2010 年03 月26 日
豆撒きの豆
我が家でも一時期途絶えていた習慣だが、孫が判るようになってから節分の豆撒きをするようになった。今年は、孫が保育園で作ってきた鬼の面をかぶりながら「福は内、鬼は外」と元気だが、果たして自分の立場を弁えての行動なのかどうか。
昔のように裸の豆を撒くのは流石にその後「拾って自分の歳だけ食べる」ことから衛生面から考えて止めて、十数粒だろうかの袋入りのものにしている。
でも、孫としては、歳以上に食べたい気持ちのようだが、こちらとしては60粒は流石に食べられない。
でも、幸いにして広い家なので、各部屋に撒いて拾ってを繰り返すのだが、袋の数だけで30個以上は無いと撒いたことにならない。
そんなこんなで、当然の結果として「食べきれない豆」が毎年出てきて、今までは寝酒のお摘みとしてずいぶん長い間かかって消費したものである。
ところが、今年は、家内と娘の知恵からだろうか、ある日の朝の朝食の用意(大体早く起きる私の当番になっている)の時に、予告無く炊き込みご飯になっていた。
具は大豆とシラスで、薄口醤油で味付けしてあった。
その時には「ヘぇー、今日はそうなんだ」と思っただけだったのだが、後でよくよく見ると使われていた大豆が豆撒きの豆だったのである。
そのままだと「ポリポリ」か「ボリボリ」と言う食感で、とても主食に混ざるものではなかったのだが、こうして炊き込んでみると柔らかくなって、程よい味が染み込んでとっても美味しくいただけた。
民放各社(この地方だけかもしれないが)で、「食べ切り(ン)」運動と言うのをやっている。
これに沿った活動の一環として、僅かながらも貢献していることも考え合わせると愉しみが増した。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40| 健康
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