2010 年04 月21 日
鉛筆は削って使う
「書く」と言うことは、色々と発見があることは、今までも書かせてもらった。今までは、裏がツヤツヤの折込チラシを中心に使っていたので、筆記具はボールペンが殆どだった。
折込チラシはまだB5に切って、原稿用紙としての方眼を印刷していないものがあるが、以前の鉛筆が使える用紙も同様にしたものがあったので、筆記具を鉛筆にして最近使い始めた。
ところが、父が残したものに、uniの替え芯型鉛筆がずいぶん残っていたので、その消費を優先することにした。
話は、例によって反れるが、このタイプの鉛筆をご存知だろうか。
父がこれを使っていた直接の現場を見たことは無いが、高校生の頃、製図実習でこの鉛筆は一つの「憧れ」だった。
とても高価なものだったので、結局使うことは無かったが、父の遺品の整理をしていた時に出会ったのは、奇遇だったし、愉しく思ったものだが「今更鉛筆ぅ」などと実用性に疑問を持ちながら今日まで来た。
少し使うとすぐに字が太くなってしまうのが玉に瑕で、挟んで回しての鉛筆削り器では簡単に出来ないので、カッターなどでいちいち削らなければならず、ついつい「太くても良いか」と言うことで書き続けるのだが、太くなるのと比例したかのように、元々乱雑な文字がどんどん「丁寧さ」を欠いてしまって行くのに気が付いた。
これでは、折角の「書く」と言う楽しみが半減してしまう。
で、まだ大分芯は残っているのだが、消費し切るまでは「削って使う」ことで、丁寧さを確保しながら書く楽しみを味わって、心にもそれだけのゆとりを持ちたいと思っている。
でも、本音は矢張り「メンドクセェー」であるのは、凡人の凡人たる所以であろうか。
「それもまた愉し」と思えるまでには、まだ掛かりそうである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :11| 学習
| コメント(0 )