2010 年12 月02 日
表彰の時期は終えたが
文化勲章を初めとして、その前後には様々な功労賞の授与シーズンがあり、年齢的には同年齢の人が受けておられ、中には知っている人もおられるのは喜ばしいことである。多分、決して今後を含めて「表彰」されることは無いだろうと思うと、案外気が楽である。
かつてどこかの野球選手が「表彰なんか要らん。そんなのもろたら、立ちションベンも出来なくなる」と言う笑い話のような話しを聞いたことがある。
軽犯罪法に触れる立ちションは勿論褒められるべきではないが、なんだかその気持ちが判る様な気がする。
在職中は、私もそれなりに「出世欲」と言うのがあり、ある後輩であり部下だった奴から「私はあなたほどのスタンドプレーはやりたくない」と苦言を呈せられた事があった。
それほどまでして表彰に値する「昇進」や「昇給」を得たかったのかと、言われれば、苦笑いして誤魔化すしかないのだが、確かに途中で自分を冷静に見る自分が居るような気がして(特に単身赴任中に多かったような気がする)嫌悪感を覚えた時もあったが、そんな時は意識して深酒をして、翌日はすっきり忘れてしまうようにしていたように思う。
でも、企業内研修機関を卒業して、私なりに「ここが頂点だろう」と思っていた約5年間には前述の野球選手ではないが「もう要らん」と言う気持ちが常にあったし、「むしろそれならあの人に」と言う発言も意識してするようにしていた(様に思う)。
リタイアする少し前までは、いつか書いたと思うが、関東地方と金沢にいくつものデスクがあり、複数の仕事が常に目の前にぶら下がっていた(追いかけられていたと言う感じは殆ど無かったが)のだが、移動時間の合間で、時々(意識するしないに関わらず)「ボッカリ」と穴が空くような時間がある。
そんな時には、やはり「魔がさす」のだろうが、不埒な行動(決して犯罪行為ではない)をすることがあったが、それとても余り人から注目されるようになると出来なくなり、精神的なスポイル状態に陥ったのではなかろうか。
悠々自適な現在でも、何やかやでいろいろなお手伝いをさせていただいているが、それだけでも「よく知っていますよ」と言われると、時々「ハッ」としてしまう時があるので、これからも表彰には無縁でありたいと(あたる事も無いのに)思っている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :01| お役所
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