2010 年09 月13 日
出来ないから夢がある
先日同じ年代の人と飲みながら話していたら、「もう夢なんて無いよ」という話題が出た。その時は「そうだ、そうだ」と一旦は同調したのだが、少し話しているうちに「イヤイヤ、やっぱりそんなことは無い」と反対意見を述べる事になった。
これは何も私が特別だった訳ではなく、その話題の後に「そういえば地デジ対応のTVも買わなければならないし」ということで、「欲しいもの」が話題になったからである。
また、「今更だけどあんな事もやって見たいなぁ」ということも出た。
夢には「今出来ないけれど、できたらいいなぁ」というのも入るのではないだろうか。
だとすれば「欲しいけど色々な事情で手に入らない」というのも入るのだろう。
何も「竜馬ブーム」ではないけれど、天下国家を揺るがすほどの夢でなくてもこんな些細な事でも夢と思えば、毎日が夢満載であろう。
「出来な(た)い」「欲しい」、「成りたい」etc etc 何でも「今そうじゃない」と言う事が夢と考えれば良いのではないか。
そんなことを考えながら、思い出すと、在職中「理想解と現実」という議論を良くした。
話題は主に、「生産性と品質」というのが中心だったのは仕様が無いが、思い描く理想と現実との乖離について、どのようにしてその溝を埋めのか、というものである。
リタイアした今、そんな固いことを考えるのではなく、他人から見れば「何だそんな詰まらない事」になるかも知れないが、それでも良いのではないか。
飲んだ席でのことゆえ、男女ともに「今更エッチなことなど考えたくも無い」というのも話題になったが、果たしてそうだろうか。
福沢諭吉の母上の事を持ち出すまでも無く、凡人はそれ以上に「死ぬまで」男と女でありたいと思うのが本音ではなかろうか。
これ以上続けるのトコトン迄落ちそうなので、これで止めて置こう。 (^。^)
投稿者:つねちゃん
at 08 :58| 健康
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