2011 年02 月23 日
誤解しないように
何度も行っているが、私の「筆遊び」は確かに般若心経や正信偈と言うような、一見「お経」のようなものを書き写しているが、気持ちは決して「写経」と言うような信心深いものではない。確かに、昨年末には「600回達成」などとここにも書き、新聞の投書も採用されたし、コース変更をした今でも空で唱えられるようにはなったのだが、残念ながらと言うべきかそれほどの信心心は生まれていないと思っている。
尤も、そんな風に思っていること事態が、本当の信心になっているのかもしれないが、それを悟るだけには至っていないと言う気持ちであり、「足許にも及ばない」どころか、遥かに隔たった所にいると言う気持ちである。
それはそれとして、まず「書き写し」を始めた動機を最近自戒を込めて思い出すようにしている。
昭和45年位から、本格的にコンピュータの仕事を始めて、50年ころから、当時は今とは想像を絶するほどの使い勝手が悪い物だったが、ワードプロセッサーという機械を使って上申書などを作った。
使い勝手よりも、それまで「ミミズののたくり」のような文字で書いていたものが、綺麗な活字で印刷され、修正の容易さとそれを繰り返しても「書き直しの後」など全く無い綺麗なものになった。
それから40年近く「タイプ文化」に毒されていて、「手書き」と言うものと隔離していた事に気がついて、「これではいけない」と思い始めたのがきっかけだったのだ。
だから「綺麗でなくても良い、丁寧に文字を書く」と言う事が本来の目的だったのである。
何も手本がなくては、心許無い、ということで、選んだのがたまたま、在職中の一時期流行った般若心経だったというだけなのである。
最近新しく加えた種目に「能の事典」と言うものがある。
演目の梗概を判りやすく解説したものである。
今年はまだ宗教色から抜け出せないが、徐々にいろんな分野を加えて、基本を忘れないようにしたいものである。
「ま」「ほ」「れ」「わ」「を」「さ」「き」その他にも「気をつけて丁寧に」書き続けたいと思いながら。
投稿者:つねちゃん
at 09 :21| 趣味
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