2010 年10 月08 日
先生と生徒のとある会話
近くに中学校のグランドがあるので、スポーツの色々なクラブ活動が行われているのを良く見かける。クラブ活動では、生徒の自主性に任せてあるのか、指導する先生の声は余り聞こえない。
先日、見かけた光景に次のような事があったので、気になった。
先生が生徒に「こんな事が判らんのか」と言っている、私らの場合は「すみません」と咄嗟に出たものだが、返った答えが「わかりません」だったのには驚いた。
先生が生徒が知らないことを聞いたのか、生徒は正直だったのか、色々な思惑が沸いて複雑な気持ちになった。
前者であれば、善意で取れば「生徒に理解して判らせる為」とも取れるが、悪意で考えると「教えてもいないことを叱り付けるのか」とも取れる。
また、後者については、生徒が「教えてもくれていないのに判るはずが無いじゃないか」と、「判っちゃいるけれど従うのが嫌だから」とも取れるのだが、諸姉・諸兄におかれてはどうだろうか。
勿論これ以外の理解もあろうと思うが、どちらにしても「成り立っていない会話」となるのだろう。
現在の教師と生徒と言う関係が、私らの年代の人間が考えている、師弟関係とは違うかもしれないが、どちらも「相手を立てる」と言う考え方が少しばかり少なくなっていないだろうか。
つまらないことかもしれないが、よく言われるように「当たり前のことを当たり前にやる」ということの難しさというものがこの辺にあるのではないだろうか。
これは子育てばかりではなく、広い意味での「人付き合い」の上で欠かせないものであろう、それが例え家族と言う身近であったとしても。
投稿者:つねちゃん
at 08 :28| 子育て
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