2010 年02 月17 日
徒然草を読み終えた
このブログのタイトルにも借用している「徒然」だが、先日漸く全ての段と訳者の解説文を含めて読みきった。
私にしてみれば、大体本と言うものは「必要な部分だけを読む」と言う論理だった
ので、今までの経験からして、徳川家康(山岡荘八)と「吾輩は猫である」(夏目漱
石)くらいだろう。
どちらも「小説」なので、それなりにストーリーを追う、と言う興味があったのだ
が、今回は殆ど「脈絡が無い」と言っても良いものだろうから、私にとっては一つの
快挙である。
書き取りは、今日が第240段だったから、後3段を残すだけである。
全ての書き取りを終えた後、読後感を書くと共に浸ってしばらくを過ごしてから、
今度は書き取りを改めてやろうと思っているが、実はもう一つ書き取りをやりたいも
のがあるので、現時点では二つともやるか、徒然を止めて乗り換えるか少し迷ってい
る。
でも、今終わって思うことは、兼好法師は確かに文学や宗教を基にした知識におい
ては、並外れた知識を有していたことは認めるとしても、このような「エッセイ」と
言う意味ではこのブログと相通じるものがあるのではないかと言う感じである。
自分のことだけではなく、他人の無様なさまや立派な行動に書き及んだり、直接的
ではないにしても、政治的な面についても及んでいる。
笑ったり、怒ったり、悲しんだりもしている。
そういう意味で、今更ながらだが、このブログのタイトル付けは必ずしも間違って
いなかったろうと一人ごちて居る私が居て、それを右肩の後ろから(大体天使と悪魔
の精神的第三者は右側が天使であろうから)揶揄したり微笑んだりしている私が居る
という姿だろうか。
これに意を強くして、もう1000回も過ぎているこのブログをまだまだ続けよう
と思っている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :15| 趣味
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