2010 年05 月25 日
調べて知ることは愉しい
最近少し「凝り性」的になっていることに、「調べる」と言うことがある。もちろん何度も書いたが、生来の「時間貧乏性」なので、そんなに時間的なゆとりがある事はないのだが、そこが「凝り」と言うものの魔力だろうか。
いろんなものの「書き写し」を継続してやっていると、より一層拍車が掛かってきているようである。
「判ったつもり」でいたことが「待てよ」と言う気持ちで辞書を引いてみると、矢張り思っていたことと違っていたり、それ以外の意味があったり、またはその起源等が書かれていると、その項目も調べることになる。
まるで子供の「なぜなぜ問答」を辞書を相手にしているようなもので、「もう止めようよ」と思いながらも惹きつけられてしまっている自分を第三者的に微笑んで見ている自分がいるような気がして、それはそれで愉しい気分になるので、止められない一因であるようだ。
今でも持っている(と言うことはあまり使っていないと言うことの証明になるので、お恥ずかしい次第だが)が、高校生の時に買った「英英辞典」もその時に英語について興味を持ったことが発端だったろうか。
調べて、その時は「知った」ことになるのだが、翌日になると「そんなことがあったっけ」と言う具合に忘れてしまっているのが常であるところが凡人の凡人たる所以であろうか。
でも、面白いもので、ひょんなときに記憶がむしろ鮮明に蘇って、自分でも驚くことがあるから「病み付き」になってしまうのだろう。
そんなに高価なものでなくても良いが、ぜひ辞書を一冊「座右の銘」に加えてはいかが
だろうか。
そして、ポカンとした時間があったら、闇雲にページを開いてある言葉から辿ってみる
のも愉しいと思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :53| 学習
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