほどの反論もない今日この頃である。  「これはこんな風にして食べるともっと美味しい」という番組やそれに類するにニュースなどが、氾濫している現状である。  勿論私や家内も娘や二人の孫娘も、「いかにして食べるか」には、味の種類は違うし、程度こそあろうが「興味津々」なのは言うまでもない。  ところが、「どう食べるかより、どう食べないか」と言う一説には、気づかされるところがあった。  文章を自分なりによく考えてみると、「お腹がすいた」から食べるのではなく「お昼になったから」などと言う「習慣」で食べることの方が多くなっていないだろうか。  家内が外出で、お昼は自分で判断できる日には、一度試しに内臓の負荷軽減のために「抜き」をやってみようか。  血糖値の薬を飲んでいるから、低血糖防止に飴玉だけは持っていることを忘れずに。

投稿者:つねちゃんat 06 :30 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月17 日

反対のデモ

 今回の辺野古埋め立てに対する反対のデモが、全国各地で行われているとの報道である。 在職中には、短い期間だったが、組合の執行部にもいて、デモを率いたこともあって、それなりに自分らの意見をアピールした。  でも、今回の辺野古や消費税などに対するデモは、賛成者がかなり偏っているのではないだろうか。  だとすれば、単に「反対」と叫ぶよりも、特定議員などに対する「申し入れ」と言う形の方がより効果的ではないだろうか。  これは、案件にもよるが、必ずしも与党議員ばかりではなく、不埒な活動をした場合の野党議員にでも向けられるべきだろう。  このようにすれば、「民の力、蔑ろにできず」と言う風潮になるのではないだろうか。  では自分は、と言われて二の句が継げないから、ブログと言う形でしか表明できないのだが。

投稿者:つねちゃんat 06 :41 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月14 日

今年もイルミネーションを点けた

 街の振興策の一環で、当地区の自治振興会では、数年前からイルミネーションを無償で貸与してくれている。  我が家自体は、孫が喜んでくれたので、そのずっと前から独自で点灯していたのだが、趣旨に賛同して、貸与してもらっている。  今年も点けようとして電源を投入して見ると、所々点灯しないLEDがあったので、取り換えてもらって、昨日漸く設置した。  昨年(正確には、今年の2月くらいまで)まで使っていたものと、同じものは無かったので、気分一新で新しいものに取り換えた。  まだ点灯・滅灯・光度の増減のタイミングが思ったようになっていないのが、昨晩分かったが、生憎の土砂降りだったので、そのままにしておき、今晩には再度設定し直すつもりである。  でも、この間が、実は旅行計画を立てているようで、ナントも楽しいのである。  小さなものでも、おやりになってみてはいかがでしょうか。  我が家は玄関灯を点ける時のタイミングで電源を接・断しているので5時前から9時過ぎまでです。  電気料もほとんど気になるものではありません。

投稿者:つねちゃんat 06 :45 | 健康 | コメント(0 )

2018 年12 月13 日

養生訓の一節

 「聖人は未病を治す」と言われて、あなたはどう思われるだろうか。  私のような、生来「短気な人間」は「病気にも罹っていない人の病気は直す必要が無いから、それならみんな聖人だろう」と思ってしまうし、今までもその論理で事を済ませてきたことがある。  落語の「藪医者」のマクラではないが、「落ちてすぐに運んできたのに『手遅れ』だというのなら、何時運んでくればいいんだ」「落ちる前なら何とかなったろう」と言う件である。  今回、何度目かの「音読」で落ち着いて読むと、なるほどと思わされた。  考えてみると、今までは、上記のような理屈で、通して来たが、今更ながら「赤面の至り」である。  常日頃から謹んで、飲食色慾を抑え、風寒署湿を防いでおけ、という論理である。  理屈はよくわかるんだけれどなぁ、と凡人は思うばかりで、行動が先になる。

投稿者:つねちゃんat 09 :10 | 健康 | コメント(0 )