2011 年03 月25 日
老害以外の何物でもなし
予定では、このテーマではなかったのだが、余りにも憤慨を通り越して、滑稽だったので、急遽思いついたものにした。今朝の新聞に、石原都知事がコップの水を飲んでいる写真が載っていた。
奇しくも昨日都知事選の公示日だったそうだが、その一つのパフォーマンスだったのだろうか。
かつて、現総理が貝割れ大根を記者会見で食べたパフォーマンスをしたのと同じであるが、今回は、自分のところ以外では「天罰」と発言していて、幼児にも安全と言われたタイミングでのパフォーマンスだったから、唖然として、次に「耄碌もここまで来たか」と言う思いで、笑いを誘ったと私には思えた。
そう思って、昨日の出馬宣言を読み返してみると、「東京(だけ)がしっかりしていなければならない。」と言う論旨である。
ここでも、日本の首都と言うことでの知事発言は到底感じられない。
かつて、駿馬だったかどうかは評価が分かれるところだろうが、「駿馬も老いては駄馬に劣る」との喩えもあるが、年齢ばかりではなく、小説と言う非現実的な世界で世迷言ばかり語っているうちに、とうとう脳細胞もそのようになってきたのではないだろうか、と滑稽から又通り越して、哀れささえも感じられる。
我が子に頼まれて、当初の主張を曲げて再出馬するというのも、自分では判断できなくなっているのだろうし、今回の「(安全宣言された後の)水飲み」だって、周りから言われて、自分で判断できなくなっていた結果だろうと思うと、噴飯ものでしかない。
尤も、私には選挙権が無いが、この人を選ぶ都民の責任こそが問われる事になろう。
愛息子の政党のおかげで当選したとしても、駄馬にも劣る人が判断して済むような御時世ではないような気がする。
投稿者:つねちゃん
at 10 :07| 政治への注文
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