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2010 年05 月24 日

繕いもの

 足マッサージ器の足を包む部分の接着部分を家内の指導で繕った。
 以前にも繕ったのだが、その時は左足の内側部分で、今回は右足の外側部分であり、その繕い方が家内は「基本的には同じ」と言うが、私にとってはいずれも初めての経験であり、とても「同じ」とは思えない方法だった。
 それにしても、この器械は足の怪我が治ってしばらくして医師から勧められて購入したものだが、自発的に購入したものではなかったので、少し楽になると使わなくなってしまっていたものである。
 だから、購入後もう10年近くなるので、減価償却的には十分償却されているのだろうが、実際に使っているのはここ2年くらいだろうか。
 でも、殆ど毎日使っているので、そういう意味でも「十分に元は取った」と言う気分である。
 だから、新調しても良いようなものだが、改めて買うと矢張りリタイアした身にとっては高価なもので、費用対効果を考えると二の足が出ない。
 で、例によって「出来る範囲内で」繕って使うことになるのだが、前述の通り自分で繕ったものを使うと、何かしら愛着が湧いてくる。
 何でもそうだろうが、いまだにHAMを始めて最初に買った受信機(9R59)は受信感度こそ悪くなったものの、「完動品」であり、捨てるに捨てられない。
 思えばこれも、電源部の真空管を半導体に取り替えて繕い、高周波部分の真空管も、まだ当時は出張族だったので、東京へ行った時に秋葉原で買い求めたものである。
 元々手先が器用な方ではないのだが、それでも「繕う」事は「原理を知る」と言う楽しさがあり、その殆どは「繕うつもり」で「動かなくなった」のだが、それでも今はねじを巻いていないので動かないが、柱時計はねじさえ巻けばしっかり動作して、正時を告げる鐘が「ボーン、ボーン」としっかり鳴るのである。
 これは私が繕った少ない完動品である。

 最近の政治は何だか「取り繕っている」と言う風に思えてしまうのだが、しっかりと「繕って」一歩ずつでも良い方向に持って行って欲しいものである。
 もっとも、その政治家を選んでいる我々にも一端の責任は当然あるのだが。

投稿者:つねちゃん
at 07 :57| 健康 | コメント(0 )

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