孫がテンサイに
先日頭の孫娘が「爺ちゃん、私テンサイになったよ」と言ってきた。
知らないうちに新聞に自分の絵を投稿して採用されていたことや、学校での習字大会で表彰され、それが市の展示にも採用されたことも、後で知ったことなので、「また何かそんな類のことなのか」と爺馬鹿は素直に思って、聞くと、そうではないとのことである。
よく聞くと、小学4年生で、10歳の誕生日を迎えたとのことをもじって、10(テン)歳=テンサイということだそうである。
学校の先生も、いろいろと工夫をされているようで、心の中で感謝した。
昔聞かされたのは「10歳で神童、15歳で天才、20歳過ぎれば・・・」という成句だったが、調べると「5歳で神童、10歳で天才、20歳過ぎれば・・・」という成句もあるそうで、これを使われたのだろうか。
それにしても、うまく使われたものである。
英語での数字の数え方は4年生にならなくても覚えるものである。
でも、よく考えれば「誰でも必ずいつかは『天才』になれるのだよ。今の成績などばかりで評価するのではないよ」という教訓も含んでいるのではないだろうか。
つい先日も学習参観日があり、学習風景を写真に収められないかと行ってきたが、参観者でカメラを構える人がおられなかったので、私も遠慮して、その分授業風景を見せてもらった。
よそ見をする子や失敗をする子などを相手に、先生は大奮闘であることに感謝した。
孫よ、子らよ、20歳過ぎるまではすべて天才だと思って、勉強だけでなくすべての物事にめげずに励んでくれよ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :53
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小学校の休み
孫が学校の先生の研修会のため、平日休みとなった。
例によって「どこかへ行きたい」と言うのが今までの恒例だったのだが、今回はその発言が二人ともない。
聞くと、学校で「家ですること」を時間割のように書いてきているとのことである。
時々の爺婆参観へ行っても、先生方の教育姿勢には、細かいところまで気が届いていて、感心するとともに、感謝している。
今回のことも昨年までは無かったのか、私が気が付かなかったのか分からないが、「家庭での時間割」というものは全くなかったのではないだろうか。
自分で決めるカリキュラムということらしく、2年生と4年生の孫は、それぞれ教科が違うし、体育としての科目も違っていた。
おかげで、前述のようにせがまれることはなく、その分気分はゆったりだったのだが、なんだか一抹の寂しさを覚えることもあった。
我々のころは、学校が臨時で休みになると、何をして遊ぼうか、ということもあったが、その実「平日しかできない悪さ」に少ない頭脳を働かせたようだと記憶する。
現在の子供と違うのは、やはり上にも下にも子供が多く、ガキ大将がうまい具合に統率をとって、もっぱら外での遊びに夢中だった。
今では子供自体が少ないので、望むべくもないのだが、かと言って、ゲームばかりにうつつを抜かしているのも感心しない。
孫の時間割には「ゲームで遊ぶ」という時間もしっかり書いてあったのには、感心するやら驚くやらである。
こんなことを考えてくださる先生方にも感心し、感謝したい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :08
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天使の微笑み
隣の同級生にこの春できた孫娘。
今朝、初めて「おはよう」と声をかけた。
最初はポカーンとしていたが、そのうちに得も言われぬ可愛い顔で微笑んでくれた。
ナント朝からいいことである。
うちの孫娘は先日学習発表会で、勿論可愛いが、あどけない生後半年余りの娘さんの笑顔が癒してくれる。
いつも誰からも笑顔で接してもらえる人には、あまりそんな感激はないのかもしれないが、在職中ほどではないにせよ、リタイアしてからは随分と柔和な顔つきになったと思っているが、どうしても小さな子供には、懐かれず、大概というより、ほとんどの場合に泣かれてしまう。
だから、最初から接近はしないようにしているし、今回も3mは離れての挨拶だった。
だから、まだはっきりこの恐持ての顔に気が付かなかったのかもしれない。
お嬢ちゃん、それでいいのですよ。
できれば、それがいつまでも続くことを恐持てのお爺さんは願っているのです。
そして、それがすべての人に対してであることを。
メルヘンの町で、メルヘンのような気持ちのいい朝でした。
でも、どうして「恐持ての顔」になったのかなぁ。
そういえば、こちらに来てまだ間もないころに、庭に来てなぜか鎌首をもたげた蛇と睨めっこして、勝ったことがあったが、その「ネンモウ(この言葉を探したが、見つからなかったということは、子供のころの方言だっただろうか)」が50年以上も続いているのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :53
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「倍返し」はあくまでも「小説の中」だけ
私も見たが、半沢直樹ブームで、「倍返し」という言葉が今年の流行語になるのではないだろうか。
物語自体を非難する気持ちは全くないが、現実にいろんな点での「倍返し」が顕著に表れていないだろうか。
イオンが文春を店から排除した、という現実もそれに近い。
そればかりではなく、枚挙にいとまがないくらいで、中には悲惨な事件も出ているが、詳述するのも怖いくらいである。
「反省してみる」ということをもっと習慣づけたほうがいいのではないだろうか。
「目には目を、歯には歯を」では、仇討ちと同じで連鎖は断ち切れなのではないか。
「歴史」という学科には残念ながら、あまり得手だった記憶がない。
それでも、父譲りかもしれないが、雑学的にいろんなことを断片的に覚えている中に、明治の初期くらいだったろうか「仇討禁止令」というものが出たという記憶がかすかにある。
仇討が美談化された、最大は「赤穂浪士」だろう。
でも、これを繰り返していたら、と思うだけで寒気がしてくるのは私だけではなかろう。
団塊の世代の真っただ中で、「勝った、負けた」は日常茶飯事だった。
それを一々恨みに思って「倍返し」と力んでいては、はたして新しい発想ができるのだろうか。
半沢物語を忌避するものでは決してないし、あそこまでひどい人事は経験がないが、「恨まれそうな人事」というものには、何度となく見聞きしてきた。
「倍返し」はあくまでも「小説の中」だけにしてもらわないと、実際にそれが横行すれば、そうした人に対して世間から「倍返し」されてしまうのではないか。
実際にそれを真似た事件が散見されている。
正直、怖い話である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :12
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人の育成には時間がかかる 2/15投稿 2/19掲載
時々、子や孫に「ありがとうは?」や「おはようは?」催促している人を見掛ける。
言う側は、「当然のことだからしっかりと身に付けて」という心だろうから、一概に異論を唱える気持ちはないが、一歩下がって考えてみてはどうか。
自分たちは、「言われて、言ってきたのだろうか」ということを。
「親や周りの人が言って(して)いるから、自分もするのが当たり前」と思ってやってきたのではないだろうか。
私は小学生の登下校時に防犯や交通安全のために当番で立つことを長く続けてきている。 最初はあいさつをしなくても、こちらが根気よく声掛けをしていれば、自然とあいさつをする子も結構多いのである。
いつの日か「言う人」がいなくなったら、と思うと、心寒い思いがする。
子育てや社員教育には時間がかかるのである。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :21
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平社員に戻りたい管理職
産まれた時から、という訳ではないが、団塊の世代の我々は多かれ少なかれそんな時代から「競争」だった。
先日定期診察のために行った病院の新聞で見た記事が、表題である。
「競争」とは勿論「他人に勝つ」ことだったから、入社してからも「何とかして同期生に勝つ方法はないだろうか」と虎視眈々と機会をうかがっていたような気がする。
それまでは、父の名代で、親戚付き合いをすることも度々あり、苦い、辛いお酒の類は極力避けていたが、今ほど「未成年者には飲ませない」という教育が行き渡っていなく「これくらい飲めないでどうするんだ」と言われて、飲んでいたのだが、会社に入ってからは極力先輩らと付き合い酒を飲んだものである。
勿論最初のうちは「飲む、吐く」の繰り返しだったのだが。
そして「企業内研修所」への入試試験にも合格したころから、「昇進」というのがやはり勝敗のバロメーターだった。
本社勤務から帰るときには、同期生や少し先輩などよりも一クラス上で帰ることができ、当然給料も上がった。
本社への行き帰りを繰り返しているうちに、トップにはならなかったものの、それなりに自分として満足のいく地位になれた。
38歳で管理職になり、その少し前から「予備軍」と言われていたが、予備軍としての仕事のやり方なども教わったり自分で異業種交流会に参加したりしていた。
そして、「管理職とは何をするものか」ということを身につけて、現場の仕事も理解し、人材育成という管理職としての肝要な技術も身に着けたと思っている。
表題の原因の多くは「部下が言うことを聞いてくれない」というものだそうである。
間違いであろう。管理職になったら「自分の言うことは上意下達で部下が聞くものだ」と思っているのではないだろうか。
その為のことを自分がやっているのだろうか。
その時よく言った言葉に「昇進したのは、今までの実績が認められたのではない。これから上位職としてやっていけるだろうという期待からなのだ」と。
管理職として「責任ある仕事」を自分で探し開拓することが、苦しいけれど楽しみになってくる。
ぜひ期待したい、と極楽トンボは思うのである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :46
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アルバイト
富山県だけの教育方針なのかどうか知らない(調べればそれなりの解決が見つかるのだろうが、そうなると今回の主旨がぶれそうなので、書いてしまってから調べることにしたい)
最近になって、身近に「14歳の挑戦と」言う活動が行われていることに出会った。
お金をもらっているのか、受け入れる方にしてみれば、迷惑料との相殺なのか知らないが、一つの教育活動であることには違いない。
これが「より早い社会活動の実地体験」ということであるならば、昔のアルバイトと同じだろう。
今の時代「お金のためのアルバイト」と言うと、方々から非難の嵐に遭うのだろうから、本音がそうだったとしても、それこそ「口が裂けても言えない」だろう。
そんな事から、自分のアルバイト遍歴を思い出す。
小学生の5−6年には、新聞配達と集金。さすがに勧誘はなかった。
中学1年生の夏休み、折から地域に大型の病院建設があり、その配管業者でアルバイト。
これはかなりきつかった。多分今ではできないのではないかと思うが、2間長さの鉄パイプ3本を担いで約100m位を何度往復しことか。
中学2年生の時には、ヤクルト配達。36豪雪の時季で、年末には元日分と2日分を配達しなければならない。当時は入れ物は今のプラではなく、ガラス瓶だったから、配っても瓶を回収しなければならず、重さはちっとも減らなかった。結局途中で親にも話し、4歳下の弟にも手伝ってもらって泣いたことも思い出す。
また、蒲鉾屋のアルバイトもやった。今では時効だが、無免許でバイクを運転して、担任の先生に見つかったが「事故を起こすなよ」と注意されただけだった。これには余禄があり、注文数よりも数本余計に積んでゆき、途中でパクつくことが許されていた。何しろまだ出来たて(当時はまだ真空パックではなかった)なので、湯気が出ていて「暖かい蒲鉾」だったのである。
高校時代には、頭脳労働として「家庭教師」を半年ほどやったことがある。幸いにして、学科としての英語と数学及び国語はそれなりにできたので、英語の辞書も国語辞典、漢和辞典を持っていない中学生を教えるのはたやすいことだったし、その甲斐あってかどうか知らないけれど、目的の高校合格が成就したので、終り。
いずれにしても、目的は「お金」だった。
貰った物はすべて母に渡して、小遣いがそれまでよりも少しだけ多くなったことが喜びだった。
今請われてPC講習をやっているが、これはお金が目的ではないことだけは自分の中で理解している。
当時14歳の挑戦があったら、果たして世の中の母親は納得してくれただろうか。
多分「お金優先のアルバイト」と「それよりも勉強」となっていたのではないだろうか。
どちらがいいとは言えないが、ほろ苦く楽しい思い出である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :36
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少子化の責任
少子化の責任が、ほぼ一方的に女性にあるのではないか、ということで女性手帳なるものを交付しようという案が出ていたが、私としては「案の定」廃止になっしまったことは、当然だと思っている。
少し前になるが、これからは男性(精子)が無くても子供が産める時代が来る、という記事を目にした記憶がある。
それが一般化すれば、そのような時代(少子化は女性が原因)も来るかも知れないが、当分は倫理上の問題もあり無理だろう。
どこかの市長さんではないし、少し前に現与党のお偉方が「女性は子供を産ま機械」的な発言で、女性を蔑視する気持ちは全くなく、むしろ助平爺としては、いつまでも老若美醜を問わず、女性は常にマドンナであったし、今でもそうである。
最近の「草食男子」では困り、若い時はそれこそ「性餓鬼」のようにギラギラした目で、より良きマドンナの獲得を目指してほしいものである。
ストーカーなどと言うことでなく、三度目までは断られることを覚悟して、どんどんアタックしてほしい。
そして、駄目ならいつまでも追いかけるのではなく、「サァー次っ!」と別のターゲットに向かってほしい。
女性も、男性はそんなものなのだ、ということを理解して、出来るべくは易しく対応してほしいものである。
そして、お互いに無理のない程度で合意して、良き伴侶となれば、「上になったり、下になったり、蝶々は良いなぁ」と言う歌詞のようになり、自然と子供も生まれるだろう。
産む時も、育てる時も「自分たちだけで」と言うことではなく、安心して近隣社会に任せなさい。
今ならまだ、私と同様な団塊の世代の人が多くそれを支えてくれるだろうし、それに甘えてもらいたい。
そうして育った子供たちは、自然と親と近隣社会への恩返しも考えるだろう。
決してそれを求めるのではなく、育てているうちに自然とそうなってゆくことは、我々自身が一番よく知っているのであろう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :47
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素地が同じ様でも、みんな違う
畑では同じ畝に同じ時期、同じ品種を、出来るだけ(この辺から違ってくるのかもしれないが)同じ深さで植えつけているつもりだが、発芽から成長の度合いがずいぶんと違ってくる。
同じようにしているつもりでも、決して同じではなく、それでもそれぞれがしっかりと育ってくれている。
もちろん、残念ながら原因不明で萎れていくものもある。
今年は、決してサボった訳ではないのだが、大根の整理(間引きという言葉は好きになれないので、この言葉を使っている)が随分遅れてしまい、いつもの整理菜ならば、若いのだから、お味噌汁の具に二度ほどすれば、無くなってしまうくらいの量だったのだが、今年は各株で各々がしっかりと「(細いけれど)大根です」と主張する程に育ってしまっていた。
これでは整理後が心配になるのだが、それはそれとして、大根の部分は漬物にして、少し筋が残るのかと心配したが、全くそれはなく、葉の部分も「こわく」なったかと思ったが、逆によごしにするには若くて柔らかだった。
今から期待と不安がない交ぜになるのは、3年前に買った牛蒡の種である。
発芽試験をしたらまだすべて発芽したので思い切って植えてみた。
30数粒植えたものが20弱発芽してきている。
同じ畝で、同じ条件なのだから、楽しみである。
うちの孫も、1歳半(学年で2年)違うのだが、最近その違いが結構な差になってきているのが、何とも楽しい。
金子みすずではないが「みんな違って、みんな良い」となってくれるのを祈っている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :20
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撮り鉄ならぬ「撮り曳山」
先日と言うか、此の頃新聞をある意味で賑わせている「撮り鉄」の行儀の悪さだが、先日わが町でも、11基の曳山が出るお祭りがあった。
そこで「撮り曳山」族の行儀の悪さを目の当たりにして、かなり残念だった。
子供に限らず、大人、特に女性に対して「そこ退けそこ退け、俺様が通る」と言う態度である。
人一人がそうであるならば、さほどの迷惑にもならないのだろうが、おそらくカメラの付属品がたくさん入っているのだろうと思われる、大きなバッグを抱えて、あまつさえ、長い三脚を折りたたみもせず、という状況で、人ごみの中ばかりか、式典などの邪魔になるだろうし、見ている人の邪魔になることも全く考えていないのである。
また、それらの人が、66歳の私よりも年長者で、常識は当然弁えているはずの人たちなのである。
このことは、我が町だけだったのだろうか。
この時期、高岡、城端、砺波を初めとして、いくつかの地域で、絢爛豪華な曳山が出る。
そんな中で、「撮り曳山さん」の行動はどうなのだろうか。
祭りに人出は当然、むしろ歓迎すべきこと、多少の行儀の悪さは大目に見て、という開催主体の意見であるならば、こちらは所詮「野次馬」でしかないので、口を出すいわれはないのだが、そんなことの一つ一つが祭自体の衰退につながっていくのではないだろうか。
昔のことばかり言ってもしようがないが、曳山に登らせてもらえる子供たちは、それなりに祭法被を着て、威儀を正したものである。
それが普段着で、およそ祭りの威厳などはみじんも感じない子供が、上から友達を見つけてはピースサインをしているのでは、祭りの意味が失われるだろう。
子育ては、こんな日頃の中からでもできる、いや、すべきことを守らせるということから始まるのではないだろうか。
撮り曳山のオジサンたちは「反面教師」としての意識なのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :00
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初月給は現金で
最近は、というよりも、今年初月給をもらう人の親の世代から、「給与」というのは、銀行振り込みが当たり前で、アルバイトなどで稼いだものもそれが当たり前になっていることだろう。
そんな中で、難しいかも知れないが、初月給だけは、明細書付きで現金で渡せないものだろうか。
私等の年代は、それが当然だったし、約5年間ほど続いた後で銀行振り込みになった。
現金でもらうと「えっ、聞いていたよりもずいぶん、少ないじゃないか」というのが本音だろう。
で、給与明細をよくみることで、社会と自分の置かれていることが少しだけ分かるのではないだろうか。
与える側にとっても、はっきりとした認識を持たせるという意味で重要な事だろう。
社員教育とは、時間も長くかかるが、それによって経費もかかるのだが、たったこれだけのことで「意識付け」ができるのだとすれば、そのための経費はわずかなもので済むのではないだろうか。
また、貰う側にとっても当然で、今まで自分一人で生きてきた訳ではないことをしっかりと認識できるきっかけになるのではないだろうか。
所得額の先頭には、まず入社説明会などで受けた額が記載されているだろう。
そして、まだ1か月なのだから、勤怠手当を初めとして、いろいろな手当て欄が空欄のままになっているのではないだろうか。
そして、控除欄に目を移せば、所得税を先頭に、実にいろいろと減額されているはずである。
そして、最後に「現金支給額」という欄には、大袈裟に言うと、初任給の2/3くらいになっているのではないだろうか。
それを意識したうえで、今後は空欄になっている「手当」をいかに努力して高額を埋めていくかにかかっていると思えば、俄然やる気も起こるだろう。
会社ばかりではなく、社会がそれを望んでいるのだから。
頑張れ、新入社員たちよ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :17
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交通安全教育
今シーズンも、春の交通安全ということで、当番として2日間朝の学童の登校時に街頭指導に立った。
小学生も、中学生も、中には少し時間が早く登校するのだろうか、高校生もいた。
いずれの中にも「ピカピカの一年生」がいて、小学生はランドセルカバーが真新しいのでわかり、ちゅうこうこうせいは、やはり新調して汚れが全くと言っていい程無い制服でわかる。
なんとも楽しい季節である。願わくば、いつまでも元気な声で「おはよう」とあいさつしてほしいものである。勿論こちらも続けてゆきたい。
そんな中で、ついつい行わなくなってしまうのが「右側通行」の順守である。
そこで、素人として考えたのは、多分本旨に悖るだろうが、子供にも、いやむしろ大人に対しての教育は「そうだったら損をするよ」という趣旨で教えたらどうだろうか、ということだ。
決してあってほしくはないが、重大ではなくても、万一事故に遭遇した場合、保険での保障ということとになるのだろう。
そんなときに、右側通行をしていなかった、という事実があったら、保証の額も違ってくるのではないだろうか。
また、横断歩道でない所を渡っていた場合もどうだろう。
世の中「何でも金」とは決して思いたくはないけれど、最終的な調整ということになれば、やはり行きつくところはそうなるのだろう。
単に「右側通行」「横断歩道を渡ろう」というのも大切に違いないが、それをやらなかって事故に遭った場合は、こんなことにもなり兼ねないよ、という教え方も必要ではないだろうか。
勿論、先にも述べたが、子供だけではなく、大人に対してもそうである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27
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孤立無業
「孤立無援」という言葉は以前からも聞いたことがあるが、在職中数回経験したことがあるので、その悔しさは実感としてまだ残っている。
昨日のブログではないけれど、まさに「四面楚歌」であった。
解決法は、幾度かあったけれど、基本的には「自分から話しかける」ことだったと思う。
幸いにして、母方の伯父から「酒」についてはいろいろと教えてもらっていたし、父からは交際術の一つとして「麻雀での付き合い方」も教わっていたので、それで難を乗り切れたのだと、今でも感謝している。
酒は「飲めればいい」ではなく、なにがしかの蘊蓄や作法、麻雀でも「勝負」だけではなく、手作りの妙味などの作法があった。
話を本題に戻して、最近の新聞で、標記の言葉を聞いて驚いた。
現在の「無業」は「本当に仕事がないのだろうか」。あの仕事は嫌だ、この仕事は自分に合わない、とか、一旦良いと思って入ったけれど、思ったことをさせてもらえないから辞めて次を探す、とかを繰り返して「失業」に甘んじているだけではないだろうか。
また、そんな子を親は「良いよ、良いよ、暫くなら食わしてあげられるから」と甘やかすから子は親離れできないし、親も子離れができないのではないだろうか。
また「孤立」という意味では、本当に親身になって心配してくれ、労苦を共にしてくれる「伴侶」を真剣に探して獲得していないからではないだろうか。
幸い我が家では、息子、娘ともによき伴侶を得ているが、同級生の友人の子息、令嬢にはまだその機会がない人も結構多いと聞く。
かなり乱暴な言い方になることを自覚しながらも、若い時の男性の結婚観は「結婚すればタダで安心してセックスができる」からでいいのである。
嫌々ながらでも仕事をしていて、そのうちには実績も僅かかも知れないが認められても、結婚していないということから任せられなくなるということは、自然と分かってくるだろう。
決して女性蔑視という気持ちはないが、そんな姿勢の男性には必ず寄り添ってくれる、もしくは受け入れてくれる伴侶がいるはずである。
孤立は結婚で、無業は「石の上にも30年」で頑張ってほしいし、親は「千尋の谷に落とす」くらいの気持ちをもって接してほしい。
それが子の為、ひいては自分の為になるのではないか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :14
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改めて知る、父の思い
今年の目標の大きな項目の一つに「断捨離」がある。
寒いこともあって、中々思ったほどには進んでいないのだが、先日「リサイクル資源ごみ」の回収の日に合わせて、重い腰をようやくあげて、ともかく狭いところから始めよう、ということで行動を始めた。
両親の分は、写真の整理がまだ残されているのだが、「モノ」としての処分は殆ど済んでいたと思っていた。
ところが、私の「いつか使う」と思って残しておいたモノの陰に、見たことのない箱が二つ出てきた。
一つには、メガネをはじめとして装身具というようなものがいっぱいに詰まっていた。
まさか、残したメガネを息子が使うとは思っていなかったのだろうが、処分に困った果ての「いつか使う」だったのだろう。
もう一つには、以前私がまだずいぶん若いころに借りたことのある、ネクタイがいっぱいに詰まっていた。
そのうちの10本近くが、クリーニングから帰ったままのものだった。
また、ひもネクタイというものだろうか、生前出かけるときによく身につけていたものが数本出てきた。
残念ながら、現在の私が身に着けるほど、年齢相当のものではなく、今でもかなり「派手目」のものだった。
尤も、だからこそ私が若い時に拝借したものだったのだろう。
そんなことを思うと、なんだか、最後のころには邪険にしていた父が、可哀想になるとともに、悪いことをしたなぁ、という思いに駆られてしまった。
親孝行、したいときには、親は無し、さればとて、墓に布団も、着せられず
今更ながら、父への思いが身に染みる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :08
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仕事は「辛い」からこそ「お金になる」と心得るべし
このところ不景気が続いて、高卒や大学卒業予定者の就職活動が捗々しくないと聞く。
景気の不調が全てではないにしても、矢張り私の知識不足を棚に上げて言うならば、「ある程度の軽いインフレ」状態が望ましいのではないだろうか。
尤も、現在の年金生活者という身にしてみれば、物価高騰は決して望むものではないし、なにやかやでの増税もできることなら避けて通りたいものである。
で、最近はあちらこちらの放送メディアが就職難の学生さんたちのインタビューを流している。
その中で「えっ!」と思った言葉があった。
「最初は正社員として入社したのだが、朝早く、夜遅いという状況に耐えきれなくて退社した」という女性求職者の言葉だった。
聞いている方は、その背景が判らず「大変だったろうね、辛かっただろうね」という同情心から一方的に企業や世間を「悪者」にしているし、アナウンサーらしき人もそれを煽っているようだ。
でも、果たしてそうなのだろうか。
一時期「楽しくなければ仕事じゃない」というフレーズがTVやラジオで流されたが、その当時の私は、(時効だから言うけれど)徹夜の連続、家に1週間帰れなかった、というような状況だった。そこには、残念ながら「労働基準法」は無視されていた。いやいや、私自身が「俺がやらなければ、誰がやるのだ」という使命感に燃えていたものである。
幸いにして、そのプロジェクトも無事に完遂させることができ、色々なことがあったけれど達成感に十分満足していたものである。
慣れない仕事は、必ずといっていいほど「最初は辛い」のである。
だからこそ、会社としても賃金という報酬を支払うのであろう。
それを何とかこなしているうちに、要領というものを覚え、希望を持ちながら楽できるように工夫することが必要ではないだろうか。
上記の女性は、私だったら決して採用しない。
まるでどこかの国の言うように「自分の気に食わない」ことだからやらない、というのであれば、自分で起業すればよろしい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :55
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かわいい子には結婚させよ
このテーマは以前にも似たようなことで書いたのだが、最近また同じようなことを耳にする機会が増えたような気がする。
以前は、結婚という話題もそうだが、「早く孫の顔を見て、いろんなことをしてやる楽しみをしたい」というようなトーンだったのだが、最近は、かなり過激的な発言になるかもしれないが、「誰でもいいから、早く相手を見つけて結婚してれないだろうか」という状態である。
ところが、これを聞くたびに「それを俺に言わないで子供に言いなさいよ」というのだが、どうもそのことを持ち出すと、喧嘩になりそうだというので、愚痴として私のような者に言うだけなのだろう。
暫く前までは、子供が「パラサイト症候群」になっており、親がいつまでも子供離れしないからだという論理が、マスコミをはじめとして言われていたような気がするが、最近は必ずしもそうではなく、金銭をはじめとする生活面では「独立していて、決してパラサイト(寄生虫)ではない」のだという。
それならば、いっそのこと、親が子供のパラサイトになり、子供に結婚を始め、孫がほしい、便利な家電製品もほしい等々、色々と寄生虫になればいいのではないだろうか。
そうなれば、いつまでも1人で相手をするのもひどくなり、ベターハーフに一部負担してもらい、その分仕事などに打ち込めることになるのではないだろうか。
その後「出産」ということになっても、爺婆予備軍が近くにおれば、何かと便利なことが多かろうし、保育園にでも通うようになれば、爺婆にある程度お任せし、女性も仕事面で活躍できるのではないだろうか。
それが長じれば、人口も増え、GDPも増え、良いこと尽くめではないだろうか、と極楽トンボとしては愚考するのである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :21
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「母親」の思考回路に舌を巻く
現在我が家には「しゅふ」と呼べる人物が3人居る。
ベターハーフとしての家内は基本的に結婚以来「専業主婦」だから40年以上の経験者で、娘は経験的には私よりは経験が浅い「兼業主婦」で、10年くらいである。
リタイアして、年数から言うともう中学を卒業している私が、3人目の主夫だが、夕食のメニューを決める時には、一応「お父さん(時には「爺ちゃん」に変わるが)何が食べたい?」と聞かれることはあるが、企画段階では仲間に入れてもらえない。
そんな中での、今朝の現役の母親の娘と、元母親の家内の言葉を聞いて、改めてまだまだ及ばないことを痛感した。
その日の夕食の献立についてである。
基本的に、私は肉類よりも魚類のほうが好きなので、希望を聞かれて、それなりに知っている在庫状況から魚類のメニューをお願いしておいた。
主婦と母親である家内と娘は、色々と在庫の材料と賞味期限で、議論していて、ようやく2つほどの候補に絞られた。
そこでどちらにしようかと考えていたようなので、私としては期待しつつ、聞き耳を立てていた。
最後の決め手は、小学校の昼食メニューだった。
給食に「白身魚のフライ」と言う事で、私が期待していた一方は完全に却下。
主人、と言う言葉はリタイアして基本的に無収入の私にはそぐわないにしても、先ず第一は「孫」が中心なのである。
そこには、「しゅふ」の感覚よりも「母親」の感覚のほうが、第一優先なのである。
とても、主夫高校生には考えが及ばない。
せめて、朝食くらいは、独自の献立で楽しみたい、と思うのが関の山の楽しみとしておきたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :49
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「しつけ」として殴った
私はゴルフと言う物は、練習していて、事件にはならなかったが、肝を冷やしたことがあって、それ以来絶対にやらないと決めている。
いやいや、歳がある程度に達すれば、いい運動だから、そのうちにやるさ、と言った人もいたが、65歳を超える今でも全くその気にならない。
勿論、だからと言って、やっている人を揶揄する気持ちは毛頭ない。
そんなど素人だから、「練習用クラブ」というものがどれほどの物かも知らないのだが、表題の事件が先日起こったのには驚いた。
このブログでも、何度か言ったと思うが、基本的に「体罰」は必要だと思っている。
ただし、そのためには、絶対的に必要な条件がある。
体罰を与える方は「自分のやっていることがどれだけのダメージを与えていて、それが耐えられ、世間的に許されるだろうか」と言う事を充分に自覚し、与えられる方は「与えている方も同様にダメージを受けているのだ」と思うような体罰になっていることである。
一般の人よりも少しだけ早く電子通信の世界に入り、仕事のことなどは殆ど「電子メール」で済ませてきた私が言うのもおかしいと思われる方も多かろうが、その反動としてかも知れないけれど、「飲みニケーション」にはかなりの時間とお金を使った。
豪気で言う訳ではないが、大蔵省である家内から、月に小遣いを10数万貰っていたが、その殆どが「飲みニケーション」に費やされた(した)時がある。
そこでは、これも何度か紹介したが「右手には座るな」というくらいの「体罰」派だった。
当然そんな私を忌避する人間もいたが、多くは甘んじて受け入れてくれ、注意したことは直すと共に、その部下にも伝えて行ってくれたと、後で聞いたときには嬉しかった。
仕事などの命令や指示には、確実性を確保するために電子メールも良いが、それで意思が通じ合うためには、日頃の対話による付き合いが必要である。
どうか、先ずは「体罰を与えそうな方」に知ってもらいたい。
その体罰を自分が受けた場合、どれほどのダメージを受けるのかを。
かつて、往復ビンタを受けたことがあったが、そのときの先生の眼にはたっぷりの涙が浮かんでいたことを思い出す。
投稿者:つねちゃん
at 08 :02
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孫から「かんぱぁーい」
子育て、と言うジャンルにしたが、むしろ「爺馬鹿」のご披露である。
別居している「外の内孫」は、中々懐いてくれなかった。
それが、つい先日着て、夕食を共にした時に、乾杯をしたのだが、真っ先に少し離れた(近くだと直ぐに泣いてしまうので離してある)その孫が、コップを第一に私のグラスに向けてきてくれた。
これは、正直、近来に無い嬉しいことだった。
7月末の母の一周忌にも、カメラを向けただけでソッポを向かれ、近づくと逃げて回る状態だった。
お盆にも来たのだが、、その時には挨拶は(嫌々だったかも知れないが)「こんにちわ」と割合大きな声で発してくれたので、そろそろ直ったかな、と思ったのだが、エアコンの調整のために10疊の部屋で二人だけになったときに、途端に泣き出されてしまった。
それが、その後2週間ほど経ってから来た時の行動だったのである。
背景に長男とその連れ合いがどのように指導したのかは、詮索するつもりは毛頭無いくらい嬉しかったのである。
これは、決してその孫だけではなく、隣の幼稚園児にもまだまだなつかれていない。
在職中は、どんな子にでも泣かれたものだったが、リタイアして暫くしてからは、結構小さな子にも笑顔で迎えられたので、「競争して勝つ」と言うことが顔から無くなっていたのだろう、と思っていたのだが、存外そうでもないらしい。
でも、先日「内の外孫」の授業参観に行った時に、まだお母さんに抱かれた小さな子から、笑顔を向けられた。
はてさて、爺はどのような態度で臨むべきなのか、悲しみや楽しみが一杯である。
みんなの将来に「かんぱぁーい」
投稿者:つねちゃん
at 11 :20
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「期待」は良いが「し過ぎ」はやっぱり駄目だろう
もうとっくに時効だが、小学生時代から、中学生、高校も余程「必須」でない限り、夏休みの宿題や課題と言う物は、殆ど完遂したと言う記憶が無い。
高校は、発・送・配電と言う科目が、「それをやってこない限りは、この科目は落第」と言われ、それが先輩でも適用されたと聞いたので、仕方なく、形だけは「やったこと」にして提出した。
そんな記憶の中で、今年から小学生になった下の孫と一緒に頭の3年生の孫も、夏休み完了前の登校日にはすべて提出したようで、それなりに喜ばしいことだった。
頭の孫は、観察日記で優秀賞を貰い、下の孫は絵を描いて優秀賞をもらってきたので、これは「鳶の孫が鷹になった」のではないかと、ほんの少しだけれど思ったのは、爺馬鹿の最骨頂ということだろう。
でも、これからの伸びについては、別居の内孫についても同様に「何かの才能」が発揮されるであろう将来に大いに期待したい。
しかしながら、決して言わないことがある。
「貴方はこれが上手だから、将来はこれを生かすようにしたら」と言う言葉である。
それは「期待し過ぎ」と言う事になり、言い続けると、本人にとっては「重荷」にしかならないということだと思うからである。
「良く出来たね」と言う褒め言葉で、現時点では、言った方も言われた方も満足しているのだから、それで良いと思っている。
何かの拍子に、大人気を博して、マスコミなどに追いかけられるほどの人気者になった(ノー)タレントが1年もしない内に消え去ったことは、枚挙に暇が無いだろう。
これと同様というと失礼かもしれないが、現在、大いに人気を集めて、言われた方も「有頂天」になっている方々がいらっしゃる。
果たして、一時期の現政権がそうであった様に、数年後どういうことになっているだろうか、贔屓の引き倒し、という言葉もある。
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投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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