2010 年06 月03 日
能動と受動
凡人の常として、なんでも基本的に「自分中心に回っている」と思いがちである。そんなことの一つとして、「してやっている」と言うのがあるのに最近になって気が付いた。
このブログでもいつか書いたと思うが、仕事についても「家族のためにしてやっている」と言う気持ちが強くなり、その報いが無いと「こんなにしてやっているのに」と言う嘆きに変わってしまっている。
頑張る時も同じで、昔の歌に「お父ちゃんのためなら エンヤコーラ」と言うのがあった様に、子供のため、家族のため、果ては社会のため、世界のため等と途方も無く考え、さながら自分がやってることが全て「人のため」と言う感覚に陥ることがあるのは、決して私だけではなかろう。
しかしながら、逆に「してもらっている」ことを考えたことがあるだろうか。
仕事と言う戦場の第一線で頑張っている時には、多分中々考えが及ばないのだろうことは、私自身が骨身に沁みてそう思っていたから、良く理解できる。
だけれども、リタイアして「サンデー毎日」の生活を送っていると、「してもらっている」事に思いがはせ、基本的に「感謝しなければ」と言う気持ちになってくる。
人間は当然一人では生きていかれないのだろうし、また、そんなことは望むべくも無い。
だから、些細なことも「してもらっている」と言う感謝の気持ちで過ごせれば、殆どの事が「ハッピーな出来事」と言う事になるのではないだろうか。
もちろん聖人君子などではないので、悪いことを含めていろんなことをやる凡人だから、常時それを考えるのは無理だし、やりたくも無い。
だけれども、「させてもらっている」と言うほど遜(へりくだ)るつもりも無い。
気が付いた時や物にだけ、一瞬かもしれないが「感謝の気持ち」を思い起こせばそれで
いいと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :39| 日記
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