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2010 年03 月09 日

些細なことにも感謝

 般若心経を書き写したり、少しばかり「お経」と言うものに近づいたりしている所為かも知れないが、どうも精神論に偏った内容になることが、少しばかり自分でも不思議である。
 在職中よく言った言葉に「立派な正論はお経の文句だ。だが、それでお客様から仕事をもらえたり、出来たものの品質向上や生産性の向上に繋がるものでは決して無い。より具体的な課題を把握し、お客様に提案し、実現策を模索して『定量的』に論理を作り上げろ」と言うものがあった。
 例によって私自身の耳学問だったろうが、それを自論にして自らにも課してきた心算である。
 そんなことなど「忘却の彼方」であり、最近はもっぱら精神論になっている。
 どんなに些細なことにでも感謝する、と言うのが今日の論理である。
 そろそろ春めいてきて、道端に小さな花が咲いているのを見かけることは無いだろうか。
 例えその花の名前などは知らなくても「可愛く咲いているねぇ」と思うことができることに感謝しようではありませんか。
 かつて「花とおじさん」と言う歌を思い出して、呟きながら思っていると、仄々とした幸せを感じられるでしょう。
 散歩の途中で全く初対面の人に声を掛けてみませんか。
 「暖かいですねぇ」「寒いですねぇ」どちらでも良いのです。
 無視されることもあるでしょう、怪訝な顔をされることもあるかもしれません。
 でも「声を掛けることが出来た」と言うことを幸せと感じてはどうでしょうか。
 政宗の遺訓に「美味からずとも褒めて食うべし」と言う節がありますが、大好きなフレーズの一つです。
 例によって全く俗なことだが、そんな幸せを感じるのに全くお金が掛からないことです。

 そういえば、今日は「3月9日」で、サンキューの日だそうな。
 たまたまこの話題を書く事、それ自体が嬉しく、まったく「サンキュー」であることにも大いに感謝である。

投稿者:つねちゃん
at 09 :26| 健康 | コメント(0 )

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