2010 年04 月05 日
書き取りの効用
「書き取り」ということを般若心経から初めて、徒然草は一通り完了し、現在は、継続している「三君の遺訓」、「暦」に加え、我が家の仏壇から出てきた大正時代の発刊物の「御文」にも手を染めている。朝起きてしばらくの間の時間を日課としてこれに当てているが、それなりに愉しい。
先日の床張替え工事の時に少し休んだが、やっぱり「やるべきこと」になってしまっているようで、忘れ物をしたような気分だった。
そんな事をしていると、多分気が付かないところでいくつもあるのだろうが、「略字」を使わなくなっていることに気が付いた。
門構えの文字、言偏の文字、馬偏の文字などなど、今までは無意識に略文字を書いていたのだが、「写す」ことに重きを置いた所為で、もちろん原文にそんな文字は書かれておらず、正しく書くことになってしまっていた。
そうなると面白いもので、なんでもない手書きの時にも、略字を使っていないことに気が付いたのである。
それは、同級生に指摘されて気がついたことで、指摘された時に新たな発見をしたような愉しい気分になった。
もちろんそれだから文字が綺麗になったなどは無く、人が読み上げることを書き写す時だったから、急ぐ必要もあり、相変わらず「ミミズがのたくったような」文字でしかなかったのだが。
でも、それを意識すると「他の文字でも適当に略していないだろうか」と気をつけるようになっている自分がいた。
どんなものでも、一度「書き写して」見ませんか。
多分新しい発見が出来ると思いますよ。
投稿者:つねちゃん
at 09 :56| 興味あること
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