万引きは返せば無罪か
この手の話題は、あまり具体的な人物を指さないようにしているが、最近少し自分の意識が変わってきた。
今回の話題は、東京都知事に関するニュースである。
生来、私はこの人が嫌いであるから、そういう意味での偏見が入っているのは、ある程度お許し願いたい。
尤も、この人に限らず、また、最近にかかわらず、幾多の政治屋さんの行動には、「果たして如何なものか」というものが多い。
政治資金が少しでも汚れていた場合は、「返却したから無罪である」というような言い訳をなさっている。
万引きが一つの分かりやすい例ではなかろうか。
いったんポケットに入れて、挙動が不審、もしくはばれそうになったら「お返しします」という態度で「もうこれで私は無罪」と平気で主張する人種である。
嘘か本当かは、あくまでも小説の世界でしか知らないけれど、昔の武士の世界には、自分の行動ばかりではなく、部下の所業についても「切腹」という自刃で果てるほどだったという。
残念ながら、最近そのような政治屋さんにお目にかかれない。
いつも言うが、これは政治屋さんばかりが悪いのではなく、その人を選良に選んだ私を含めて「国民」なのだから、「天唾」の感は免れないのだが。
このテーマを思いついたのは、この件がネットでオープンになった日だが、今日は「切腹」に関係が深い日である。
この作家も私にはついていけなかった。
投稿者:つねちゃん
at 08 :50
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法律の文章
かつて会社の研修機関で「法学概論」というものを習った。
その時直接だったかどうか思い出せないが、「法律の文章には必ず『穴』がある」ということを聞いた。
穴がなく作ることは不可能に近いし、もし出来たとしたら、ちょっとしたことでも抵触するから、結局は守られない、というような論理ではなかったろうか。
もう40年近い前だから、違っていたらごめんなさい。
最近いろいろな法律が矢継ぎ早にできつつある。
果たして、作る側の人はそんなことを知ってか、知らずか。
今ではそんなことはないと信じるが、在職時の「就業員規則」の文章の一節を思い出す。
「会社内では、みだりに飲酒酩酊してはならない」と書いてある。
これは「会社内で酒を飲んではいけません」と理解するのではなく、「みだりでなければ」「酩酊しなければ」飲んでも良いのである。
ガマの油売りではないが「みだりとそうでないとはどこで判断するのか」「酩酊しているかいないかはどこで判断するのか」
酔って吐いたことはあるが、酩酊はしていなかった。
淫らな猥談をしたけれど、酔ってはいなかった。
理屈膏薬はどこにでもくっつくものである。
さて、諸姉・諸兄はこれからできる法案をどのように解釈されるだろうか、また、その基準を決めるのは誰なのだろうか、ということにどのような判断を具されるのだろか。
難しいなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :14
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選挙の要諦は
選挙はネット利用よりも「会って握手」が効果的だとの報道に驚いた。
その候補者はいつまでそれを続けるつもりなのだろうか。
その姿勢自体が自分の「人に伝える能力」の欠如を表明しているものだと自ら証明しているものだと気が付かないのだろうか。
国政選挙は与党の大勝利で終わり、元与党は最近では、ほとんど名前すら出てこないような状況である。
また、隣りの市でも市会議員の選挙があり、これ与党勢力が新人を含めて大躍進だと聞いた。
そんな中での報道である。
今は故人になられたが、前の都知事選挙の時に、ほとんど選挙活動をしないで当選したタレントさんがいたが、流石にそこまでしなくても、正々堂々と自説を説いて回り、有権者の支持を得てほしいものだが、それが、流行の「土下座」ということでは、何とも情けない限りではないか。
いろいろな制限はあるだろうが、「自説を説きまわる」という機会をどんどん増やすためにも、ネット利用が一つの効率的な手段だろうし、残念ながら投票率が低い若年層もこれからは公聴会などには参加せず、ネット情報によることが多くなるのではないか。
そんな世界が間近に迫っていることも知らずに、選挙に挑もうとする姿勢こそが「選挙の時だけの下座、当選したら床柱」という老い先短い議員人生にしがみ付こうとするセンセイの姿であり、そんな人に投票する人こそが国辱ものなのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :36
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国会議員は特別なのだ
衆参両院で大勝を占めた与党に「傲慢振り」がまたぞろ顔を出した。
国会内での吉野家で1,200円の「牛重」が販売されるのだという。
しかも、「ここでしか食べられない」という特権階級人間限定だという。
これじゃ、総理大臣という人が「謙虚に」と言ってみたところで、何も変わらないではないか。
今回の増税も「笊で水を汲む」かのごとく、捕らぬ狸の皮算用よろしく、本来の予定から随分とずれていて、復興や福祉は「ダシ」に使われてしまうような体たらくである。
そんなことをしなくても、「国会議員」を初めとして「政治屋」は特殊な人種であることは、残念ながら国民のほとんどがそう思っているのだから、何も現代版和風ファストフードで差を見せつけることもあるまいに。
また、このテーマを思いついた後での報道によると、要求したのが特殊人種からだとのこと、そしてまた、その人種が「これは何かおかしい」とほざいているという。
どうも、朝令暮改、をそのまま行っているような人種である。
もっとも、いつも言うが、そんな人種を選んだのは「主権者」である国民なのだから、これもまた始末が悪い。
選挙、という時期になると、今はやりの「土下座」をするほどの人種が、当選してしまえば、まるっきり立場が逆転して、ふんぞり返るのだから、それに騙される国民が悪いのかもしれないし、騙す側が賢いのかも知れない。
「おらが国さの先生様」はもうそろそろやめにすべきではないだろうか。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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ついに増税
当時の与野党合意だったから、今更驚くことはないが、増税路線が確立した感じである。
このブログでも、何度かの採用された投書でも言ってきたことだが、決めたからには細大漏らさず「無駄遣いの徹底排除」をやってほしい。
増税するかしないかの判断がついていないのに、予算は空前絶後ともいえる「大盤振る舞い」である。
穿ったものの見方、という言い方はもうすでに何の意味も持たなくなっていて、流れた金の一部はきちんと政治屋の懐を潤すために還流することが、当然の如くになっている。
また、会計検査院の「無駄遣い」指摘についても、「見解の相違」ということで、その結末について報道はめったに聞かれなく、有耶無耶のうちに「噂話」になってしまい、75日も経たないうちに、さも「そんなことはなかった」かのごとくである。
総理大臣の言っていることは「清言」であるが、なぁーに、還流した金の一部は確実に回ってくるのだから、全く心配はいらないのだろう。
その証明のごとく、お隣の国ほどではないけれど、やめた途端に「悪事の露見」になってくるのが、今までの実例である。
まぁ、そうなっても「蛙の面に小便」ほどにも感じない人種なのだから、困ったものである。
尤も、いつも言うように、私のように「あの人には、あの党には、投票しなかった」と言っても、まったく意味のない発言でしかない。
こうなったら、生活必需品以外は、なるべく買わないことにして防衛するしかない。
そう言っていても、たぶん「のど元過ぎれば」ということになるのは、まったく自信をもって言える自分が辛い。
投稿者:つねちゃん
at 07 :54
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「完全」は完全な嘘
在職中、品質管理という部門に結構長くいたせいか、人には「性善説」、物には「性悪説」というのがモットーというか、一つの職業病だった。
「今度は完全に大丈夫です」という人には、「それだけで嘘だろう」と揶揄して簡単には受け付けなかった。
私の場合は、ソフトウェアの品質管理だったから、システムが大きくなるとともに、残念ながら必ず「不具合」があるのである。
それを「完全」という言葉で保証できるのは「神のみぞ」という気持ちが常にあったし、自分もそれをリリースする責任者になった時には
「少なくとも以前の不具合の原因は明白になったので、再発は起きないと自負しています」という程度にした。
最近「完全」という言葉を時々政治屋さんの口から出るのを聞いて、「また嘘をついている」と思うばかりである。
勿論、だからと言って「完全」を求めないという訳ではなく、それを言訳の材料にすることなどは思いもつかない。
リタイアして10数年の今でも「できる範囲で」というやわな前提ではあるが「完全」を求めているつもりである。
でも、今回や、以前にもあったような政治屋さんの、やっても見ないうちから「完全です」というような言い方は、いかに国際的なプレゼンの場であろうとも、とても恥ずかしくて居た堪れないと思うのだが。
尤も、残念ながら今の政治屋さんに「恥ずかしい」という気持ちを期待することが、魚市場で新鮮な野菜を求めるくらいに困難なことなのだろうなぁ。
でも、そんな人を選んだのも我々民なのだから、嗚呼。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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学識経験者と言う胡散臭い人間
今回の増税に関する「聞き取り」についてもそうだが、その大半が「学識経験者」という連中である。
どんな基準で選んでいるかは、まったく知らないけれど、現在の立場ばかりでなく、そうなった経歴を少しだけ調べると、結局「ひも付き」の連中ばかりであることがよくわかる。
だとすれば、その経緯と現在の立場から物を言うことになるのだが、それらの組織や団体は、何らかの関係で、政治屋とつながっている場合が多い。
そういう意味で、彼らは決して「庶民の声の代弁者」ではない。
自分や自分の組織、経歴上の組織などの紐の先しか考えていないのだから。
現在問題になっている原発の再稼働についての議論集団もそんな「紐付き学識経験者」で構成されている。
それを選ぶ集団が「我田引水」と「根回し」で走り回って、一部の反対派も入れての「猿芝居」であろう。
そんなことでは、いつまでたっても「庶民」の意見など反映されるものではなかろう。
確かに「一般庶民」の意見は「迎合」という意味での「紐付き」になるかもしれないが、それらの人を納得させてからがスタートではないだろうか。
現在の立場維持や、将来の天下り先の確保などという、「我田引水」を目指す集団がそんな連中を選ぶのだから、一般庶民は堪ったものではない。
尤も、そんな政治屋を選ぶのが、「一般庶民」としての「国民」なのだから、例によって「天唾」論議で、私の言うことなどは「蟷螂の斧」にもならないのだろうが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :21
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老人はお金を使わない、と言うけれど
この件は以前にも書いたような気がするけれど、いまだに納得がいかないから、再度書かせていただく。
さりとて、「怒り心頭」と言うほどのことではなく、相変わらず「のほほん、徒然」の気持ちは変わらない。
生前贈与、と言う意味ではないらしいけれど、老人はお金を溜めこむだけで使わないから、子供や孫の教育費としてどんどん使ってもらおう、と言う意味のようだ。
その為だったら税金面で優遇しますよ、と言うのだというが、全く意味が分からない。
確かに最近の私を振り返ってみると、何度かここでも紹介したが「購買欲」が一頃よりもずいぶんと減退している。
「買いたい」物が無いのである。
いやいや、「無い」のも確かにあるが「買ってどうする?」「本当に欲しいの?」と言う自問が湧いてくるのである。
ある友人に随分昔になるけれど「お金が有り余ったらどうしよう」と冗談で言うと、「私がすぐにいくらでも使ってあげる」と言うが、それで私が楽しいかと問えば多分そうではないし、昔何かのドラマで見たように「一日自分の為だけに100万円(額は明確に覚えていないが、ともかく当時でもかなりの額)使うのなら与えよう」と言う神様お告げがあり、それを受諾した男が、結局使えずにノイローゼから自殺してしまう」と言う「天国と地獄」物語を思い出す。
それほどのお金を持っている訳では毛頭ない(いやいやそれすらも夢のまた夢の世界である)が、老人が「買いたい」と思うものを売ってください。
もう新製品ではないけれど、老人に「スマホ」が売れますか?
家電製品だって、若者向きの機能ばかりで、略語ばかりでは使えません。
自分が良かれと思って作った路線に乗ればいいんだよ、と言うような論調では、老人のお金は回らないと思うのですが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :37
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選挙は「権利」ではなく「義務」にしてはどうか
確か小学校の高学年の時に習ったのではないかと思うが、国民の三大義務は「勤労」「納税」と「教育を受けさせる」であり、三大権利は「生存」「教育を受ける」と「参政」である、と習ったような記憶がある。
確かな所はもうほとんど消えかかっている記憶だから、もしかしたら違っているのかもしれない。
在職中組合活動をしている中で、市川房枝さんの講演を聞き、その後懇親会で僅かな時間だが懇談させていただいた。
上記の権利の中で「参政権」がいかに獲得するのが難しかったか、特に女性はなかなか認めもらえなかった、との話を聞いた。
それだけはしっかりと覚えており、以後一度だけを除いて棄権することはなかった。
先日の都議選ばかりではなく、如何に棄権する人が多いのかを毎度愕然とした思いで見ている。
この原因の多くは政治屋にあるのは明白だけれど、やはり「主権」である「民」にも少なからず責任があるだろ。
昨日の論理と同じになるが、ここは思い切って「参政」は「義務」にしてはどうだろうか。
勿論現在の政治屋は「寝ていてもらった方がいい」と言う輩が多いから、おいそれとはならないことは承知しているが、義務を果たさない人間は、どこの遊園地も立ち入り禁止だし、勿論会社でもそれなりのペナルティがある。
例えば税金もそれだけ高くなり、残念ながら上記のように「一度だけ」でも棄権したことがある私は除外されるが、「皆勤賞」の人は税が減免されるというのもありだろう。
そうでもしなければ、この国の政治はどうなるのか、心配で仕方がない。
と、斯様にごまめの歯ぎしりをするのであります。
投稿者:つねちゃん
at 08 :24
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役人の本音
このタイトルを思いついたのは、決して昨日今日の復興庁のお役人のツィッターからではない。
余りにもタイミングよく復興庁の馬鹿役人が登場したので、何だか気が引けるのだが、タイトルを前後しても影が薄くなるだけなので、予定通り書かせてもらうことにする。
余りにも詳らかにするのも気が引けるが「公社」と言う「半官半民」の会社にいて、当時はそんなに偉くなかったから、ある意味フランクに相当偉い方とも雀卓を囲んだこともあったし、そんな雀荘に出入りもしていた。
そんな時には、少しお酒も入るし、そんな会社の偉い人は、場合によっては「コッパ役人」と言う言葉が口をついて出てくることがある。
またその逆もあり「あの人に目を付けられると…」と言うこともある。
そんな会話から、良く知らない私は「何とも役人と言うのはしようのない者だ」とおぼろげ乍ら思っていた。
そんな役人の末はどうなるか、を考えたことがあるだろうか。
多くは天下り組織の長、過去の肩書だけがほしい団体の長、仕方がないから故郷の小さい首長等々がある。
どのみち「つぶしが効くほどの知識」を持ち合わせていないから、名前貸しでしかなく、問題が発生すれば「責任を取って辞任」と言うことで、ほとぼりが醒めたら(最近は醒めない内も多いが)また天下りで、何もしないのに高給が得られる。
大概の団体は、何がしかで国の補助金を得ているから、黙認はできないのだが、トチ狂った輩およびそれを祭り上げる企業団体などが持ち上げて「議員さん」になることには腹が立つ。
でも、いつも言うがそいつらを当選させるのは民であるのだから、「天唾」である。
そんな役人が吐く言葉は、常人とは違うけれど「本音」なのである。
「失言」ではなく本音なのだから、これは消しようが無いように民は覚えておくべきだろう。
そして、決して当選させないようにしなければ、いつまでたっても良くはならない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :08
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「入れ!」
私はゴルフはやらないけれど、この話を聞いて、納得するとともに大いに反省させられ、この話を聞いての在職中はそんなに長くはなかったけれど、なるべくそのように努めようと思った。
残念ながら、思っただけで、殆ど実行が伴わなかったのも事実である。
ご存じのない方も少しはいらっしゃるだろうから、本来の意味が伝わるかどうかは別にし、あらましをご紹介させていただく。
プロゴルファーのタイガーウッズが、最後の二人だけのマッチになった時、自分のことではなく、相手のボールに対して祈った言葉だと聞いた。
相手がベストコンディションの時に勝負して勝ったことこそが価のあることで、相手の不運に乗じて勝ったって価値が激減してしまうのだという。
トルコで反政府運動が激しくなっているとのことで、オリンピック誘致に真剣になっている方がは、口にこそ出さないけれど(出すとまた以前のことがぶり返すからだろうが)内心ほくそ笑んでいらっしゃるのではないだろうか。
なんともはや、と言う思いがする。
尤もこれは、オリンピックだけではなく、政治などの世界でも同様なことが言えるのではないか。
いつも言うが、そんな政治屋を選んだのは、私も含めた「民」なのだから、大いに反省しなければならないだろう。
また、時に忘れがちになるのは、そんな民を産み育てたのも私等の年代の現在の親世代なのである。
今から取り戻すのも難しいかも知れないけれど、せめて孫世代には、「昔の古臭い」と言われようが、道徳や躾(しつけ:この言葉と漢字が大好きである)を伝えてゆきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :39
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都知事の相手批判
このテーマは、現時点では「一応」火が消えたかのようになっているので、蒸し返すつもりはないから、あくまでも一般論である。
競争相手を批判するということは、どんな場合においても、自分に自身が無くなったりしかけている場合である。
在職中私もいろいろな批判の的にさらされた。
基本的には、今思っても「学閥」のなせる業だったのだろうか、個人的に攻撃することはないが、田舎の工業高校卒の人間が、企画投書で650億円のシステム提案をして、何度かのダメ出しはあったものの、了解され、一つの大掛かりなプロジェクトになったのだから、やっかみもわかる。
勿論、それまでには私のスタンドプレーもあったのだから、一概には根のない批判ばかりとは言えないと思うのだが。
今度の五輪誘致合戦の一環のつもりだつろうが、ライバル国を批判した。
小説家評論家か知らないけれど、結局は「口先だけの人気取り」なのだろう。
それがみっともないのは、当初「真意が伝わっていない」と言っていて、あくまでも自論が正しいと言っていたのに、その舌の根が乾かない間に、謝罪したことだったろうか。
自論が正しいというのであれば、それなりに頑張って、結果として論破されたら、素直に謝るというのならわかるが。
私はゴルフはやらないから、実体験としては分からないけれど、タイガーウッドが対戦相手のショットに対して「入れ!」と思うことだと聞いたことがある。
相手の弱みに付け込んで(今回の場合は、勝手な思い込みだったが)買ってみても本当の嬉しさはないだろう、ということは分かる。
政治ばかりではないけれど、政治屋さんにはせめてこの気持ちを持ち続けてほしいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :11
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国会議員は地方議員のなれの果てでは困る
地方でそれなりに業績を上げた議員を国会議員にしようとするコースが垣間見える。
立つスタンスが全く違うということを、議員はもとよりだが、応援する側がしっかりと認識することが必要だろう。
「オラが故郷(くに)さに良いこと」は「(日本)国として必ずしも良いこと」ではないからだ。
市議会を初めとして県政や国政に立候補される方の応援には参加しないようにしている。
それでも、こんな私に「ぜひ無色で中立な態度のあなたに参加してほしい」と言われて、リタイアしてから2度だけ参加したことがある。
また、応援ではないが、演説会にぜひと言われて参加したこともあるのだが、いずれにしても上記のことばかりが目や耳について嫌であり、ここ数年は、幸いにしてそんな機会もないからかもしれないが、出席していない。
ある意味で、県議会までの立候補者は「オラが故郷」に何らかの貢献をすべきだろうが、国政に立候補される方にだけはそんな期待をしてはいけないと思っている。
立派な意思をもって国政に立候補される方が、確かに応援団が多い自分の地域への貢献もあるだろうが、大所・高所に立って「日本国を立派にすることが、ひいては故郷にも良い影響となる」という信念で頑張ってほしい。
また、応援団も、近視眼的な期待よりも、「まずは国を立派にしてほしい」ことを最優先してほしいものである。
上記のように、何度かの少ない経験かも知れないが「誰のおかげでなれたと思っているのだ」という、恫喝や場合によっては脅迫的な言葉を吐く応援団がいる。
これでは、傀儡でしかなくなるのではないか。
国会議員さん、不正は許されないけれど、頑張ってください。
投稿者:つねちゃん
at 08 :56
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スタンドプレー
「政治ネタはやらない」と書いておきながら、「舌の根の乾かないうちに」この手の話題をするのは、正直かなり気が引けているのである。
だけど、これは「注文」というよりも「笑い飛ばし」という意味である。
北朝鮮の「戦争準備」の本音はわからないけれど、中国、ロシア、米国、韓国その他の外国をはじめとして、最後は日本だろうか、実際にはほとんど何も変わらないのに、口先だけのスタンドプレーに終始しているのではないだろうか。
私も在職中に、後輩から「あなたのやり方はスタンドプレーで私にはできない」と言われたことがある。
当時の私は、過去の話だから、自慢話になるけれど、まさに「孤軍奮闘」だったので、そういわれたからと言って怯んだり、矛先を鈍らせることはなく、結果としてそれなりの成果を上げた。
そうなると、その後輩も認めざるを得なくなったのだろうか、一切私のスタイルに苦情を言うことはなくなった。(少なくとも面と向かって言われることはなくなった)
しかしながら、諸外国はいざ知らず、我国の総理を初め政治家の方々のスタンドプレーは、見るに余りある、と思うのは私だけだろうか。
実際にやる気がないのに「やるぞやるぞ」と言ったり、「私はいつまでも気にかけています」を示すために「安全になった現地だけを訪問したり」、野党も野党で、今までできなかったことを「こうすべきだ」と言葉だけ元気に発言して失笑を買ったり。。。
なんとも「猿芝居」「田舎芝居」の体を示しているのは、全く噴飯ものである。
いやいや、そう言うと「猿」や「田舎」に対して失礼だと言いたくなるほどである。
こう言うと、いつも自分なりに浮かんでくる言葉がある。
「そんな議員を選んだのは、お前たちだろう」と。嗚呼。
投稿者:つねちゃん
at 10 :09
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TPPって、米国大統領が決めるの?
このテーマを思いついたのは、先月24日だったから、月も変わったこの日にどのようになっているか判らないけれど、我が国の首相も米国の大統領も何か勘違いされていないだろうか、と思えてしようがない。
TPPというのは、「参加団体の名前若しくは考え方の基本」だろう。
それが一つの国の元首の一言で変わってしまうものなのだろうか。
国連で「拒否権」というものを持っている国があることも、かねてからの大きな疑問だが、まさかそれと同等の権限を確かに大国かもしれないけれど、一国の大統領の意向で変わるものなのだろうか。
もしそうだとしたならば、いつまで経っても、すべての国が、その国の「占領国」とみなされしまうのではないか。
「P」の一つの意味は、「Partnership」だと聞いているが 、それならばすべての参加国の同意が必要だろう。
数人での飲み会の日にちや場所の設定でも苦労するのだから、簡単ではないと思うが、そのためにこそ「多数決の論理」と「少数派の意見の尊重」が求められるのではないだろうか。
日本も「米国の大統領が言ったのだから」という料簡で臨んだとき、「それはどんな権限なのか」と反論されては、まったく立つ瀬がないであろう。
そうなってから、アタフタしても仕様がないことくらいは、実務者は知っているのだろうから、総理大臣としては、そのことをしっかりと認識すべきではないだろうか。
坊ちゃん総理に、それを求めることこそ、八百屋で鮮魚を求めるほど、無理なことなのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :55
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がれき処分「絶対大丈夫」と言うなら
最近になっても、まだ原発事故でのがれきの処分場所が問題になっている。
また、政権が代わってから「原発は安全性を見極めて進められるものは進めよう」という風潮になってきて、またぞろ「安全だ」と言わしめるかのような言動が漂ってきている、と思うのは私だけだろうか。
建設のほうはさておき、推進派の方々は「がれき処分はいろいろな場所で、その無害性が証明されていて、絶対に安全だ」と仰っていらっしゃるようだ。
在職中の長い間、品質管理という分野の仕事に携わってきたが、その経験から言うと残念ながら、世の中に「絶対」ということはないと思っている。
繰り返しになるが、各地で議論を読んでいる「がれき処分」で、押し付ける側は「絶対に大丈夫」だと主張している。
ならば「隗より始めよ」で、自分の身の周りにまず処分すべきではないだろうか。
まずは出身地をはじめとして、自分の居住地の近くでの処分をやってもらいたい。
勿論そのためには、自分を応援してくれている(であろう)近隣の人の賛同が必要であろう。
「そんなことをしたら、次回の選挙には猛反発を買って当選できなくなる」というのであれば、結局「絶対ではない」ということの証明だろう。
人を説得するという意味では、沖縄の米軍基地につてもそうだが、自分の所だけには負担をかけたくない、という政治屋さんばかりである。
そういう意味では、評価の面こそ違うかもしれないが、地方の首長さんがいろいろと地元住民を説得して処分地を模索設定している姿には、一定の評価をしたい。
尤も、それでも反対の人は言うだろう「自分の家の庭に埋めろ」と。
それも反対ではないが、やっぱり「魁より始めよ」の精神を持っていただきたいと願うばかりである。
そういえば「魁」という政党があったのではなかったろうか。
今はそんなことを忘れてしまっているのか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :51
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実感を呼び起こさない首相発言
このタイトルを思いついたのが、少し前なので、現在の時勢とは少し時点が違っているが、何とか今のことも含めて書いていくことをご承知願います。
再登場でも「新」になってまだまだ3か月までは「ハネムーン月間」ということで、余り辛辣には言わないけれど、何だか「軽佻浮薄」の非現実論にしか聞こえないのは私だけだろうか。
アルジェリアの件について「軍事的解決以外になかったのか」、「テロと戦う意識を強くした」との発言がなされている。
今回の北朝鮮の核実験でも、形式論的な言葉ばかりが先行していて、具体的にやったことと言えば、国内の関係団体の偉い人の再入国禁止、ということだけである。(尤も、このことがどれだけ重いことなのかは全く知らないけれど、素人目には何の役にも立たないと思っているのは、私の無知のせいである)
面白いというよりまさに「噴飯もの」とはこのことかと思うのは、経済団体に対して「賃上げ要求」をしたことであろう。
巷間言われている「アベノミックス」のせいかどうかは判らないけれど、威勢の良い掛け声で確かに株価は復調しているが、果たして単純に「良いこと」なのだろうか、将来へのつけ回しでしかないことにどれだけの人が気が付いているのだろうか、と思うと、まったく心許ない。
確かに総論的には賛成できる面もあるが、「具体的にどうするの?」と問うても多分何の具体策も出ないのではないだろうか。
二世議員によく見られる「俺が言っているのだから、その通りにしろよ」という我儘がいつまで通るのだろうか。
かつての漫才家の議員さんではないけれど「些細なことでも一つ一つをコツコツと地道に」やっていってほしいと思うのは、やっぱり二世大臣には望むべくもないのか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :01
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マンガ総理の本音
かつての総理大臣だった人が、「平大臣」として復帰なさったが、本音は変わらないし、言うべき場所も、全く反省の色が見えないのは、やはり「何とかの七光り」でしかない「ぼんくら大臣」なのだろう。
「年寄りがさっさと死ねるような政治を」と言うような発言をかつてのマンガ総理がなさったことだ。
その後「あの部分は撤回します」とのことだが、何も撤回することはなかったのではないか。
「失言」ではなく「本音」だったのだろうから。
また、そんな人を選んだのが国民だったのだから。
なにも「カッコ付け」だけの発言ではなく、本音でなされるべきだろう。
人から指摘されたり、揶揄されたからと言って引っ込めるような発言「そんな発言『だけしか』できない」をする人を国民が選んだのだから、どんどん「本音」を言ってもらおうではないか。
でないと、かつて「総理大臣」になって非難された人の多くがそうだったように、そんな人を権力のトップに座らせたという国民の常識が治せなくなるだろう。
そのたびごとに「選挙だ、選挙だ」と賑やかに言って、税金をジャブジャブ使われたのでは、堪ったものではない。
そんな人には、どんどん今のうちに本音を言っていただいて、「私はこうなんです」と主張してもらったうえで、選挙に出ていただこうではないか。
当選してしまってから、「実は私の考え方はそうじゃないのです」と言われるより、よっぽどましだと思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :41
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橋下市長の茶番劇
過ぎる16日は「禁酒の日」だったそうだ。
起源は「米国での禁酒法」が制定された日だとか。
過去を振り返ってみると、これも大きな茶番劇だったのではないだろうか。
今回の大阪の高校の悲劇である。
体罰問題で市長が学校に乗り込み、説明したという。
生徒代表が、多分事前にいろんな人からアドバイスを受けて発言した(というか作られたセリフを喋らされた)という。
多分市長は、説明の最後に「どうか忌憚のない意見を言ってください」とでも言ったのだろう。
市長も学校も、教育委員会もぐるになって、生徒代表を抱き込んでの茶番劇としか見えない。
これで残るのは、在校生には運動での進学が絶望的になったこと、新入学を予定していた人や親たちにも同様な絶望感を与えたことだろう。
私だって具体的な意見はないけれど、もっといろいろな議論を重ねるべきではなかったろうか。
禁酒法の結果生まれたのは、アル・カポネを代表とする地下組織としてのギャング団だったろう。
権力で押さえつけられて、そのまま引っ込む様なことは、私の様にあまり歴史に詳しくない者でも、容易に推測できる。
政治家としては、もっと広範囲に時間をあまりかけずに熟考して、調整もして結論を出すべきだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :01
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最後の選挙ネタ
今回の選挙前についてのネタはこれで終わりにしたいと思っている。
今後この手のネタにするは、選挙後になるだろうが、米国の選挙のようにハネムーン期間として数か月は触れないで「お手並み拝見」としたい。
で、今回は、やっぱり「人の言うことは聞いてみよう」でしょうなぁ。
別に議論などしなくていいし、そんなことをしたら疲れてしまうから、僕はやらない。
ある党の人が来て「こんな課題がある」と話しかけられたので、「それはあなたの考えでしょう」とそっけなく答えてお引き取り戴いた。
自論で相手を説得しようと話しかけられたのだろうが、こちらには毛頭そんな気がないし、話しかける以上、それについていろいろと学習されているのだろうが、こちらとしてはまさに「寝耳に水」である。
だから、まともに応答しようとしても、勝ち目はないので、宮本武蔵の「五輪の書」ではないが、「戦わないのが負けないコツ」である。
でも、公党や演説会などでの話は、やはり素直な気持ちで、自分なりに「これについてはこう思う」という論点を幾つか持ち、そのうちの一つか二つについて学習しているだけの知識で疑問をぶつければいいのではないだろうか。
「あの人の」「あの党の」意見など聞く気になれない。
それもある意味当たっているだろう。
「以前にあんな嘘をついたから、眉唾で聞く気にならない」というのも、ある意味説得力のあるものであろう。
しかしながら、無視されたり、結果として「嘘」になったのだとしても、やはり自分が立候補しないのであれば、よく聞いて選ぶしかないのだから、自分なりに「よく聞いて」「判断して」投票すべきだろう。
だから「棄権した」は逃げているだけで何の解決にもならない、と思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :14
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