2010 年02 月23 日
故人の投書
新聞への投書と言うのは、飽くまでも私の乏しい経験からだが、差し出した日から早いものなら1週間以内に掲載されるが、遅いものはそれこそ「忘れた頃にやってくる」のように2ヶ月近く経ってからの時もある。そんな時に限って、自分自身が読んでいなかったりして「先日の投書には同感しました」と言われて、慌ててしまうことがある。
もう何年も前になるが、請われてパソコン講習会の講師を務めたことがある。
その時の事務局長をなさっていた方が先日お亡くなりになられたのだが、新聞投稿も良くなさっておられる方で、そういう意味で、初対面から意見が良くあって、いろいろな企画をしながら約2年半ほどお付き合いいただいた。
葬儀などへの参列は控えたのだが゛、散歩の道すがら、斎場前では両手を合わせて追悼の念をあらわしたものである。
ところが、その方の投書が今朝の新聞に掲載されていて、正直かなり驚いた。
新聞社のほうも其処まで気がついていて載せたのか、むしろ追悼の意味で載せたのかは判らないが、これが絶筆なのだろうか、もっと他にも出てくるのだろうか、などと不謹慎なことも考えたりした。
ずいぶん昔に読んだ推理小説にもこれと似たようなものがあったような気がする。
私の場合もこんなことがあったりするのだろうかと思うと、何だか気味が悪くも愉快な気分にもなってくる。
O氏の冥福を改めて祈りながら、何だかいつもよりも愉しい気分で迎えられた朝に対して、さらにO氏への感謝をしたい気持ちである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :19| 日記
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