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2011 年01 月24 日

JR東日本のシステム障害

 30数年間コンピュータシステムの設計・建設・品質管理という仕事に携わっていた経験からすると、今回の事件(決して事故ではないと思っている)はものすごく考えさせられるものだった。
 「思った以上に変更が多くなった」と言うのは、表面的なものではあるだろうし、一般の人に説明するには「もっともらしく、納得してもらえそう」なものではあるだろうが、ある程度の技術者からすれば、論外の理由だろう。
 其処には「リスクシミュレーション」的な視点も無く、まず何よりも「影響範囲の見定め」がなされていなかったのでは無いだろうか。
 私だけではなく、黎明期に携わった人間には「当然過ぎるほど当然の視点」が欠如していたからだろう。
 なぜそんな事態に至ったのかと言う事を考えると、システムを作る人の多くは「パソコン坊や」と当時揶揄していた「それなりのプログラムが書ける人」という程度のスキルでしかなく、それを管理する人の多くが、生産性という言葉の元で「以下に原価を安くして利益を上げるか」ということに没頭していたからでは無いだろうか。
 品質の良いプログラムを極力低廉な価格で作り上げる、というのは、確かに必要な事ではあるのだが、それは「プログラム」の世界だけで通用するもので、「システム」ということになると、それだけでは全く不足なのである。
 それほど技術者のレベルが低くなったのは、システム投資を抑えすぎたからではないのか。
 俗に「必要経費」という言葉があるが、リスクマネジメントや品質管理という仕事に携わる人は「オーバーヘッド」と言われて、何も事故などがなければ「文句言い」「ただ飯食らい」と囁かれるのだが、今回の事件ではそれが蔑ろにされていたのだろうと思うのは、決して私だけではないと思う。
 直接経費を抑えるのは勿論必要だけれど、間接経費は必要に応じて認めるようにしなければ、今度のような事件は後を絶たず、低能な「パソコン坊や」ばかりで、作られたプログラムばかりになり、とてもシステムとして機能しないものばかりを作る事になろう。
 それこそ、安物買いの銭失い、であり、台頭目覚しいインドの技術者に席巻されてしまうだろうことを危惧するばかりである。

投稿者:つねちゃん
at 07 :42| 子育て | コメント(0 )

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