2010 年07 月16 日
「自分はこう見る」のだが
在職中は、色々な議論をする時に「この意見に従え」という雰囲気を漂わせていた。それだけ自分の意見に固執していたし、それが曲げられるということはすなわち「負け」を意味すると思っていた。
勿論確かに多くの負けを経験したが、ディベートは「勝って当たり前」という気持ちだった。
相変わらず余談になるが、ディベートで「勝たなくても惨敗をしないコツ」と言うものがある。
簡単なことなのだが、案外出来ていないので、そんな相手であれば、かなりこちらの有利に持ち込める。
何も難しいことは無い。
相手が主張している時に話し手の顔(主に眼)をしっかりと見つめ、納得できる(勝負の争点でないところ)にははっきりと頷く事である。
決して、相手の論理に対抗できる論理を自分の資料中から探すなどをしないことである。
で、話を元に戻して、リタイア後は、表題のように「貴方はこう言うが、それはそれとして」というのを前につけるようにしている。
と言うのは、矢張り「勝負」の世界から身を引いているというか、勝敗にこだわらなくても良くなったと言う負担からの解放の所為だろうか。
でも、相手の意見を一通り反論せずに聞いてから、表題の言葉で自分の意見を言い出すと、最初の内は相手も話の腰を折るような態度を示すかもしれないが、そのうちにしっかりとこちらの主張も聞いてくれるようになる。
自分が参加している色々な団体で、このような議論があると、何故か私に発言を求められるのもこんな癖が皆に知られるようになっているからではないだろうか。
そこには決して「勝負」と言う感覚は無く「何とか良くして行こう」と言う雰囲気が醸し出される、と思っている。
政治の世界もこうなって欲しいと思うのは、乾物屋で刺身を望むようなものだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44| 日記
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