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2010 年10 月26 日

愉しい、楽しい

 先日の「自分勝手でも」に関連するし、人によっては「とうとうあいつも極楽トンボボケが始まったか」と言われるかもしれないテーマなのだが、最近の日記を読み返して見ると表題の言葉がかなり頻繁に出現してくる。
 改めて辞書を引いてみると「心のわだかまりが無く、満足な様子」らしい。
 ちなみに私の愛用している日記ソフトは過去2年間の同日が表示される設定になっているのだが、過去には殆どその表現は出てきていない。
 孫の一挙手、一投足、言葉遣いや新しく学校などで覚えてきたのだが、まだ十分にその言葉を理解しないままに使っての発言などなど、些細なことばかりなのだが、それを見聞きするたびに思わず微笑が出てきてしまう。
 それを嗜めたり、叱り付けたりする家内や母親である娘の言動についても「それはあんたを見て育ったのだよ」と口には出さない(そんな事をしたらこちらに矢が飛んできて、とても愉しい話にはならないので、沈黙を決め込んでいる)が、内心微笑んでいる自分を鳥瞰図を見ているかのように愉しい。
 現実的な事でも、先日今が適機なのだろうが、玉葱の苗を100本680円で買って来た。
 事前に、それ用の畝として、丁寧にならして置いた所に100本分の植え穴をつけてから始めたのだが、なんと実質には125本あり、おまけに近くの種苗屋で見ると、700円していて、ここでも20円儲かり、25本儲かった、と言うような事がとても愉しい。
 毎日の新聞報道では、政局、外交、天変地異などなど決して愉しくないものが多いのだが、それはそれとして、憤慨するところは憤慨し、時々は新聞に怒りをぶちまけたりしてはいるのだが、気が付いてみれば「そんな事が表現できる」ということについても「楽しみ」なのだろう。
 この「癖」はいつまでも持ち続けたいものである。
 例え、他人様から「下らない」と言われてでも。

投稿者:つねちゃん
at 06 :43| 健康 | コメント(0 )

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