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2010 年10 月04 日

弔問外交

 突然の電話で(尤もこんな件は大体が突然のものだが)、親戚の不幸が知らされた。
 代は一世代新しくはなっているのだが、それでも「本家筋」に当るのと、喪主さんとは別の意味でのつながりがあったので、兎も角「何かお手伝いが出来れば」と言う思いで参列した。
 故人のお顔は、まだ子供だった頃に見たものやもう数ヶ月前に母と病因で会った頃のお顔と同じように、穏やかなものだった。
 母とは2歳上なのだが、昔から怒られた記憶が無い数少ない伯母さんだった。
 葬儀の手伝いなどは最近は殆ど会館のほうでなされるので、必要がなく、手持ち無沙汰だった。
 前述の通り世代が大分違うので、話し相手も無く、むしろ同級生が遠い親戚に当る(むしろ大分後に婚姻の関係で「なった」と言うのが正しいのだが)事が判り、会話は殆どそいつとに終始した。
 喪主は大変でとても私などに構ってはいられなかったのは、私自身も父の時にそうだったので、十分に理解できる。
 しかしながら、あちらこちらから、私のことを「後姿はお父さんにそっくり、顔はお母さんにそっくり」と言う人が現れて、色々と話しかけてくださる。
 残念ながらほとんど記憶に無い人ばかりなのだが、中には時々採用される新聞投書で名前を見知ったりした人も居られて、そんな話題になったりするのは、かなり照れくさいものだった。
 しかしながら、通夜、葬儀等の行事をこなしてゆくうちに何人かが判る様になり、それなりに相槌や話題にも触れる事が出来た。
 こんな事がよく言われる「弔問外交」なのだろうか。
 両親のどちらも結構多子系だったので、とても覚えきれるものではないが、僅かずつでも触れ合って生きたいものである。
 合掌。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38| 子育て | コメント(0 )

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