2010 年12 月01 日
民主がだめでも自民ではない、と知るべきではないか
発足後約1年を経過して、民主党政治(この言葉自体が嫌いだが)がいろいろな情報リークが原因で、かなり責められている。しかしながら、今までの約50年間の「隠し通せ」的な自民党政治に果たして戻していいものかどうか、大いに疑問である。
どうも判らないのは、相手が倒れたら、自分が政権を取れる、と勘違いされての政争の連続のようだ。
民主がだめになって倒れたら、自民党が政権を取れるかのようなものの言い方がどうにも鼻についてならない。
では、隆盛の波に乗りつつある「みんなの党」か、と言われれば「それもあるまい」と思えてならない。
どうもこの背景には「政党第一」の思想があるのではないか。
国民は、各々の議案に対して「賛成」「反対」であるはずだが、政党所属の議員になってしまうと「政党として『反対』『賛成』である事が第一」となってしまい、国民の意図など雲散霧消してしまっているのが現実である。
議員は「選良」と言われるように、国民が選んだ人なのだから、それを背景にして賛否を表明して欲しいものだが、「数は力、数は金」と言う論理ばかりが罷り通っている娑婆には望むほうが無理なのだろうか。
今年の大河ドラマは竜馬がテーマだけれど、「我あり」と言うような行動をこそ見習って欲しいものだ。
さりとて、「私が」と言う気持ちも無いのにごまめの歯軋りでしかないと言うのは十分理解しているのではある。
あぁ、自重、自嘲。 (^。^)
投稿者:つねちゃん
at 08 :13| 政治への注文
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