2011 年03 月10 日
「本当かなぁ」と思いながら本を読む
基本的に私個人は「性善説」人間であると思っている。リタイアして、それにさらに磨きがかかっているのではないかと思い、時には危うい事までも「そうだろうなぁ、君(あの人)が言うからそうなんだろう」と早合点的に納得してしまうような傾向にあるのでは無いだろうか。
尤も、これが政治家になると「なんだか裏がありそうだよなぁ」と一変してしまうのも私個人である。
ところが、長いシステム経験のうち、品質管理に携わってきた期間がある程度長かったのも原因だろうが「生産物」に対しては、常に「性悪説」を取る習慣がいまだに抜け切っていない。
そういう意味では、一種の職業病なのかもしれない。
表題の通り、毎朝の「書き写し」ばかりではないが、やはりそれなりに色々な本を読む機会があるのだが、常に頭から離れないのは「本当かなぁ」と言う気持ちである。
時々、そんな自分に気がついて「それなら読まなければいいのに」と俯瞰する自分がいて、苦笑いする事もある。
でも、結局は読みきってしまうのだけれど、読後感は「あの部分はやっぱり疑問だ」と言うものである。
でも、よい意味での健忘症が、そんなことを完全に忘れ去ってしまってくれるのである。
その上で「あの部分は良かったなぁ」と(勿論読んでいる時に気がついたもの全てではないが)思い出すことばかりであり、そんな中でも印象の強かったことだけが残ってくれているので、それが私にとっての「読書の功」であろうか。
でも、もし仮に、何にも疑問を待たずに読んでいたならば、その「良かった点」にも気がつかないのでは無いだろうか。
そういう意味では「性悪説的読書」もまんざら捨てたものではない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :16| 日記
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