2011 年02 月14 日
まだまだ
以前にも多分書いたように思うのだが、最近富に「まだまだ」と感ずることが多くなったような気がする。これは、良い意味でも、悪い意味でもあるので、感受性を強くしたいと思っている(特別思わなくても自然にそうなっている事も事実なのだが)自分にとっては、楽しいくらい「一喜一憂」出来る事象である。
何かやり遂げた時「やったぁー!」と快哉を叫びたい事は、誰にとっても、それが大きい小さいに限らず、あるのでは無いだろうか。
そんな時には、他人に訝しがられない程度に、喜びを表したほうが、物理的、精神的に良い事だろうから、ぜひお勧めしたい。
こんな事を実際にしていたのは、単身赴任時代だったように思う。
一つ一つを取り上げて、家内に電話で報告するほどの事でもないし、もしそんなことをしたなら派、必ず帰ってくる言葉は「そんなことで電話なんかしないで、こちらは子供の世話で手一杯なのだから」と言われただろう。
そういう意味では、東京(当時の寮は杉並の閑静な住宅街にあった)と言う所は、余り干渉されないので都合が良かった。
本筋に戻して、そんな喜びを楽しんだ翌日になると「まだまだ」と言う気持ちが起きて来て、又新たな一歩が踏み出せるのである。
反対に、どう頑張ってみても、八方塞で、もうどうしようもないと悲嘆にくれて、行き着く先は結局「自棄酒」にたどり着いてしまい、だらしなく寝てしまうのである。
しかしながら、それも翌日になると「まだまだ、こんな考え方もあるのではないか」と言う新たな論理が出現してくる事もあった。
こうなると、又「やってみよう」と言う楽しい成分が身内に湧き出してくるのである。
最近は、上記のような華々しい事は無いにしても、小さい小さい事にでも「まだまだ」と思えることがあり、それが随分と楽しい。
釈迦に説法になるだろうが、諸姉・諸兄に置かれても時にはこんな考え方をしてみてはどうだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :16| 日記
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