2010 年07 月09 日
鏡字
小一の孫からも、年中組の孫からも結構頻繁に「お手紙」を貰うこの頃である。字を書く事が楽しくて仕様が無いのだろう、何事につけてお手紙を貰うのが、こちらも嬉しい限りである。
それはそれで間違いないのだが、少しばかり困る事がある。
咄嗟には「判読不明」なのである。
タイトルの言葉をお孫さんをお持ちの方ならご理解いただけるだろうし、ダヴィンチの書だかを研究されていた方も理解できるだろうが、最初はなんと言う文字が書いてあるのか、半分以上が理解できなかった。
それに加えて、最初はどうにか順に書いてあるのだが、スペースが無くなってくると、「空いていそうな場所」に文字が件の書かれるのである。
そうなると江戸時代の判じ江よりも難しい。
そんな訳だから、当然意味など理解できるはずもない。
で、兎も角「ありがとう」と言って受け取るのだが、在職中もよく言っていたことを孫にも言っている。
言いたいことは大きな声で人に聞こえるように言いなさい、と。
で、「なんて書いたか読んで」と言われて困ってしまうのである。
しどろもどろになりながら読み、判らないところは尋ねるのだが、書いた本人は文字の場所を探しながら「ほらこう書いてあるでしょう」と自慢げに言う。
「ヘぇー、そうなんだぁ」と感心しながら読むのだが、こんな時間を持ってやれるだけのゆとりが自分の子供の頃には無かったなぁー、と反省すること頻りである。
子育てよりも孫育てに楽しいこの頃である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45| 子育て
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