2010 年11 月29 日
1票の格差
政治話題だけれど、怒りの話題ではなく、素朴な疑問としてのテーマである。先般「違憲」という判断がなされた。
「票の重さ」が人権の軽重に値するものだという意味での理屈は十分に理解できる。
だけど、争っている人たちの本来の目的は「格差を無くせ」という事なのだろうか。
極論的に言うと、格差を全く無くしたら、国会議員はどのようになるのだろうか。
首都圏を初めとして、人口過密地域からの候補が大量に当選して、民力度の小さい地方からは議員が選出されない事になるのでは無いだろうか。
そうしておいて、人口過密の地域の大多数が「選挙無関心」かもしくは「棄権者」である場合、それで選ばれた議員は果たしてどのような行動に出るのだろうか。
ここでも「選挙に関心の無い人間は家で寝ていればいい」という論理が繰り返されて、ゾンビのような黒幕ばかりが暗躍する手駒の役でしかないのでは無くならないか。
そしたら今度は地域格差解消、とでも言うのだろうか。
一方的に5:1の格差が良いとは言うつもりは無いが、さりとて、1:1にしよう、という論理にはなかなか同ずる気にならないのは、果たして私だけだろうか。
この問題も、政治もそうだが、殆どの場所で「近視眼」的な判断がなされているのが最近気にかかる。
人様に言えるほど自分が物事を弁えているとは思わないが、それにしても「傍目八目」にも程遠い短絡的な発想しか出てこない事に、果たして賛同できる人はどれほど居るのだろうか。
100年後を考えろ、とは言わないし、余りにも大所高所的な展望で、「寄らしむべし、知らしむべからず」的な政治も願い下げだけれど、せめて10年後くらいの展望を示しながら進めて欲しいものである。
八百屋で刺身を注文するようなものなのかなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43| 政治への注文
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