<< 前のエントリ | メイン | 次のエントリ >>
2011 年01 月11 日

忘れると言う事は、決して悪い事ばかりではない

 皆様新年明けましておめでとうございます。
 今年が皆様にとって、より一層よき年になるようにお祈りいたします。

 と言う事で、今日は鏡開きです。
 14日には左義長があり、本格的に松が取れるようになります。
 2日と3日、それに9日は家内の友人の、通夜や葬式に参列しました。
 まだ「おくり人」になれることを思いながらも冥福を祈りました。

 本題に戻って、年末から年始に掛けてかなりの量の広告やチラシが目に付くのだが、その中に「物忘れはボケの始まり、だからこの処方を」と言うのが目に付いた。
 PCの講習を頼まれてやっているが、「なぁーん、聞いてもその時だけで、すぐ忘れてしもうチャ」と言う言葉が頻繁に出てくる。
 私自身も若い頃から「健全な健忘症」を自負していたので、時々紹介した「メモ魔」になったのだが、その時に思ったことは(何かの本で読んだ事だろうが)「なぁーに、忘れるからその(脳みその)空いた分に新しいことが記憶されるのだ」と嘯いていた。
 そんな新陳代謝を、幸いにして実地体験を伴って行えたので、「忘れて困った」と思う暇が無い位に「どんどん覚えて、どんどん忘れる」と言う事が「良い事」と自認する様になった。
 勿論試験などでは「記憶力」が試されるから、50歳を超えて挑戦した「アマチュア無線技師1級」では、記憶カードを使ったのだが。
 しかし、このように「忘れて覚える」と言う事を繰り返せば、知識と言うものはそのうちに「澱(おり)」のように積み重なって忘れられなくなる」のである。
 このことは、若い時よりもむしろシニア世代以降の人により良い効果をもたらすのではないかと思っている。
 玉磨かざれば光なし、とか、忘れる事を「悪い事」と思うのではなく、知識の新陳代謝として磨いているのだ、と思えばずっと前向きだろう。
 勿論、そして身につけた知識は、どんどん使う事によって「知恵」となるのだから、間違いを気にせずに使って知恵に昇華させよう。

 いつでも止められる、いつでも無理なら辞めようと思いながら続けてきたこのブログも、足掛け7年目に入った。
 声なき読者も、知らないうちに増えていっているようで、突然「時々見ているよ」と言われると面映くも楽しい思いをする。
 そんな思いにつられて、今年も基本理念の「徒然」「仄々」とした話題で、駄文を掲載して行こうと思っています。
 時には「怒りぶちまけ」の八つ当たり対象になって頂くこともあるだろうけれど、そこは読み飛ばすなりして頂き、今年もお付き合いいただきますよう、お願いいたします。

 今までは「今日、今年が私にとって、より良き日、年になりますように」と思っていたが、むしろ「他人(ひと)にとって」と願う事が回りまわって自分のためになるという言葉を聴いた。
 なかなか簡単に変われる訳では無いだろうが、思った時だけでもそう願ってみたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :28| 健康 | コメント(0 )

◆この記事へのコメント:

※必須