2010 年06 月02 日
使い切る心地良さ
「物を使う」と言うことは日常茶飯であるが、果たして「使い切っているか」と問われれば、どうだろうか心許ない。このテーマを考え付いたのは、もう2週間ほど前になるだろうか、「書き写し」をやっているときに、少なくなりつつあるのを承知しながらも「まだ使える」と思っていたボールペンのインクが完全に無くなってしまった。
いわゆる「使い切った」のである。
もちろんほかに何本もの「使いさし」のものがあるので困ることはなかったのだが、何だか「心地良かった」気分を味わった。
午後からネットで探したページの内容を印刷していると、ここでもシアンとマゼンタのインクが無くなってしまった。
これも「使い切った」のである。
これでダブルヘッダーでの「心地良さ」が味わえたのが、書く事の切っ掛けだった。
こんな風に思ってみれば、意外と殆どのものを「使い切っていない」事に気が付くのは私だけだろうか。
在職中の一時期、新しいボールペンを貰いに行くと「使い切ったものを出しなさい」と言う運動があり、殆どの場合は「紛失」が原因だったので、結局「自費で買う」事になったのを思い出す。
そんな一緒のトラウマからだろうが、この心地良さは最近のエコにも繋がるものだろう。
他の使い切には、ウィスキーの最後は水で濯いで一滴残さず使い切るし(これは酒飲みの論理)、根菜を初めとした野菜も、どうしても食べられないところは生ゴミ処理機を経由して堆肥として使いきっている。
何でも良いから、諸姉・諸兄もおやりになってみたらどうだろうか。
仄々とした心地良さが得られると思うのだが。
30日から昨日までの2泊3日の南九州旅行は、天気にも恵まれ楽しく過ごせました。
来週一杯はこのテーマにしたいと思っています。
投稿者:つねちゃん
at 09 :04| 健康
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