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2010 年05 月14 日

どこかで誰かが抽選している

 在職中は、出張族だったこともあり、行くところでその地区特有の宝くじを目にすると、必ずと言って良いほど買っていた。
 リタイア後は、頻度は少なくなったが、それでもジャンボと名の付く宝くじは買っている。
 先日から発売になったものも、いつも買う場所(高額当選金が出たことはないので、その分列に並ぶ必要もなくユッタリと買えるので安心の場所と、これこそ地元振興の一助になっていると信じている)で買った。
 ロト6なる数字を当てるものは一度だけ買った事があるが、それで終わっている。
 今までの当選金の最高額は、リタイア後2年してからの5万円だったが、それまでは就職した年の1万円だった。
 5万円は孫や家内へのプレゼントと外食を中心に消えたが、就職当時の1万円は、職場の連中との「飲み会」に消えてしまったのだが、当時の給料が2万円弱だった時だから、感覚的には1万円のほうが相当大きな価値があったと思う。
 それはとにかく、宝くじだって「博打」には違いがないのだから、胴元は必ず儲かり、買っている我々は必ず損をすると言う仕組みになってることは変わらない。
 最近「仕分け」と言うことで宝くじ協会にも天下りで美味しい汁を吸っている輩については確かに腹立ちを覚える。
 本題に話を戻して、基本的にロト何とかと言うように「自分で番号を選ぶ」と言う方式のものには殆ど興味がない。
 「どこか知らないところで知らない人が番号を選んでいて、たまたまその番号の券を自分が持っていた」と言うような偶然性が私の宝くじの楽しみである。
 それでこそ「夢」なのであると信じている。
 夢は儚く、虚ろなものである。
 だからこそ、もし万万が一「3億円」などと言う当選金が舞い込んだら、1億円だけは自分で使う(使える)としても2億円は個人消費には使わないであろうと思っている。
 夢は「石動城」を建てることなのだが、いつまでもの夢であっても、思うだけで愉しくなってくるので、それで十分に満足である。
 ちなみに、宝くじの「期待値」と言うのは数学的には「全く期待できない値」だと言うことは、理屈として知っている。
 どこかの誰かさん、石動城の建設に力を貸してくれませんか。 (^。^)

投稿者:つねちゃん
at 08 :42| 趣味 | コメント(0 )

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