2010 年10 月15 日
ラジオ時計
我が家には、それなりに多くと思われるほど時計が置いて(掛けて)ある、と思っている。各部屋には勿論、トイレや廊下など「折角あるのだから」と言うことで配置しているつもりである。
だから、最近の電波時計はそうでもないが、あちらこちらで時刻が微妙にずれている事があって、慌てたりする事があるのも弊害の一つかもしれない。
最近、小学校にも大分慣れた孫が時計を見ることなく「もう学校へ行く」と言い出すのを見て「何故時計も見ないのに判るのか」といぶかしんでいたのだが、根拠が判ってずいぶん昔の自分を思い出していた。
表題の通り、ラジオで決まった時刻になると入るCMが契機になっているのである。
ある自動車メーカーのものだが、たいていのCMと言うのは、季節によって変わるものだが、これだけは判で押したように決まりきった出出しなので、それを契機にしていると言うわけである。
若い頃は私もそうだったことを思い出して「子は親に、孫は爺婆に」自然と伝わるのであろう。
落語にあるように「先々の時計になれや小商人」と同様に、決められた時間になると聞こえる「声」は貴重なものである。
だがしかし、私の失敗は孫も同様で、その時間になるまでに準備万端整っていれば、何等苦労することもないのだが「エッ、もうこんな時間」となると、アタフタして、出かける事になり、結果としては「忘れ物」と言う事態に陥ったり、パニックの結果「もう行かない」と駄々をこねたりするのは、かつての自分を見ているようで叱るよりも微笑が先に来る。
結局「爺バカ」の体たらくではある。
投稿者:つねちゃん
at 08 :32| 子育て
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