旅行は大好きである
本日より、テーマを旅行とさせていただきますが、以前に書いたように、途中孫の夏休みと同様に25日から8月末日までは私も夏休みとさせていただくつもりです。
夏休みの間は、テーマとは別に、今までの「採用された投稿」を、そしてそれが無くなったら「没になった投稿」でつながせていただきます。
今日までの半年で、結構採用されているものですが、当然ヒット率は20%程度でしょうか。
話を本題に戻して「旅行」と言っても色々なものがあります。
身近なことから言えば「散歩」も立派な旅行だと思っています。
「なぁーんだ」とは決して言わないでください。
「今まで行っていない所」ばかりではなく「行った所でも同じ時期に行っていない所」では違った花が咲き、景色も少しずつ変わってきているものです。
歩くだけではなく、自転車、少し横着して電動自転車というものもあります。
次がバスでしょうか、そして電車(かつては汽車)、それも各駅停車、準急、快速、特急、新幹線などです。
そしてだんだん無くなりつつある「夜行列車」も楽しみでした。
そして飛行機を使っての国内ばかりではなく、海外旅行(出張報告で「旅行」と言ったら上司から叱られました)もありますよね。
自分が旅行しなくても、他人を旅行(出張)させた、という時期もありました。
ともかく、父が国鉄職員だったこともある意味影響しているのかもしれませんが、旅行が大好きな少年だったのです。
どうも夏休みを考えると、9月まで続いても終わらないかもしれませんから、うまくカテゴリーを整理して順次書かせていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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リピーター率が低い
先日、ある報道で「北陸は旅行者のリピーター率が低い」と出ていた。
正直「そうだろうなぁ」と思った。
その報道では「三県で『見どころ』を連結してリピート率を上げよう」と提案されていた。
私は「違う」と思う。
いろんな所へ行ってみて、いろんな店へ入ってみれば分かることだが、「おもてなし」の度合いが極端に違うことである。
ある店では「あなたは大切なお客様、ぜひ次の機会にもうちへ寄ってください」と一見の客だとわかっていても、そんな対応をするところがあると思えば、「どうせ一見の客なんだから」と出てくるものばかりでなく雰囲気でわかる店もあるのである。
最初にそんな店に入ってごらんなさい、「絶対に二度と来るもんか」ということになるでしょう。
ところが、殆どのところは「テナント商売」だから、だれも注意できないようであるし、あの店はそんな店ねと「触らぬ神に祟りなし」という状態である。
概して、そんな店は、宣伝だけが際立ってうまいのだから、お金もかかっているのだろうが、「高かろう、悪かろう」である。
それを共同体としてレベル上げを行えば、そしてそれが連結されれば、リピーター率は嫌でも上がろうというもののはずだが。
どことは言わぬが、「○○の通った後には、ペンペン草も生えぬ」といわれるところがある。
「旅の恥は掻き捨て」とは、旅行者がする愚行のことだが、それを一過性の商人がやっているのだとすれば、リピーター率は上がるはずがない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :13
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「聞く耳持たないサイト」は自滅する
先日、苦い経験をした。
特定するのは、個店攻撃になるので、なるべく特定できないような表現を心掛けて話を進めるが、ある道の駅に入って、その店、いやいやその地区の特産物をフィーチャーした食物が出ていたので、食べることにした。
土曜日のことで、かなりの繁盛ぶりで、座る席を探すのも大変なくらいだった。
番号を呼ばれて取りに行く(最近こんな店が多くなっている)と、確かにそれらしき麺が入っていて、横にはあまり見かけない調味料が小さな皿に盛られていた。
「これでいいんですね」と確認すると「ハイ何番の方ですね」と渡された。
でも、普通の麺類ならば、こちらのほうでは、厚いか薄いかは別にして、蒲鉾が入っており、ネギも当然のように入っているのだが、それも無い。
立て込んでいるようだったので、声をかけるのも気が引けて、そのまま食べた。
出るときになって、食券販売機の横にある写真を見ると、間違いなく蒲鉾と葱と、フィーチャーしたい野菜が乗っている。
混雑している店で言っても迷惑だろうからと、ネットのサイトで苦情ではなく、「こんなことがありましたよ」と改善を求めようとした。
ところが、間違いなくサイトはあるのだが、「お客様の意見」というところがどう探してもない。
いわゆる「聞く耳を持たない」という代物である。
これでは、「役人商売」と言われても仕方がなかろう。
あと何年も持たないばかりではなく、それが契機になって「あの地区は」という烙印を押されて、ほとんどの店がそのようにみられるのではないだろうか。
そして、結局「みなこけた」という様相を呈するのではないか。
自ら自滅の道を突き進んでいるように思えた。
もちろん今後あの道の駅、いやいや、あの店ではものを食べないようにと誓った。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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新潟旅行 その4
利き酒会場での興奮も適度な酔いと、美味しかったお酒の話はもちろん、今年は少しおつまみの販売場所に工夫があり、各々美味しかったつまみの話でも楽しんで、ホテルに戻り、夕食までに少し時間があったので、しばしの休息を微睡み乍ら過ごす。
これもまた結構な時間の過ごし方である。
家にいて、どこかの飲み会に行くと、それなりの量を飲んでしまい、帰宅するまでは何とか正気でいるものの、部屋に入ると「パタン・キュー」が常である私にとっては、この「微睡み(まどろみ)」というのが堪えられない位良い気分である。
6時半から夕食に出かけるということで、今日は娘の旦那さんの誕生日でもあるので、最初の予定では「焼肉屋」となっていたのだが、変更になり、気の張らない居酒屋になったようである。
そこでも私は、地酒を頼んで、地元産らしいつまみなどでお祝いをしてにぎやかに談笑した。
何とも幸せな時を過ごせたことに、大いに感謝である。
翌日は、途中まではまた旦那の運転で、昨年も立ち寄った道の駅で、お土産などを買い、孫の希望で、親不知海岸で真っ青な日本海の空気を吸い込んで、翡翠海岸との別名もあるので、それなりに眺めながらひと時を楽しんだ。
もちろん、素人の私に見つかるものではない。
帰宅後の我が家での夕食は、途中で買った少し豪勢な寿司折で、買ってきた日本酒を利き酒ではなく、もらったお猪口になみなみと注いで数種類を楽しむ。
なんとも楽しく豪勢で、美味しい新潟旅行であった。
その後調べると、地元富山でも「利き酒会」があると知り、また、隣県の金沢でも、今年の秋に新潟を見習っての会があることも知った。
でも、「泊まる」のではなく、帰らなければならない、ということがなんとも億劫になってしまう。
でも、富山は日程的に無理なのだが、金沢の場合、その時になって連れ立ってゆける人がいれば、行く気になるかもしれない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :23
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新潟旅行 その3
さて、いよいよ会場の「朱鷺メッセ」へ到着である。
昨年と同じ場所だったので、少しは勝手が分かっていて、昨年よりも1時間ほど早く着いたこともあり、長蛇の列は変わらないものの、それでも晴れている分だけ気が楽だった。
入り口でリストバンドをしてもらって、まずはお酒とは関係ない孫たちの「居場所」を確保する。孫たちはそこで思う存分、ゲームで楽しんでくれている。
その間に大人4人は、各自各々の好みの酒蔵の利き酒をして歩く。
従って、他の大人はどんなふうに回っているか分からない。
私は、まずは一つのキーワードを決めた。
会場で2−3の蔵は「燗酒」をやっていたが、ほとんどは「冷酒」であることから、「冷で飲んでおいしいお酒は」というものだった。
所によっては「冷でも燗でも美味しいですよ」というところもあったが、残念ながら私の口には合わなかったので、銘柄も覚えていない。
しかしながら、さすがに蔵のことをよく知っている人が直接薦めているので、必ずしも「大吟醸」ばかりを薦めるのではなく、「うちはこの『純米』が冷で一番お薦めです」という言葉も聞かれたのが頼もしく、もちろん4合瓶だけれど買い求めた。
また、お猪口を差し出している男性や女性にも下馬評かもしれないが、話を聞き、それを参考にして、二度ほど同じ酒をお願いしたこともあった。
一度に注がれる量は、帰宅後に計ってみると、たぶん10ml位だったのだろう。
昨年は気が付かなかっただけなのかもしれないが、所々に水道栓が用意してあり、どうしても口に合わないものを飲んだときは、そこでお猪口を洗って次に進んだりもした。
やはり、この水道栓は不可欠であろう。
孫の所に二度帰って、結果として3度に亘って大体好みと思われるものを飲んだ。
数は昨年は多分100くらいだったろうが、今年は、上記のようにいろいろ話を聞きながらということもあり、そこまではいかなかったろう。
それでも、90としても900mlだから、約5合飲んだことになる。
足を中心体を動かし、口も動かし、しながらだったせいか、昨年ほど「酔った」気分ではなかったが、話が「肴」になったこともあり、十分に楽しめた。
娘とその旦那および家内と孫にも大いに感謝である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :34
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新潟旅行 その2
助手席に乗せてもらって、思う存分に窓外の景色を楽しむことができた。
家内と二人連れの旅行だった今までは運転手だったので、満足に窓外を楽しむゆとりは残念ながら皆無と言っていいほどだった。
別にそれに対して「恨み節」を言うつもりは全くないのだが、矢張りその「落差(楽さ)」は感じてみるほどに楽しいものだった。
ところで、久しぶりに高速をそのような状況で走ったので、ふと気が付いたことがある。
今まで(たぶん)見たことがなかった路面の標識である。
目玉のような模様が、所々だが、3対ほど並んでいるのである。
運転のプロである、娘の旦那に聞いても、よく知らないという。
帰宅後、ネットで調べても調べ方が悪いのか、ヒットしない。
こうなると、事後の楽しみがまた一つ増えたようで、楽しみが倍加するような気持である。
何につけても、「楽しみの発見」いやいや「疑問の解消によるスッキリ感」は面白い。
本などによる「静止」から得られるもの、今回のような「動的なもの」から得られるもの
いずれにしてもなんとも楽しいではないか。
よく言われる、牛の反芻のように、同じことを見聞きしても、それをより一層自分の中で繰り返して楽しめる自分は、ナント幸せなことだろうか。
そんな事を感じながら、これからも、毎日を感謝で過ごしていきたいものである。
なかなか酒の話題にたどり着かないなぁ。( ^)o(^ )
投稿者:つねちゃん
at 06 :37
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島根旅行(2)
同窓会は、夫婦同伴(私もそうだった)組みが、今までよりも多い10組で多いに盛り上がった。
全体では4組みあったのだが、2組合同での会である。
残念ながら、私のクラスの担任教官は既に故人だが、もう一組の担任教官は78歳で、まだ現役だとのことである。
この前に金沢での会のときも参加いただき、今回も直前まで参加の予定だったが、残念ながらどうしても外せない事情があっての欠席だった。
メッセージが届いていて、幹事が読み上げて紹介されたが、先生の日頃を髣髴とさせる思いが込められていて、大いに感心した。
各地域毎に、各自の近況報告がなされ、ボランティア活動、農業従事、趣味の世界、ゴルフやテニスの継続活動などなど、糖尿などの心配は各々持ちながらも、ここに出てくるのは精神的健康の証とばかり、自慢げに満足しての紹介だった。
一次会もそろそろ酣(たけなわ)で、次回開催場所は信越と言うことに決まり、次回の世話役などの紹介になったが、在信越者は僅か1名だけで、それ以外の4名は在関東だった。 しかしながら、元々はみんな通信屋だったのだから、通信は距離を克服する、と言うことで、協力して取り組むとの意気が示されたのは、何とも心強い。
その次は卒後50年、ということが提案された。
後8年後であるが、私の年代が一番若いのだが、それにしても古稀を完全に超えた年齢である。
果たして参加できるのか、という疑問はあるが、精神的健康は勿論だが、メタボながらも肉体的には参加できるだけの健康を維持したいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :49
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島根旅行(1)
在職中の研修所で2年間「同じ釜の飯を食って」過ごした同窓会が島根の玉造温泉で行われ、家内共々参加した。
久し振りの「電車利用」の旅行だったが、随分と変わったものだと驚いた。
一つは「全車両禁煙」だったことである。
嫌煙もここまで来たか、と言う感じだった。
在職中はヘビーではなかったと思うが、ほぼ1日に1箱の愛煙家だったし、出張がかなり多かったので、当然電車内でも喫煙していた。
そのうち、少しの持ち出しでグリーン車に乗れることがわかり、初めのうちはグリーン車だけは禁煙だったが、そのうちに喫煙できるグリーン車が現れたので、広々とした席でパソコンと向かい合いながらだけれども、喫煙しながら仕事が出来た。
禁煙の時でも、デッキには灰皿も備えてあったので、そこで吸う事が出来たので「全車両」という訳ではなかった。
喫煙の習慣を止めてもう10年以上になるが、愛煙家の気持ちは判らぬでもない。
なんだか可哀相な思いである。
それともう一つ、驚いたのは、これも在職中E電(まさに死語だろうが、現在はどう読んでいるのだろうか、よく知らないが「国電」のことを一時期こう読んでいた)で試験採用されたけれど、結局ボツになったと聞いている「女性専用車両」に準じたのか、「女性専用席」と言う物が設置されていた。
女性専用車両は今あるかどうか知らないが、痴漢防止対策だったという噂を聞いていて、納得したのだが、専用席は何が目的なのだろうか。
席の数としては8席だけなのだが、その目的と効果はどうなのだろうか。
いずれにしても、「時代が変わりつつある」ということは、行動範囲を広くして経験しないと判らない、ということが判ったのも楽しいことだった。
投稿者:つねちゃん
at 06 :20
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見頃
ここ数年友人の案内で「蛍狩り」をさせてもらっている。
適当な時期に事前に見回ってくれて、彼の都合のいい日取りで、中学時代の同級生が孫などを連れての楽しいひと時である。
今年も、前夜から朝方に掛けて雨が降っていたのだが、午後から晴れて風も然程強くなく、適当な時節であると誰もが思っていた。
毎年のように、2箇所を案内してくれて、わが孫たちは最初は手で捕まえていたが、そのうちに向こうのほうから体に停まってくれたのを充分に楽しんだ。
惜しむらくは、期待よりも気温が下がったせいで、昨年と比べるとやはり少し少なかったようだった。
蛍の時期は、見頃の条件があり、中々難しい。
何しろ相手は気候と言うことと、生き物ということで、全くの自然現象なのである。
蛍もそうだが、「見頃」と言う意味で思い出すのは、桜である。
在職中の全国の主要地に仕事で出かけたので、結構あちらこちらの桜を見物する機会があった。
また、リタイアしてからも、主要地以外を訪ねた事もあって、それぞれ見物して楽しんだのだが、「どこの桜が一番お薦めですか」と聞かれても、答えない事にしている。
なぜなら、蛍と同様に「条件が整えば」綺麗なのだが、そうでな時は「なぁーんだ」と言うことになるからである。
勿論私たちだって「悪い条件下」でそう思ったのだから、仕方が無いのだが、人にも同じような経験はして欲しくないのである。
徒然草の中に「雨の景色も良いものだ」とあるが、確かに風情はあるだろうが、やはり晴れていた方が一般的には良い。
角館の武家屋敷の枝垂桜は、季節も最高で、ちらちらと花びらが散る風情はなんとも堪らなく良かった。
でも、別の機会に同じ所を同じような時期に歩いたけれど。。。
見頃を人に紹介するのは難しいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :35
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LCCに期待
一時期は「飛行機は大嫌いッ」だったので、東京への出張は殆ど電車利用だった。
これは、父が「国鉄職員」だったことも無関係ではなかろう。
兎も角「電車好き」だった子供時代である。
勿論当時は「飛行機利用」と言うのは余程のことが無い限り無かったのでもあるが。
最初に飛行機に乗ったのは、松山空港の事故がまだ記憶に残っていた頃の四国出張だった。それまで何度か松山までは行っていたので、その時は上司と目下の人間(仮にA君としておく:それから数年後には私の上司になったのであるが)とで、私は別のお客様の相手もあったので「引継ぎ」も兼ねていた。
気軽に、A君に「切符を手配しておいてくれ」と頼んだのが切っ掛けだった。
出先から戻るとデスクの上に見慣れないものが置いてあり、行きは飛行機の切符で、帰りが電車の切符だった。
A君はすでに帰ってしまっていたので翌日「何だこれは、俺が飛行機嫌いだといつも言っていただろう」と詰問したが、相手との会合時間などを考えると仕方なかったのだという。
彼にしてみれば、せめて帰りは私の嫌いな飛行機を避けることでの配慮だったのだろう。
話を本来に戻して、最近LCC(Low Cost Carrier)の台頭が華々しい。
遠くへ行く時にはやはり時間貧乏性としては飛行機が欠かせなくなっている。
でも、どうしても「高価な乗り物」で中々難しかったのだが、これが国内をどんどん飛んでくれれば、当然使うことになるだろう。
のんびり駅弁でもつつきながら「何処までですか?」などの会話も楽しみながらする「電車旅行」も楽しいが、目的地が明確になっている遠くへはぜひとも使いたいものである。
そろそろ自家用車での遠路旅行は「行くだけで疲れる」から、現地でのレンタカーを利用する方法が適切になってくる。
まだ「行ける」ことに感謝しながら旅を続けたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :24
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写真は「パノラマ」で楽しむ
昔から「カメラ」と言うものに対しては、殆ど興味が無かった。
いや、むしろ「毛嫌い」の状況だったと言ったほうが正しいのかもしれない。
その負け惜しみの理由と言うのが「こんな素晴らしい景色(や情景)は記憶に正しく留めておいたほうがよっぽど良い」と言うものだった。
実は、どんなに上手く撮ったつもりでも、後で見るとなんだか「何を撮ったの」と自問しても判らないくらいの物が殆どだからである。
そのくせ、科学好きという訳でもないが、ピンホールカメラなどには人一倍早く興味を持ち自分ながらに研究(?)したものだった。
デジタルカメラも何台目かになった時に「パノラマ映像が撮れる」と言うキャッチに捕らわれた。
そうだ、今まで自分が撮った写真はこの分が足りなかったので、「何だか判らない」物ばかりだったのではないかと、早速に買い求めた。
私のWebPageにも使っているが、下手な写真も「パノラマ化」してみれば、そこそこ様になっているのではないかと一人ごちている。
それから旅行に出た時の写真は極力パノラマ的に撮るようにしている。
そんな折、昔のアルバムを整理していると、富士五湖巡りをした時に、数枚であの素晴らしい富士山の姿を撮り、アルバム一杯に重ね合わせたものを発見した。
時代は昭和45年である。
今このバラバラ写真の貼り合わせを見ても、なんとあの時の情景がすぐ様に浮かんでくる。
写真技術自体はまだまだ未熟だが、小さな花を一輪だけクローズアップする事の楽しみも覚えたが、やっぱり「写真はパノラマですねぇー」(淀川長治調で)。
これからも下手な写真でも、より良く見せることができる機能は使い続けたい。
最近はどんなカメラで撮っても「張り合わせ」と言う事がPCでできるので、一度おやりになってみては如何だろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :10
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南九州旅行記 その5(最終)
焼酎の試飲販売と篤姫のドラマでも登場したと言う「自顕流」の演舞、龍馬も新婚旅行で訪れたという霧島温泉、天孫降臨説の霧島神宮、甕壷畑の黒酢本舗での試飲、仙厳園からの雄大な桜島、薩摩半島最南端の長崎鼻から見る東シナ海と開聞岳、今回は使わなかったが、砂蒸しで有名な指宿温泉など、試飲、試食、お土産品の購入などで愉しい、結婚40周年目の南九州の旅も最終日になった。
帰路に着く前に立ち寄ったのが「知覧」である。
以前の鹿児島観光では訪れなかったのだが、その時にも聞いた「知覧特攻隊」の物語は、戦後生まれの私だけど、どうしても涙がこみ上げてくるものだった。
ガイドさんは19歳だと聞き、びっくりしていたのだが、その彼女が本当に切実に語ってくれた事が、堪えようとしても中々抑えられない涙腺を盛んに刺激してくれた。
今の私にどれだけの力も無い事は十分承知しているが、それで「二度と再び」繰り返してはならないことを刻み込んでくれるに十分なものだった。
それを予想していたので「特攻平和会館」のコースを選ばず、武家屋敷散策コースを選び、狭いながらも枯山水で設えられた「九山八海」や「釈迦如来」のような感じがした庭を勝手な想像で愉しんだりした。
最終コースで、今回の添乗員さんも22歳と言う若さだと言う事に、一同びっくりしながら、楽しい旅を締めくくり、まだ孫が寝ていない時間に無事帰りつき、孫にもお土産を愉しんでもらい、、幸せ一杯の記念日旅行になった事に感謝した。
勝手なもので、一夜明ければ、次はどこへ行こうか、との思いが湧いてくる。
元気でいける楽しみがあれば、時には家内としては初めての海外も訪ねてみたいものだと、話しかけると「もうすでにパスポートの期間は過ぎてしまった」とのこと。
でも、まだまだ夢が見られるだけ元気だと言うことであると、お互いに笑いあった。
追記をみる
投稿者:つねちゃん
at 09 :46
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南九州旅行記 その3
さて、愉しく想い出のあった飛行機の行程もひとまず終わり、出発地の砺波とは大違いの、快晴の鹿児島空港に到着する。
流石に南国であり、着ていたブレザーをしまいこんで半袖の南国スタイルにして、帽子は昨年沖縄へ行った時に急遽現地で買った結構派手なものである。(もっとも帽子は家を出る時から用意していたのだが、流石にこの時期北陸地方でかぶるものではなかったので、持参していただけだった)
まず最初に訪れたのが、空港から直ぐ近くの焼酎工場である。
今までの自家用車での旅行時には、運転手が私ひとりなので、試飲はもっぱら家内だけだったのだが、今回は運転の必要が全くないので、勧められるままに手当たり次第飲んで各々の味を愉しんだ。
行程の最初なので手荷物になるお土産には手が出ないのだが、それは向こうも商売で、ある程度買うと送料が格安になるということで、結局我家用として1升瓶を2本と、4合瓶相当のものを息子用にと買い求め、送って貰ったのだが、最初から大きな出費になった。
余談だが、先日発表された常用漢字から「匁」が消えた。「使われなくなったから」と言うのが理由らしいが、「升」や「合」もそのうちに消えてしまうのだろうか、呑み助にとってはやはり気になる。
本題に戻って、しかしながら、このジャッジは殆ど家内の判断なので、文句を言われるものではないのが、妙に心地良かった。
それはそれとして、表題の通り矢張り生産地と言う現地で飲むものは良い。
最初に飲んだ焼酎は伊豆大島産のものだったが、その時には焼酎よりもつまみになった「クサヤ」の思い出と味が深く残っており、焼酎の想い出は殆どなかった。
味が判って飲んだ焼酎としては、昨日話題にした「九州からの上司」が持参されたものだったが、銘柄は今ではもっともポピュラーではないかと思う「白波」だったが、最初は「臭い」と言う気持ちで殆ど飲めなかったという記憶がある。
それに慣れた頃には、販路拡張のせいか、臭いがかなり薄くなり、正直飲めたものではなくなったという経験がある。
食べ物や飲み物は矢張り現地でその時期に飲むのがやっぱり美味いのは、焼酎に限った事ではない様だ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :11
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南九州旅行記 その2
直接の南九州ではないのだが、伊丹空港は私にとって、非常に思い出深い空港である。
本社勤務の時代に、四国への出張が必要になった。
勿論初めてではないのだが、元々飛行機嫌いの私だから、新幹線とフェリーを乗り継いでいくのが常だった。
ところが、その時は大卒の研修期間を終えた人間(A君としておく)(私は一級職になったばかりだが、彼は研修を終えたら一級職だったので、決して部下ではなかった:この時は実地研修と言うことで、私はその指導者という立場だった)と、新任の上司を伴っての出張だったので、私が先導すると言う立場だった。
その時には、多少自慢めくが、幾つかの地域システムを担当していて、技術的にも事務的にも多用だったので、切符の手配をA君に任せた。
買ってきた切符を受け取った時には「妙な袋に入っているな」とは思ったものの、別に気にも留めず漸く終業時近くになって、例によって「飲みに行くぞ」と言う時になってから漸く切符を改めると、見慣れない切符で、飛行機のものだったので、慌ててA君に聞くと、「先輩が飛行機嫌いというのは聞いていたけれど、適当な時間になかったので。帰りは電車にしておきました」と平然と言い放った。
よく考えるとの彼の出身校は九大で、一緒に行く上司は九州からの赴任だったので、飛行機には「普通に」乗る習慣だったのだろう。
で、初めて乗った飛行機の寄港地(これも松山への直通便がなく途中下車(飛行機だとどういうのか知らない))となったのが伊丹空港だった。
ともかく「窓から富士山を見ているうちに着くから」と言い、窓際の席を譲ってくれたものの、富士山もあっという間で、後は「怖い」と言う気持ちで一杯だった。
伊丹に着くと、さながら赤ん坊の如くしっかりと握った掌からははっきりと判るほどの湯気が上がっていた。
そんなことを思い出し、家内にも笑い話として話しながら、快晴でそろそろ暑くなりかけた大阪の地を飛び立った。
それを契機に四国ばかりではなく、北海道から九州、果ては米国出張と飛行機を使いまくったが、たぶん伊丹空港のことは良くも悪くもトラウマとして記憶から消えないだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :45
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南九州旅行記 その1
早朝5時過ぎにバス乗車場所へ向けて出発。
着替えなども前の日から鞄に詰め込み、これも前日に用意したお寿司を持参して、家族への挨拶も「早すぎるからしないで行く」事に前日から了承を得て、出発。
ナビの効果もあり(いつも近くまでは行くのだけれど、駐車場に停めたことは2年ぶりなので、念には念を入れて持参した)、予定の15分前くらいに到着する。
いつもより1時間くらい早い朝食になったが、どうも移動中の食事と言うのは、こなれが悪いので、お茶と一緒に美味しく車の中で食べる事が出来た。
そうこうしている内に、幾つかのコースの乗車場所が同じらしく、一見して「旅行へ行く人」と言う姿の人が何人か集まってこられる。
私らと一緒のコースの人は夫婦2組で、私らと合わせて6人となったが、前回は到着時刻の10分ほど前に到着したバスが、今回は10分ほど遅れて到着した。
暑い所へ行くので、かなりの軽装にしていたが、生憎気温が低く、小雨が風に乗ってくるので、寒いこともあって、どうしてもバスに対する文句が先に立ってしまうのは無理もなかったろう。
座席は助手席側の先頭であり、見晴らしが良いのは快適だった。
最少催行人数が20名と聞いていたが、金沢までのバス乗車人数は19名だった。
それに、伊丹空港から乗る人を合わせて総勢27名の小団体旅行になった。
この時期は旅行者が少ないのか、それとも我々の行き先を目指す人が少ないのか判らないが、今までも2度「催行せず」と言われて、急遽旅程を変更した事があったが、今回はどうにか乗る事が出来たのは幸先良しとしよう。
JALの経営状況の悪化が顕在化して初めてのフライトだったと言う気持ちがあったせいか、心なしか、JALの飛行機の音が今までよりもうるさいような気がした。
おまけに、機内誌がかなりくたびれていたが、これは帰りの便で思い過ごしだった事にほっと安心した。
飛行機の席も窓際が取れたので、大分慣れた家内が窓外の景色を十分愉しんだようで、それもわが事のように嬉しかった。
投稿者:つねちゃん
at 09 :20
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