2013 年10 月29 日

教職員、市役所などの職員の不正行為

 昔は「聖職」にあると思われていた人が、最近いろんな面での不正行為が摘発されている。
 どうもこれは、一職員の個人犯罪ではないのではないか。
 身内の人への罰則の甘さや、「見て見ぬふり」で見逃されているのではないだろうか。
 いくら何でも、億単位の金が一職員だけの裁量で着服などできるわけがないと思う。
 返済は、個人だけではなく、組織の前職までを含めた人間で為すべきであろう。
 このテーマを思いついたときは、これだけだったのだが、最近はどうも「聖職者」ではないにしても、有名ホテルや大手銀行などが、どんどんと「不正行為」をおなっていることが報道されている。
 コンプライアンスという言葉が、どうも「法律遵守」ということではなく、「会社利益や個人利益の順守」ということにすり替わってしまっているのではないだろうか。
 これだって、上記の件と同様に「一人だけでできる」ことでは決してないであろう。
 社長や銀行にいては頭取という役は、絶対権限を持ってて、部下の生殺与奪をする人間だと思われているが、どうもそうではないのが現実のようである。
 会社やいろいろな組織のためには、「トカゲのしっぽ」にしか過ぎないのだろう。
 はてさて、その裏で糸を引いているのは、どんな人種なのだろうか。
 ひところ「物言う株主」というのがはやったが、どうもそうでもなさそうである。
 兎も角、前述のように「過去に遡って」すべての債務を弁済すべきだろう
 黒幕が「選良」の中から出ないことを願いつつ、でも分からないだろうなぁ。

投稿者:つねちゃん
at 06 :44 | お役所 | コメント(0 )

2013 年10 月2 日

エリート官僚の匿名暴言

 政治屋さんの暴言は今に始まったわけではないし、昨日の増税発表も震災被害者や年金生活者の苦労には何らの配慮もなく、行われた。
 前にも言ったが、必ずしも増税反対論者ではない。
 それならそれで、政治屋や役人の無駄遣いをきっちりととめてからやってほしいということだ。
 先日から表記のことが話題になり、その官僚が罰せられた。
 でもしかし、停職2か月、とはなんと軽いことか。
 停職中でもそこそこ給料はいただけるのだし(もちろん税金からだが)その後の処置についても、「エリート」という肩書が付けば、何度かの天下りで、税金が回りまわって何らかの形で、その人たちに供給されるのである。
 暴言を吐いた人間が処罰されるのは当然として、それを管理監督し、罰則を与える人間をも罰を受けるべきではないか。
 評判の半沢直樹というドラマでも、常務という立場の人間と次長という立場の人間の措置には、いろいろな思惑があって決められたものだろう。
 これでは「百年河清を俟つ」という言葉通り、いつまで経っても同様なことが行われて、際限がなかろう。
 もちろん「再発防止」などは考えておらず、「トカゲの尻尾切り」としか思っていない人には、「蛙の面に小便」にも感じられないのだろうが。
 そうそう、これは暴言ではなく、ほとんどの役人や政治屋さんの「本音」なのだから、仲間内で非難などしても、この程度の罰で済んでしまうのが、この世界の常識なのかもしれないが。
 嗚呼。

投稿者:つねちゃん
at 06 :17 | お役所 | コメント(0 )

2013 年9 月27 日

半沢直樹ブーム

 どうも天邪鬼根性があるようで、「評判の」というものにはあえて顔をそむけるようにしてきている。
 家内が薦めるので、録画した物を一緒に見ることになったが、これほど酷いことは経験がないが、「似たようなこと」は結構見てきている。
 いや、私だって「責任転嫁が全くなかった」とは言えないだろう。
 最終回はかなりの視聴率を取ったと聞いているが、全10話を確か5回くらいにわたってみることになり、次回はいよいよ最終回である。
 見たいようでもあり、見たくないようでもあるというのが本音である。
 本社組織にいて、一時期人事のお手伝いをしたことがあるが、これほど一人や一組織の横暴までは目にすることはなかった。
 ということは、それなりに幸せだったということだろう。
 でも、もう20年以上も前のことだから、時効だろうし、膾炙や組織自体が大きく変わっているのだから、「昔話」でしかないが、確かに人事は大変であった。
 場合によっては「生殺与奪」の権利(いやいや仕事としての義務だろうか)を与えられるのだから、かなりの責務であり、ドラマほどではないけれど、あちらこちらからいろいろな誘惑があったことも事実である。
 私のような「事務取扱」的なお手伝いしかしていない者にも、場合によっては破格な接待を受けたことがあった。
 当然上司に判断を求めたり、報告したするのだが、結果として私の判断は間違っていなかった様で、それによって叱責されたり、もちろん罷免されることはなかったが、今にして思えば、相談された上司も困ったことだったろう。
 現代版水戸黄門ではないが「勧善懲悪」という筋書きは確かに見ていて痛快ではあるが、少し身に覚えがあるということを考えると、見ていて「疲れる」ドラマだった。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | お役所 | コメント(0 )

2013 年7 月10 日

東電社長ばかりではないが

 東電社長が新潟県知事と会談したが物別れになった。
 報道で伝えられたことしかわからないが、社長さんは「論破ないしは了承される」と思ったとは到底思えない対応だった。
 このことは、裏を返して考えると「俺(程の偉い者)さえ行けば、解決できる」という思い上がりがあったのではないか。
 いや待てよ、どこかから「ともかくお前が行って来い。後は俺(程の偉い者)が行って解決するから」という「神の声」が聞こえたのだろうか。
 実は、この方法は、在職中に一度だけだがお願いしたことがあるから想定できるのである。
 こちらは金沢にいて、お客様の東京へは直ぐには行けない。
 在京の部長にひとまずお詫びに行っていただき、後で改めてお詫びに参上した。
 もちろん、上記とは全く違い、私は「偉い人」ではなかった。
 でも、当事者が行ってお詫びするのは当然なのだが、ともかく今はお客様の怒りをいくらかでも軽減させることが必要だったのである。
 幸いにして、お願いした部長さんは私と同郷だということ、お客様の部長さんとは大学は違うけれど、同期入社だったことなどを何度かの「飲み会」で知っていたからである。
 話は元に戻って、でも、多分選挙後にこれは有耶無耶のうちに解決するだろう。
 登場人物が誰かは分からないけれど。
 県知事さんも一度は県民の前に、いやいや国民の前に報道を使って怒って見せた。
 東電は「平身低頭」演じた。
 最高の登場人物は多分総理大臣という偉い人が「お詫びした」ということになるのだろう。
 でも、結局黒幕は決して姿を現さないで終わるだろう。
 その裏でどれだけのお金かどうかは知らないけれど、何かが動くのだろう。
 しこうして、県民や国民は電力の恩恵を受けることで、「忘却の彼方」へ追いやってしまい、「忘れた頃に」また被害を蒙るのではないか。
 何かミステリー小説のようになってくる。
 なぁーに、極楽トンボが徒然に語るだけである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | お役所 | コメント(0 )

2013 年7 月1 日

挨拶の順序が違う

 韓国の大統領が米国の次に従来日本に来たのに、今回は中国へ行った、と言うことが大騒動の如く報道されている。
 「日本軽視だ」と言う論調である。
 しかしながら、その根底には「かつて日本が支配していたのだぞ」と言う意識があり、ある種の優越感を否定された、ことからくるのではないだろうか。
 だとすれば、とんでもないことであろう。
 そう言うことが、戦後年60数年を過ぎた今でも、日本人の「蔑視外交」の根底にあるからではないのだろうか。
 むしろこちらが激昂すればするほど、相手の「思うつぼ」であろう。
 向こうには向うの事情がったのだ、と素直に思えばいいではないか。
 在職中の経験だが、やはり似たような指摘をされたことがあった。
 幸いと言うべきなのだろうが、関東圏に3件、関西圏に1件、北陸圏に2件のお客様がおられた。
 関東圏のお客様を転任あいさつに回った時だった。
 あるお客様を回って、次のお客様へ行き、その日の懇親会を夕方やることになっていたのだが、「次」のお客様からの指摘だった。
 いわく「なぜ僕の所が、あっちよりも遅かったの?」と言うことである。
 懇親会の時にそのお客様の上司の方がわざわざその件に触れられて、まったく気にしていないと話されたのには頭が下がった。
 相手はどちらもお客様で、こちらはバイヤーなのだから、取引額の多いところを優先すべき、と言うのが本来だと思われたのだろう。
 でもアポイントを取るときの調整でそうなったのだから、仕方が無く、転任の後もその上司の方からの信頼も得られ、特別問題になることはなかったと、後任から聞いた。

投稿者:つねちゃん
at 07 :35 | お役所 | コメント(0 )

2013 年6 月24 日

役所の「罰」

 復興庁のお役人がとんでもない発言をして、その処分は「この担当から外す」というだけではなかったろうか。
 ことほど左様に「役所の処分」というのは身内に甘い、というより「外には仰々しく発表しておこう」というだけである。
 半官半民の会社にいたが、私自身は幸いにして一度も処分されたことが無い。
 でも、すれすれになったことがあるので、身近に見ていた。
 一番軽いのは「訓告」であろうか。直属上司から「もうやるなよ」と言われる程度で、その上司自体が過去に訓告を受けていたりする。
 次が「厳重注意」だろうか。その組織の長というから、「大分偉い人」から「駄目じゃないか」と怒鳴られることになろうか。
 でも、その晩には「反省会」や「慰労会」として宴会になり、その組織長も招待される場面にも参加したことがある。
 それからは、一応法律上の罪ということで、「戒告」これはもう一つ上の組織長からの「戒め」である。でも、将来の人事上に少し評価が下がるだけで、今回のような上級役人にはまるで関係ない。
 「減給」でも10%3カ月は困ることは困っても、生活に影響が出るほどではない。
 「停職」となっても、必ず半年くらいのほとぼりが醒めたくらいに人知れず(まず報道されることはない)復職している。
 「免職」というのが一番と言われるが、なぁーに、「諭旨免職」などということで、次の職場がほぼ確保されているので、心配もない。
 ちゃんと退職金が支給されるのが通例だと聞いている。
 「懲戒免職」というのが最たる罰だろうが、これは故意の殺人とかではない限りまずなることはない。
 さて、あなたはこれを軽いとみますか、重いと見ますか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :30 | お役所 | コメント(0 )

2013 年5 月7 日

 「安売り厳禁」

 このテーマを思いついたのは、連休に入る前だったので、今日になると少し時間軸が違っていることをお許し願いたい。
 
 最近面白い報道に出会った。
 「消費税還元セールの禁止」というものである。
 正直、目と耳を疑った。
 消費する側である国民の事よりも、徴収するお役人のための論理ばかりである。
 これで「ははぁーん」と思ったのは、徴収する側は別のルートでその対価がもらえるからだろう。
 なんともうまい仕組みを考えるものである。
 そういえば、政治屋やその予備軍にも「寄付還流」と言うのがあるそうな。
 そんな人は、当選させないばかりか、現職ならば次は落選させる「お灸」が必要だろう。
 腹立ちを覚えるのは当然だとしても、その次には何だかそれを唱えているお役人が「馬鹿」に見えてきて、可笑しさすら覚えてしまう。
 もう随分になり、ここでも何度か紹介したと思うが、「中国笑話集」(現代教養文庫 村山吉廣訳編)を朝の音読の一つにしている。
 色々な分野(譚)があるが、役人を風刺している部分が現在進行形の部分である。
 昔はこんなだったのかなぁ、と思いながらであるが、どうも昔ばかりではなく、現代でもこのまま通用しているのが面白い。
 このことは、何も中国に限ったことではなく、世の中の「お役人」のすべてに当てはまるようである。
 お役人を選ぶことは、残念ながらできないが、それを弾劾する立場の議員さんは選挙で選べるし、選んでいるのだが、それでも「この国民にして、この議員、国家がある」と言われれば、天唾なのだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :07 | お役所 | コメント(0 )

2013 年4 月22 日

甘い教職員への処分

 以前にもご紹介したことがあるが、学校での「体罰」には必ずしも真っ向から反対ではない。
 体罰を与える側が、その痛みを体感した上でのものであれば「愛の鞭」だろうと思っている。
 それはそれとして、今日は体罰だけでなく、言葉の暴力をふるった教員に対する処分についてである。
 報道では、戒告とか減給、果ては「再教育」だとなっていて、実質的には「頭を下げている間だけ」の軽いものだ。
 戒告などと仰々しいが、与える側も多少の差と見つからなかっただけの人が「注意しろよ」と言うだけのことで、「蛙の面に小便」以下のものである。
 減給の内容は、10%を1か月。
 時たまパチンコなどのギャンブルで負けただけくらいで、生活に困るほどの額ではないし、それもわずか1か月ということであれば「これで贖罪できた」などとはとんでもないことだろう。
 「再教育」というのは、「暫く大人しくしていろよ」と言うだけで、その間給与も支払われるわけだし、実生活上なにも困らないのである。
 これで「罰を下した」、そしてその期間を過ぎれば「贖罪したのだから、もう何も後ろめたいことはない」では、再発防止はそれこそ「夢のまた夢」で永遠に続くだろう。
 ここは、「民間会社に多く見られる罰則規定」を適用して、戒告や訓告などといういい加減なことはやめて、3年間職場復帰なし(当然給与は支払われない)というような「執行猶予(その間に不埒なことが無ければ現場復帰も可能)、減給ならば、半額を3年間などとすべきではないか。
 再教育などと言うのはもってのほかで、職業選択が間違っていたのだから、教師職を未来永劫剥奪する、位の事であるべきだろう。
 別に「怒り心頭」で言っている訳ではなく、それくらいしないと再発防止にならないと思っているのである。
 これも、品質管理で口が酸っぱくなるほど再発防止を訴えてきた、一種の「職業病」ではないかと、反省と自戒を込めて思っている。

投稿者:つねちゃん
at 06 :24 | お役所 | コメント(0 )

2013 年4 月17 日

海自発注の地図に「東海」表示が

 在職中、多くの協力会社と一緒に仕事をした。
 その時に最も気を付けたのは「人との付き合いは性善説で、製品の納入検査については、性悪説で」ということだった。
 最近、「そんなことも弁えないで仕事をしているのか!」と怒鳴りつけたくなるような記事が、表題のものだった。
 言い訳が、また「とんでもない、みっともなさ」で、「十分注意して見なかった」ということだった。
 在職中、自分の仕事なのに、発注先からの報告が遅れていて、その原因も掴まないままに「そう言っていますから」と説明した課長に、その直属の上司がいる前で、技術サポートとして出向いた私が、怒鳴りつけた。
 出張先が大阪だったのだが「『沖縄方面で風が強くなっているようです』というようなことでは、管理職として何を見ているのだ、言いにくい事情があるなら、即刻その会社の責任者を連れて来い。俺が直接そいつと話をする。その代わり、君はこの担当から外れてもらう」とそんな権限などないのだが、当時の私は短気だった。
 このテーマを思いついたのは、この記事を見た時だったが、その後最近になって、問題になっている東京電力でも、同じようなことがあったのには、正直「お役所仕事だなぁ」と思った。
 そんなことでも、お金は流れていくのでは、税金や準税金のような金を使っているところの体質は、根本から見直さなければならないのであろう。
 そういえば、上記のかなりデフォルメされた私の体験談は、民間会社になってからの話である。
 少しではなく、大いに悲しい。
 出来れば、是非とも、懲戒措置を講じて「見せしめ」にしてもらいたいものであるが、多分そうはならないだろうなぁ。
 隠して、再発はまたすぐ起きる。

投稿者:つねちゃん
at 06 :50 | お役所 | コメント(0 )

2013 年2 月13 日

腹に一物

 「腹に一物、手に荷物」という言葉をご存じだろうか。
 管理職になって、今までの技術一点張りではなく、営業と言う仕事もやることになった折の話である。
 お客様には「誠心誠意、嘘隠し事なく」と言う「誠実」な態度で接してきた。
 お客様側も、一緒に努力していいもの(システム)作りをしよう」という意気込みだと、真っ正直に思い込んで、良いことは勿論だが、デメリットを含めて拙いことも十分に説明して、交渉していた。
 ところが、お客様側は「最大の利益を最小の投資で」ということで臨まれている、とは正直気が付かなかった。
 挙句、殆ど受注に至らなかった苦い思い出がある。
 ある時、営業の上司と一緒に行き、表記の「心得」を教わった。
 勿論「一物」とは男性のシンボルの事ではなく、「隠し玉」のことである。
 また、それを持っていることを相手に悟られないようにする、ということも大切なことである、と。
 「嘘」をつくわけではなく、順にそれを小出しにしていく、と言う論法である。
 最近の外交を見ていると「誠心誠意」が先に立って、「一物」が全くないように思えてしまう。
 その結果が、現在の与野党(以前は攻守所を変えていた訳だが)の外交ではないだろうか。
 勿論「常に『何でも反対党』を是とする」訳では決してないが、もう少し婉曲な言い方で「一物」を目立たせず、最後には「抜いてはならぬ『殿下の宝刀』を抜く」くらいの覚悟で臨んでほしいと思うのだが。

投稿者:つねちゃん
at 06 :46 | お役所 | コメント(0 )

2012 年2 月10 日

議事録がうまく書けると一人前

 何度か紹介したが、約18年「半官半民」の会社に在籍していた。
 その後民営化されたので、大分「官」の色は無くなったが、まだまだ残っているうちにリタイアしたから、今ではそんなことは昔話になってしまっているだろう。
 現場仕事から、デスクワークに移ったのは、昭和55年からだったが、当時はオーバーヘッド部門と言うこともあって、色々な会議に呼び出された。
 最初は「議事録書き」が主題だったが、だんだん内容が判って来ると同時に発言も促されたので、その発言内容について事前に学習もし、論理展開なども頭に入れておくのだが、大概はその筋書き通りには進まないので、アドリブ的な発言や提言を余儀なくされ、会議終了後には、自分の発言などの正確性をトレースしたり、補追的な情報の収集に当たったりしていた。
 でも、しかし、議事録書きの仕事は依然として残っていたので「議事録はまだ出来ないのか」と言われると、慌てて記憶(メモは自分のため用のものしか残していなかった)を頼りに、書いて行くのだが「あれも書いていない、この趣旨は違う、発言者が違う」などなどの叱責の雨嵐に打たれ、なんとも惨めな思いをしたことが度重なった。
 尤も、そのおかげで、本社勤務する時には、「お前が先にチェックしろ」と言われる様にまでなったのは、一つの自慢でもある。
 最近、原発事故の会議の議事録が「書かれて居なかった」ということが話題になっている。
 「上手く書ける」と言う意味の裏には「書かなくて良い事は書かない」ということがある。いや、むしろ「書いてはいけない」ことなのである。
 会議内容の全てが、そうであったとは思いたくないが、そんな内容ばかりの会議に時間給にすればとてつもないお金が費やされている人たちばかりだったはずである。
 方や、随分昔の外交文書などが、議事録ではないにしても公開されつつある。
 全てが理解できる訳ではないが、やはり「議事録が上手く書ければ一人前」なのであろう。
 そう思ってみると、議事録すら書けない人間は潔く現職を離任していただきたい物である。
 まぁ、ごまめの歯軋りでしかないが、こう書けることに感謝するしだいである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :26 | お役所 | コメント(0 )

2012 年2 月9 日

予算裁定に主婦の感覚を

 消費税増税が盛んに言われている。
 何度かここでも書いたが、個人的には必ずしも増税反対ではない。
 ただ、片方で、無駄遣いが野放しされていて、その余禄で天下りとしての地位確保などが為されているのでは、やはり「出(いずる)を制す」と言う襟の正し方が必要だと思っている。
 近頃になってようやく(いやいや何度も言われてきては騙されているのが実情だろうが)「予算を見直す」と言うことが言われている。
 かつて、会検が指摘していたことで驚いたことがある。
 1個5万円の朱肉を全職員に与えることが予算化されており、それが「恒例化」しているという事実があった。
 ということは、5万円の朱肉を全職員が1年で使い潰すという計算である。
 如何にお役所が「はんこ行政」とは言うものの、現実的には考えられない。
 使い方に差はあろうが、リタイアして「朱肉つき印鑑入れ」を100(105)円ショップで買った。
 いまだに充分に使えている。
 表題のように、予算最低に一般家庭の主婦にパートでやってもらったら、こんなとんでもない数値は出ないで、もっと安上がり(いやいや効果的なお金の使い方)としての予算が組み上げられるのではないだろうか。
 何かと言うと、「有識者」を使われるのが常だが、殆どの有識者には「ヒモ」が付いているのである。
 今現在付いていなくても、終わったら付く、のが保障されているような言動をするものである。
 だからこそ、裁判員制度のように、その場限りの「パート」として採用するのである。
 そうすれば、本当の意味で「庶民感覚」の予算になり、その上での増税が必要であれば、国民の多くが共鳴するのではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :13 | お役所 | コメント(0 )

2011 年11 月17 日

ギリシャ、イタリアの二の舞にならないか

 経済学、と言うものは、在職中の研修期間で週1回(1時間半の講義)で約半年学んだだけで、とても高尚なことを言うつもりはないし出来ないが、表記に挙げた国の昨今の事情を考えてみると、あながち「対岸の火事」とばかりとは思えないのではないか。
 わが国でも一部の官庁職員は、天下りを初めとしてトータルとしての高給取りだし、見せ掛けだけの一流企業の一部の社員もバブル掬いで、取るだけ取ったらすぐに転職してしまい、後は知らぬ存ぜぬの態度が目に余るのは私だけではなかろう。
 国内は支払う給料や社会保障費が高いから、発展途上国に安い労働力を求める。
 最初は中国や韓国だったのだろうが、それが発展してしまうと、タイやベトナムなどへと触手を伸ばす。
 そのうちそこも発展すると今度は何処へ行くのだろうか、世界中を嘗め尽くしてどうにもならなくなったときに「やっぱり日本が良いや」と思っても、今まで空洞化させて来た日本で満足な労働力が得られると思っているのだろうか。
 そう考えれば、表記の国の二の舞で「現在の給料などを初めとした待遇を低下させることは出来ない。全て国の責任で保障すべきだ」と言ってみても、「国」と言う組織体がお金を持っている訳ではなく、結局「国民から巻き上げた(おぉっ、かなり過激な発言だ)」税金と言うものに頼るしかなくなり、それまでの高給取りだった官僚や閣僚などは、身銭を切ることなく、税金と言う国民へのしわ寄せになり、いかに忍耐強い日本国民も暴動することになりはしないか。
 そうならないうちに、政治屋と天下りに代表される官僚などは叩き潰し(おおっと、またもや過激発言だ)二度と立ち上がれないようにしなければならないのではないか。
 そのためには、微力だけれども度々の選挙でしっかりと人を見据えて投票するしかないのだろう。
 このことは決して「蟷螂の斧」や「ごまめの歯軋り」ではなく、着実な一歩になるのではないか。

 何だか、このブログの趣旨「仄々」「ノホホン」から大分離れてしまったようだが、齢64歳にしてまだまだ世間に物言う、と言う姿勢が吾ながら天晴れだと、自画自賛である。  (^。^)

投稿者:つねちゃん
at 08 :08 | お役所 | コメント(0 )

2011 年9 月22 日

社会福祉とは

 「地域懇談会」と言う事だったので、気軽に出掛けたら、なんと在職中によくやったGD(Group Discussion)だった。
 私自身特別何かの役員をしている訳ではないので、なぜこの会の召集令状(?)が来たのか良く判らないが、配っている人が町内の人だったので、然程気にとめないで参加したのだった。
 だから、特別「社会福祉」と言う事に造詣がある訳ではなく、むしろ殆ど門外漢だった。
 いやいや、個人的には社会福祉とは次のように思っていたと言うのが本音である。
 結局社会福祉とは「実際にそんな局面に当たっていない」人が一般論としての対策を「興味本位」で議論する会、では無いのか、ということである。
 父が徘徊を伴う認知生が酷くて、辞職した原因の一つだったのだが、家庭には母と家内が居て、名目上は私も勤務地が金沢と言う事で近くだった。
 ところが、金沢に居るのは、月の内通算して1週間くらいで、殆どが出張の連続だった。
 そんな事情があり、何とか辞めないで父の介護もできない物かと、いろんなところへ相談したけれど、結局は「教科書どおり」の答えしかいただけない。
 そんな中で「社会福祉」と言う言葉もチラッと耳にはしたものの、具体的な指針などいただけないと諦めたのだった。
 これを今更ながら愚痴っぽく言って(発表した)見たところで、「話題の一つ」にはなるだろうけれど、誰かが解決してくれるものではないし、解決など出来ないだろう。
 それをさも「社会福祉活動」と銘打ってやる事自体が理解できない。
 市の職員でその係りの人が来ていたので「昨年度までにやったこと」の成果と課題を詳らかにして議論してはどうか、と持ちかけたが、無しの礫である。
 これでは、お座成りと言われてもしようが無かろう。
 勿論全てを非難する訳ではないが、議論するのであれば、それなりの見識のある方を集めるべきではないか。
 その上で、匿名などで経験談を話してもらって、課題を見つけ、解決できなくとも、「一歩進んだ」事を目指すべきではないか。

投稿者:つねちゃん
at 09 :06 | お役所 | コメント(0 )

2011 年8 月8 日

転載ブログ 5/28投稿  6/3掲載

 人間としての正しい判断
 原発事故で「注水を止めた、止めなかった」の議論があった。
 現場の責任者として、その時、その場所(状況)で速やかに注水を継続した事は、私は「人間として」正しかったと思う。
 「全員協議の結果」を待って、その指示に従ったとして、果たして未曾有の事態に対して正しい判断がなされたのだろうか。
 もし、間違っていた場合、誰が責任を取るのだろうか。
 結局「みんなで決めたのだから」と責任を曖昧にして、また時間を掛けて善後策を議論したほうが良かったとでも言うのだろうか。
 「現場責任者」はTPOを十分に勘案しながら、その人およびスタッフの全知全能を総合して、速やかに判断する事が資質の第一である。
追記をみる

投稿者:つねちゃん
at 05 :57 | お役所 | コメント(0 )

2011 年7 月7 日

不思議な「株主総会」

 在職時、「公社」と言う会社組織から「株式会社」と言う組織になり、それから数年した時に「お客様誘導」と言う事で、株主総会の要員として動員がかかったことがあった。
 初めての経験でもあり、興味津々と出掛けていったのだが、残念な事に「余人をもって代え難い」(すごいなぁ、こんな事もあっのだぞぉ)ということで、急遽呼び出されて別の人間と代わる事で、会社へ戻り本来の職務に付いた事があった。
 だから、現在までに「株主総会」というものには、陪席であれ、株主としてであれ。参加した事は無い。
 あっ、そうではなかった。陪席として一度だけ参加したのは、株主が一人、と言う総会だった。
 細かいことは、幾つか差し障りが考えられるので省略するが、10数人の役員が並んで、株主が一人だけと言う姿は想像が付くだろうか、誠に奇妙な物である。
 と言う事はさて置いて、株主総会には、基本的に「出たくない」のである。
 今回の東電の総会もそうだが、大株主の金融関係の人が、出席して、反対意見を出すことは、よほどの事が無い限り考えられない。
 ということは、事前に根回しとかが全て整っていて、「委任状」と言う形でほとんどの場合「賛成」をとっているのである。
 だから、総会は、少数意見者の「ガス抜き」の場でしかない。
 少し前に「物言う株主」と言う事で、残念(だと私は思っている)な事に「有罪」判決を受けた人の記憶もまだ消え去っていないだろうが、本来はそうであるべきなのに、「体裁だけの意味の無い株主総会」がマスコミも含めてニュースネタになるほうがよほどおかしい。
 そういう私も、現在2社の株を有しているが、すべて「議長一任」と言う葉書を投函している。
 一社は、在職中のお付き合いでの「持ち株会」で積み立てた物で、退職を機に1株を個人所有にしたのだが、額面上は約1/3くらいに目減りしているが、一種の「交際費」だと思っているので一喜一憂などはしない。
 もう一社は、額面上は2万円くらいの目減りではあるが、毎年1万円の株主優待を考え合わせると、十分に「儲け」になっているので、満足している。

投稿者:つねちゃん
at 09 :05 | お役所 | コメント(0 )

2011 年6 月1 日

原発所長の判断

 海水による注水を停めた/止めなかった、が議論されているが、責任者で現場にいた所長の判断は、貴重だと思う。
 かつて、システムがダウンして、偶々、組織のトップだった人間(私の上司)が「すぐに立ち上げろ」と現場に指示したそうである。
 担当者は困りきって私に電話で助けを請うて来たので、「自分の言う事を聞かない事にカンカンになっている」上司に電話を変わってもらって「ともかく全ての責任は私が取りますから」という事で、本来の事務所に戻ってもらった事がある。
 上司はそれまで「即決即断」で、来た人で間違いは無いのだが、そのシステムは私が責任者で時系列的なデータを持っているので、「即立ち上げ」すると時系列が狂ってしまう事を説明して納得してもらった。
 その夜、一緒に飲みに行き「管理者は孤独だなぁ」とお互いに話した事がある。
 その時その場でその人の全知全能を働かせて速やかに判断する、ことが最も求められるのである。
 議論しているうちに時間は経ってしまうのであり、それこそ誰もが責任をもたずに「取り返しが付かない」結論になったときにどうするのだろうか。
 少し違うが、同僚に「アクション大魔王」と渾名される課長がいた。
 命名は、勿論当時人気のあった漫画の「ハクション大魔王」のパクリである。
 トラブルが発生すると、ともかく有識者を現在の仕事を中断させても糾合して、「アクション会議」を開くのである。
 当の課長が方針を持っていないので、議論に議論を重ねるのだが、皆の意見を取り纏めて出すべき結論を、誰一人決定しないのである。
 そして、時間が経過して事態は決して良くならず、「皆で決めた」意見に沿った対応を取る事になる。
 後で説明するのは、当然課長ではなく提案者であり、責めを負うのも勿論である。
 でも、最終的に責めを負うのは、後になっての課長であり、見ていて惨めだった記憶がある。
 三現主義に、自分の判断を重ねた上で速やかに出した結論、という意味で、今回の所長の判断は(結果がどうであれ、というのは無責任だと言われるかもしれないが)正しかったと判断する。

投稿者:つねちゃん
at 08 :17 | お役所 | コメント(0 )

2011 年5 月31 日

再審無罪に思う

 最近「又か」と思うような判決が出ている。
 長い間無罪を主張してきた人が、再審の結果「無罪」になるのである。
 確かに「強制犯人論」は間違いである事は理解過ぎるほど理解でき、そういう意味で、検察や裁判所が責められるのは間違いないのだけれど、一歩間違えれば、「ごね得」的な無罪獲得か蔓延るのではないかと心配する。
 TVドラマなどでも時折観るが「事実は小説より奇なり」が現実の世界で起こると、なんともいたたまれないのは、私だけではあるまい。
 勿論それがどちらになってもである。
 また、猥褻な行為については、刑が軽いせいもあるのだろうが、会社(特にお役所の場合)が首になる訳でもなく、悪くしても初犯の場合は「訓告」くらいで済ませられているようである。
 「訓告」と言う処分は、半官半民の会社にいた事の延長線上で考えるならば、「まぁ、これで済んで良かったよなぁ」というくらいのものであり、確かに昇進判定時に同じ成績で甲乙付けがたい場合に「こいつは訓告処分を受けた事があるから」という理由で昇進できないと言う事があるくらいで、それにしても「どっちもどっち」「五十歩百歩」と言う事でしかないのが現実である。
 そして、再犯を繰り返して、漸く懲戒免職になるくらいである。
 その間、被害者は溜まったものではない。
 再審無罪になるような事件はでは、そんな程度ですまないだろうくらいは容易に想像が付くけれど、それにしても、再犯が発生した場合、検察なども悪いだろうが、被疑者側に立つ弁護士の罪は本当に問われなくていいのだろうか、と素人考えながら思うのだが。
 いずれにしても、「強制犯人論」と言うものが起こらないように、その時点で双方共に努力して欲しいものである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :29 | お役所 | コメント(0 )

2011 年5 月16 日

それでも原子力発電は便利

 この時期になれば「原発反対」のシュプレヒコールも徐々に低くなってきているのではないだろうか、と期待しながら。
 残念な事に、この期待はメルトダウンと言う事態が明らかになったことから、見事に外れてしまっている。
 とはいうものの「原発反対」と言うフィーバー的な運動について、少し水を差す事になり、非難を受ける事を覚悟の上で書かせていただく。
 基本的に「電気」と言うものは簡単に、大量に、長期間、貯蔵しておく事は出来ないものである。
 だから必要な時に必要な量を、そうでないときには最小限度の発電をする、という制御が必要である。
 一説では「原発の発電総量よりも、太陽熱や風力、波力を使ったりすれば、総電力量は賄える」というのもあるだろう。
 しかしながら、猛暑・酷暑の時に太陽はまだしも必要な風が吹いてくれるだろうか、必要な波力が得られるだろうか。
 そんなことを考えると、火力や原子力は「人間の勝手な制御」が可能な電力である。
 今回話題になった「想定外」の事まで想定した安全策などは不可能だけれど、それでも精一杯の安全策をとった上での推進も必要であろう。
 地域住民の意見を十分に聞いたうえでの安全対策を行いながらも、避けては通れない発電施設であると思う。
 尤もその前に、どこかの都市のように「不夜城」の如き照明はやめるべきだろう。
 それほど必要とするのであれば、自分の地域内での発電施設を建設すべきで、安全と危険も一緒に負担すべきだろう。
  便利さだけは自分たちで享楽し、危険は別の地域で負担する、その分「金を払えば良いのだろう」と言うような考え方だけは排除したいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :00 | お役所 | コメント(0 )

2010 年12 月2 日

表彰の時期は終えたが

 文化勲章を初めとして、その前後には様々な功労賞の授与シーズンがあり、年齢的には同年齢の人が受けておられ、中には知っている人もおられるのは喜ばしいことである。
 多分、決して今後を含めて「表彰」されることは無いだろうと思うと、案外気が楽である。
 かつてどこかの野球選手が「表彰なんか要らん。そんなのもろたら、立ちションベンも出来なくなる」と言う笑い話のような話しを聞いたことがある。
 軽犯罪法に触れる立ちションは勿論褒められるべきではないが、なんだかその気持ちが判る様な気がする。
 在職中は、私もそれなりに「出世欲」と言うのがあり、ある後輩であり部下だった奴から「私はあなたほどのスタンドプレーはやりたくない」と苦言を呈せられた事があった。
 それほどまでして表彰に値する「昇進」や「昇給」を得たかったのかと、言われれば、苦笑いして誤魔化すしかないのだが、確かに途中で自分を冷静に見る自分が居るような気がして(特に単身赴任中に多かったような気がする)嫌悪感を覚えた時もあったが、そんな時は意識して深酒をして、翌日はすっきり忘れてしまうようにしていたように思う。
 でも、企業内研修機関を卒業して、私なりに「ここが頂点だろう」と思っていた約5年間には前述の野球選手ではないが「もう要らん」と言う気持ちが常にあったし、「むしろそれならあの人に」と言う発言も意識してするようにしていた(様に思う)。
 リタイアする少し前までは、いつか書いたと思うが、関東地方と金沢にいくつものデスクがあり、複数の仕事が常に目の前にぶら下がっていた(追いかけられていたと言う感じは殆ど無かったが)のだが、移動時間の合間で、時々(意識するしないに関わらず)「ボッカリ」と穴が空くような時間がある。
 そんな時には、やはり「魔がさす」のだろうが、不埒な行動(決して犯罪行為ではない)をすることがあったが、それとても余り人から注目されるようになると出来なくなり、精神的なスポイル状態に陥ったのではなかろうか。
 悠々自適な現在でも、何やかやでいろいろなお手伝いをさせていただいているが、それだけでも「よく知っていますよ」と言われると、時々「ハッ」としてしまう時があるので、これからも表彰には無縁でありたいと(あたる事も無いのに)思っている。

投稿者:つねちゃん
at 09 :01 | お役所 | コメント(0 )

| 1 /2 ページ | 次の20 件 >>

このページのトップへ