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2010 年02 月24 日

目の前の見えるところだけでも綺麗に

 掃除が我が家での私のルーチンワークの一つとして根付いてもうかれこれ5年余りになる。
 最初のうちは、嫌味ではないのだろうけれど、姑の嫁いびりの如く、家内からの指摘がかなり多かった。
 デモ「石の上にも何とやら」で、流石に最近は殆ど指摘されることはない。
 そうなると、欲が出てくるもので、「ここをもう少しこうしたら」と言うようなことになってくる。
 まぁ、それは良いとして、最近ふと「何故掃除するのだろうか」と思ったりする。
 諸姉・諸兄はどうだろうか。
 義務感から、と言っても、何故その義務が発生するのかが良く判らない。
 かつて母から祖母に言われたことを聴いたことがあるが、当時はいろいろな回顧録を観て見ると、嘘ではないことが判ったのだが、相当に貧乏書体だった様である。
 祖母は、看護婦経験者だったと聞くが、嫁いで間もない母に「掃除をする暇があったら、内職をして、お金を稼げ」と言われたそうである。
 看護婦だったのだから、綺麗好きもしくは綺麗にしていないといけないのだろうと思っていた母としては、かなりのショックだったろう。
 そんな訳で、掃除の意味を改めて考えてみた。
 そして思いついたのは「汚い、もしくは、綺麗でない所」を見るのは、矢張り嫌だから、それは他人様も同じだろう。
 だったら、そんな所を人に見せて気分が悪くなって貰わないようにする、ことではないかと思った。
 そう思うと、何だかすっきりする。
 汚い所を他人様に見せないようにすることが掃除ではないだろうか。
 そうなんだ、自分のために掃除するのではないのだ。
 そう思うと、なおさらすっきりする。
 こと掃除については、人様のためなのだ。
 そう思うと、少しでも目に付くところは綺麗にしておこうと思うと、汚い所を探して掃除することになる。
 うんうん、何だか精神論になっちゃったが、そんな事を思いながら掃除するのも愉しみが増えた思いになる。
 さぁ、次の汚い所を探して綺麗にしよう。
 子供に掃除の意義を聞かれたときの、答えにしようと思うが、聞かれる事があるだろうか、それまで元気で居られるだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 09 :41| 子育て | コメント(0 )

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