2010 年12 月06 日
師と帥
漢字の学習は相変わらず楽しい。漢検の資格取得を目指した事もあったものの、主催機関の不祥事などによって、もっぱら「学習」のみとなってからは、ますます「楽しさ」が募ってきている。
今回のテーマもその一端で、気がついたことであるが、諸姉・諸兄は「いまさら何を馬鹿なことを」とお笑いになるかもしれないが、それはそれでいいのであると思っている。
歳の最後の月「師走」で、暦の書き写しをやっていて気がついたことである。
表題の二文字は「同じ文字」で「同じ意味」だと思っていたが、統率する事はあってる様だけれど、まるで違う文字だった。
恩師や教師の場合は「師」を使い、元帥や総帥の場合には「帥」を使うと言うような「使い分け」だけだと浅はかな知識だった。
この類には、今までも「えっ、違う漢字なの」と言うような経験はそこそこあるにはあるが、これほど似たような物には初めて出会った気持ちである。
思い返してみれば、この両方の文字を「使い分け」だけだけれど、それなりに今まで多用してきたのだが、「使い間違い」による失態はまるで記憶に無い。
ということは、それなりに正しく使ってきていたのか、それとも判らないところで嘲笑を受けていたのか、はたまた、見た人自体が気がつかなかったかのどれかであろう。
落語の枕などでよく使われるフレーズに「在ると無いでは大違い」というのがあるが、ホンの短い「一」と言うようなものが在ると無いとでは、意味こそ「大違い」とまでは言わないけれど、やはり「全く違う漢字」である事になる。
こんな漢字二文字で、これだけ楽しめるのだから、やっぱり漢字学習は楽しく、いつまでも続けて生きたいものである。
父の本の整理がまだまだ残っているが、父も似たような楽しみをしていたのか、漢字に関する本がまだまだ数多く残っている。
結局「蛙の子は蛙」である。
投稿者:つねちゃん
at 10 :20| 学習
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