2010 年12 月09 日
書き写しで「叱られた」
現在朝の日課としての書き写しは「般若心経」「暦」「三名君の遺訓」に「論語」がある。先日、特別急ぐ必要も無いのに、「走り書き」になっている事に気がついた。
「そんなに急いでやらなければならない事があるのなら、特別功徳も無いのだから、止めれば」と叱られたように気になった。
そうなんだ、何をそんなに急ぐ必要があるのだろう。
結局「やればいい」と言う「やっつけ仕事」になっているのではないか、と大いに反省させられた。
在職中は最も嫌いな仕事のやり方だったのに、今それを自分が自分で決めた事なのにもかかわらず、馴れ合い的なことになっている。
気がついてすぐに、文字の巧拙は長い間の癖的なもので良くなる訳ではないものの、一文字一文字ごとに丁寧に書く事にした。
効果は意外と早く訪れたような気になっている。
小さな点や、線もはっきりと書くようになり、撥ね、留などもそれなりに意識して書く様になってから「何もそんなに急ぐ必要は無いじゃないか」と言うきもちになると、なんだか全体的にゆったりとした気持ちになれるのだ。
朝(最近は布団の中が恋しくて寝坊をするので、必ずしも「起きてすぐ」と言う訳ではないが)から、そんなゆったりとした気分になれるのは、結構良いものである。
少なくとも、在職中には考えられなかった事である。
「今日は何時から誰と会って、どんな話をして、そのための資料はどこまで出来ていて、依頼した事の結果がそれまで来るだろうか」など等単身赴任中は特に最も感じたもので、電車での移動中も無駄にさせないぞ、と言う意気込みだったように思う。
リタイアした今、朝からの「ゆったり気分」は大正解である。
もちろん「今日やること」のお浚いはベッドの中でやるようにはしているのだから、遺漏は少ない、と思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :48| 学習
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