2011 年02 月16 日
蛙の面にションベン
仄々、のほほんとしているつもりでも、時々政治ネタが出てくる。何も目くじらを立てて「怒り心頭」と言うほどではないが、なんとなくぼやいてみたいと言うところが本音である。
最近の政治家は、与野党区別無く、表題の言葉がついて回っているようだ、と思うのは私だけだろうか。
小沢と言う政治家は「一兵卒になる」と言っていたのにまるでそうではないし、前総理と言う人は「方便と言われてもしようが無い」との発言である。
政治ネタをいうときに、必ず去就する思いが「この国民にして、この政治家」と言うことである。
いったい本当に誰が、こんな人を政治家として選挙に当選させているのだろうか。
一兵卒であるならば、上から言われた事には、一言の文句も言うべきではないし、もし言うのであれば、その勢力範囲から脱してから言うものだろう。
「方便」と言う言葉も「嘘も方便」とのつもりで曖昧模糊とした言葉であるが、はっきりと「嘘でした」と何故言わないのだろうか。
その上で「嘘つき」としての責任の取り方があるだろうけれど、それもやらないのは、やはり「ションベンを掛けられても、なんとも思わない、むしろ『干天の慈雨』とでも思っているのだろうか」と思いたくなる。
また、それを掛ける方もいい加減である。
「これくらいなら然程被害は出ないだろうし、窮鼠と貸して猫として噛み付かれては堪らないから」とでも言いたげな及び腰である。
これは、どうも政治家ばかりではないようだ。
関取と言われる世界でも、「能無し」であるにも拘らず、マスコミが勝手に作り上げた「タレント」と言う人種のドラッグ問題でもそうだろう。
どうも、人間として「叱る」と言う事を忘れてしまったのでは無いだろうか。
最も、私が在職中は、何度かここでも紹介したが「あいつの横には座るな」と言われるほど「口より先に手が出た」のだが、それだって、自己弁護だけれど「痛さ加減を判ってやっていた行動だ、と言えば、身勝手すぎるだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 13 :43| 政治への注文
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