2010 年06 月08 日
南九州旅行記 その2
直接の南九州ではないのだが、伊丹空港は私にとって、非常に思い出深い空港である。本社勤務の時代に、四国への出張が必要になった。
勿論初めてではないのだが、元々飛行機嫌いの私だから、新幹線とフェリーを乗り継いでいくのが常だった。
ところが、その時は大卒の研修期間を終えた人間(A君としておく)(私は一級職になったばかりだが、彼は研修を終えたら一級職だったので、決して部下ではなかった:この時は実地研修と言うことで、私はその指導者という立場だった)と、新任の上司を伴っての出張だったので、私が先導すると言う立場だった。
その時には、多少自慢めくが、幾つかの地域システムを担当していて、技術的にも事務的にも多用だったので、切符の手配をA君に任せた。
買ってきた切符を受け取った時には「妙な袋に入っているな」とは思ったものの、別に気にも留めず漸く終業時近くになって、例によって「飲みに行くぞ」と言う時になってから漸く切符を改めると、見慣れない切符で、飛行機のものだったので、慌ててA君に聞くと、「先輩が飛行機嫌いというのは聞いていたけれど、適当な時間になかったので。帰りは電車にしておきました」と平然と言い放った。
よく考えるとの彼の出身校は九大で、一緒に行く上司は九州からの赴任だったので、飛行機には「普通に」乗る習慣だったのだろう。
で、初めて乗った飛行機の寄港地(これも松山への直通便がなく途中下車(飛行機だとどういうのか知らない))となったのが伊丹空港だった。
ともかく「窓から富士山を見ているうちに着くから」と言い、窓際の席を譲ってくれたものの、富士山もあっという間で、後は「怖い」と言う気持ちで一杯だった。
伊丹に着くと、さながら赤ん坊の如くしっかりと握った掌からははっきりと判るほどの湯気が上がっていた。
そんなことを思い出し、家内にも笑い話として話しながら、快晴でそろそろ暑くなりかけた大阪の地を飛び立った。
それを契機に四国ばかりではなく、北海道から九州、果ては米国出張と飛行機を使いまくったが、たぶん伊丹空港のことは良くも悪くもトラウマとして記憶から消えないだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :45| 旅行記
| コメント(0 )