2010 年05 月21 日
選挙は「団体戦」より「個人戦」で
このタイトルを思いついた日の、新聞の記事に「団体票が動く」とあったが、もうそろそろそんな時代ではないのではないか。
団体戦でやると、その団体に所属している「個人」と言う立場が、殆どの場合「無視」
されてしまい、結局「誰が言ったか判らない」様な意見統一が図られ、結果として「同
床異夢」の感が否めなくなってくる。
それでも「一般会員」であれば、「俺一人の造反くらい」と言うことで、反対票を投
じたり、他候補へ鞍替えすることは知られないうちに逃れられるだろうが、その会の役
員ともなれば、そんな訳にもいかなくなって、結局個人的な意見は抑えられてしまうの
ではないか。
言い逃れになってしまうが、私もリタイア後、幾つかの会の「執行部側」になったこ
とがあるが、全て1期のみで退任させてもらっている。
退任を辞退させる(継続して欲しいという意味で)論理としては「余人をもって代え
がたし」と言うのが通説で、場合によっては「今度この表彰対象にするから」と言う露
骨なものまであったのには、開いた口がふさがらなかった。
話を本題に戻して、選挙と言うものは矢張り「個人」の意思で候補者を選び、投票す
るのが本来なのではないか、いや、混沌とした今だからこそ、主権在民(個人)として
、個々に選ぶべきではないかと強く思う。
その結果としてタレントを選ぶ人も居ようし、二世三世の議員を選ぶ人もいよう。
一時期はやった「勝手連」と言うような活動を個人でする人も出てこよう。
それでこそ、選ばれた人は「選良」と言う意識で、自分の公約を果たすのに精一杯に
なるのではないだろうか。
それは、選んでくれた人への「便宜供与」と言うのではなく、流行の龍馬の如く
「国を憂いて」活躍してくれることに繋がらないだろうか。
「龍馬伝」はあくまでも「小説」なので至る所でデフォルメされているようで、観て
いないが、その精神を汲んで投票に当たって欲しいものである。
もちろん、候補者もそのつもりで「一所懸命」になってやって欲しい。
あれも金、これも金、などと言うどっちつかずの考え方では、当選したとしても結局
「員数の駒」としてしか扱われず、浦島太郎の歌ではないが「戻ってみればこわ如何に
(怖い蟹)」と言うことになるのは、火を見るより明らかだと思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 09 :25| 政治への注文
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