2010 年04 月08 日
死刑廃止と再審請求
タイトルは些か厳しいのだが、ここではふざける訳ではないが、それなりに素朴な疑問と言うことで書かせていただくつもりである。最近になって、ずいぶん昔の事件が、当時の警察体制の不見識を初めとして、証拠が証拠になっていないことが証明されて、獄中からの再審請求が採用されている。
確かに冤罪は見逃されるべきでないことは誰もが認めるところで、私だって諸手を挙げて賛成である。
ここだけは、しっかりと誤解の無い様に言って置かないと、論理にならない。
警察や検察に関するドラマでは「体面」を重んじるがために、冤罪を作り上げる筋書きのものが多いし、其処では「言いたいことが言えない」雰囲気が前面に流れている。
じつは、半官半民だった会社組織に30年近くも勤務していて、それと似たようなことはしばしば経験した。
今ではその会社組織も人が変わり、文化も変わったから、殆どのことは時効だろうから、少しばかり紹介することは問題ないだろう。
兎も角「そんな事をしたら(言ったら)、上の人(過去のやったこと)を非難することになるだろう」という論理が最優先なのである。
だから「従来どおり」やるのが常だったし、問題を起こさないことだった。
話がそれたが、そんな警察・検察の体制もさることながらだが、死刑判決を受けて執行されないで長い間経った人がそれぞれに再審請求をしたらどうなるのだろうか。
当時の証拠だとて確実だったろうか再び審査することに時間と金を掛けるのだろうか。
もちろん、どこかの国のように短兵急に死刑執行をすべきだとは思わないが、さりとて「死刑」と言う判決がある以上(この在非の議論はまた別だろうが)慎重に慎重に判断した上で速やかに執行すべきだと思う。
でないと、誰もが不服申請することになって、収拾が付かなくなってしまうのではないか。
時の法務大臣はそれを十分承知した上で大臣になって欲しいと思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 10 :38| 日記
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