2010 年04 月14 日
愛煙家の孤独
春の交通安全週間が始まり、当番で朝の出勤、登校時間に街頭指導に立った。そこで目にすることは、今までもこのブログや新聞へ投稿したのだが、今回気が付いたのは、以前の酷い状況ではなく、むしろ「哀れな」姿だった。
前回は若いお母さん(だろうと思う)が、窓を閉め切って喫煙しながら子供を送ることで、副流煙被害など知ったこっちゃないというものだったが、幸いにして今回はそれを目にすることはなかった。
その代わりと言う訳ではないが、自分独りで乗っている時には、「咥えタバコ運転」が結構目に付いた。
送り終えた人もそうだが、明らかに通勤途上の人にも多く見かけた。
この人たちは、たぶん家では「子供や私のために」と言われて換気扇の下やベランダなどでの蛍族だろうし、会社では「社内禁煙」という「迫害」ルールに追い出される始末なのだろう。
暖かい日ならそれでも良かろうが、寒い日などはおちおち吸っても居られない状況だろう。
そんな状況下で「独りになれて、誰からも後ろ指を指される心配がない」のは運転席なのだろう。
もうタバコを止めて7年になるが、かつては片道約45分の自家用車通勤では、少なくとも3本は吸っていたろう。
無線仲間との交信やそれが無い時には好きな演歌を少し大きめのボリュームで掛けながら、もちろん安全運転に気をつけながら、ゆっくりと紫煙を燻らせ、昨日までの出来事、今日の予定とそのための対策などを考えたものだった。
それからすると、彼ら彼女らは一人での喫煙時間を愉しんでいるのかもしれないが、傍目から見ると「孤独の悲哀」を感じざるを得ない。
余計なお世話かもしれないが、紫煙を燻らせる時間が人によっては、「健康タイム」なのかもしれないのだ。
投稿者:つねちゃん
at 14 :21| 健康
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