2010 年12 月14 日
昨日したことを忘れる
在職中から「メモ魔」と言われるほどメモと言うものは大切にしていて、リタイアした現在でもその癖は直っていないと自負しているつもりなのだが、日記を書く段になると「ロストリング」があることに少しがっかりしてしまう。もちろん日記に事細かく、細大漏らさず書こうという気持ちは無いのだから、「忘れた事は、忘れても良い事」と思ってはいるのだが、事実をトレースすると言う意味ではなく、「あの時確か何か思ったよなぁ」と言う事を忘れてしまうのが残念なのである。
花を観て思うこと、景色を観て思うこと、めったに観れない場面を見て思うことなどがその大半なのだが、その時にはさすがの「メモ魔」も「観る」ことに集中してしまい、しっかりと堪能して、その上に暫くは反芻までしているのだから、とてもメモを残す気分ではないのだろう。
だから、そんなことの殆ど全てが「良いものを観たなぁ」と言う感じがして、川柳や俳句などは嗜まないのだけれど、何かそんな気持ちになってしまっている。
そんな気分のまま暫くの時間を過ごして、後日日記をつける段になって、その場面自体は朧気ながらだけれど思い出すのだが、その時の感情がなんとも思い出せないのである。
父の日記を整理していると「事実」だけが述べられており、それはそれで貴重なのだろうけれど、何か物足りない。
それが背景にあるのかもしれないが、私は「その時何を思い、感じたか」を書きとめようと思っているのだから、そのロストリングがものすごく歯がゆいのである。
余談だけれど、老化で記憶力が弱った事は否めないとしても、若い時には「酒を飲んでのロストリング」は枚挙に暇が無いほどあった。
ある時には、冬のボーナス(まだ当時は現金支給だった頃)をコートのポケットに入れたまま新橋駅のホームでまさに「ごろ寝」していて、一番電車の時に気がつき、駅員に聞くと「何度も起こしたけれど駄目だった」と聞かされたことがある。
その時にもボーナスをもらった事自体を忘れていて、その日一日仕事をして帰宅した時に家内から「ボーナス出たんでしょ」と言われた事があった。
幸いにして、封も切らずにポケットから出てきたので、家庭騒動までには至らなかったのだが、その時からロストリングはいわば「癖」になっているようである。
まぁ、「忘れる」ことは「新しく覚えるための場所作り」とかつて聞いたことがあるから、そんなことにしておこう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :19| 日記
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